第15話 アリーダ妃

 母は兄さんが殺されたと言った。父は懐疑的だった。

 真相に近づくためには情報を集めなければならない。

 兄さんの家族から話を聞きたい。

 王太子の間は王宮の3階にある。

 アリーダ妃とテオはまだそこにいるだろうか。


 王の間から退去したその足で、王太子の間へ向かった。

 その扉の前にも、ふたりの護衛が立っていた。日焼けした女と色白の男。

「アリーダ妃はおられるか」と私は尋ねた。

「はい、いらっしゃいます」と女が答えた。「ご面会ですか」

「ああ……」と言いかけて、私は言葉を切り、若い女性衛士の目を見つめた。

 あの日ニナ湖にいたのは、兄の家族だけではない。

 護衛の兵士がいたはずだ。


「きみは8月29日にニナ湖へ行ったのか?」

 女は顔色を変え、つらそうに唇を歪めた。

「はい……。護衛のため、クルト王子殿下、アリーダ妃殿下、テオ殿下とともに湖へ行きました。クルト殿下をお守りすることができず、申し訳ありませんでした」と褐色の肌の女は言い、深々と頭を下げた。

 彼女の謝罪にどう対応すべきか私にはわからなかった。失態を咎めるべきなのか、寛大になるべきなのか。

 兄の死の状況がわからなければ判断できない。

 頭ごなしに叱るより、情報収集をするべきだろう。

「そのときの護衛は何人だった?」と私は努めて柔らかく言った。

「8人です」

「全員を集めてほしい。アリーダ妃と話した後、きみたちの話も聞きたい」

「全員ですか?」

 私はうなずいた。

「承知しました。すぐに呼んでまいります」

 彼女は階段を駆け下りていった。


 王太子の間にいたのは、未亡人となったアリーダ・ヴァレンティンだけだった。

 幼いテオの姿は見当たらない。

 彼女は椅子に座り、クッキーをつまんでいた。木目が美しいテーブルの上に、菓子の皿とティーカップが置かれている。

 アリーダ妃……元妃と言うべきかもしれないが……は27歳。意志的なダークブラウンの目を持つふくよかな美人だ。金髪を肩まで伸ばし、毛先だけ内側にカールさせている。

 兄と結婚して9年になるが、ついに子宝には恵まれなかった。

 テオを出産したのは、兄の浮気相手の侍女。

 

「アリーダ様、このたびのご不幸、心よりお悔やみ申し上げます」

 私がそう言うと、彼女は首を傾げた。

「お悔やみ……? あなたのお兄さんが死んだのですよ。あたしがお悔やみを言うべきではないかしら?」

 そうなのだろうか。故人の弟が未亡人にかける言葉としてなにが適切なのか、よくわからなかった。

「さぞかし気落ちしておられるだろうと思いまして……」

「気落ちはしました。でも、もう3週間も経つのです。いつまでも落ち込んではいられません」

 彼女は紅茶を飲み、クッキーを頬張った。

「これ、美味しいですよ」

 私はアリーダ妃の対面に座り、クッキーを口に入れた。砂糖とバターの味がして、確かに美味しかった。

 

「母が兄は殺されたと言うのです。足首に手で握った痕が残っていたと」

 兄の妻はふっと苦笑した。

「そんなものはありませんでした。少なくともあたしは気づきませんでした。ねえジルベール王子、仮にクルトの足首を何者かがつかんで水中に引きずり込んだとして、その痕が残ると思いますか?」

「わかりませんね。力の強さによるかと思います」

「あたしの手首を握ってみてください、強く」

 アリーダ妃は右手を差し出した。私は彼女の手首を強く握った。

「痛い痛い。離して、強すぎます!」

 彼女は手を振って抵抗した。

「殺されたのだとしたら、兄も抵抗したでしょう。振り切られないように、力強く握らなければ検証になりません」

「とにかく離して!」

 私は言われたとおりにした。手を離した瞬間、彼女の手首は少しだけ赤くなっていたが、すぐに他の部分と同じ肌色になった。


「ほら、痕なんて残りません。クルトの足首にも痕なんてありませんでした。カミラ陛下の思い込みですよ」

「アリーダ様は兄の死因はなんだと思いますか?」

「わかりません。あの人が死んだとき、あたしは昼寝していましたから」

「あの日の状況を詳しく教えてください」

「ははっ」アリーダ妃が声をあげて笑った。「ジルベール王子、あたしを取り調べるおつもりですか?」

 私は肯定も否定もせず、元妃を見つめつづけた。彼女は小さく舌打ちした。

「朝食のときに、クルトが湖へ行こうと言い出したのです。暑いから水遊びをしようって。確かにすごく暑い日でした。座っているだけでも、汗が吹き出してくるぐらい。朝から35度はあったんじゃないかしら。ライリーではどうでした?」

「ライリーでも暑かったです。日中の気温は40度を超えました」


 アリーダ妃がそれから語ったことは、妹が手紙に書いていたことと同じだった。

「衛兵たちは8人とも砂浜で立っていたんですね」

「いいえ、全員ではないです。すごく暑かったから、半数は林の中にいたと思います。ずっと日なたにいるわけにはいかなかったんじゃないかしら」

「誰も兄が死んだ瞬間を見ていなかった」

「そうらしいですね。あたしが午睡から目を覚ましたとき、あの人は砂浜にいなかったし、湖で泳いでもいませんでした。どこにも見当たらなかったの。衛兵にクルトはどこにいるのと訊いたら、彼らは慌てて捜し始めたんです。夫の遺体を見つけたのは、女の衛兵でした」

「扉で番をしている褐色の肌の女の子ですか?」

「そう、日焼けした子。かなり沖まで泳いて見つけたんです。湖の真ん中あたりで。彼女が悲鳴をあげたのを憶えています。そして、彼女が夫の遺体をつかんで、岸まで泳いできたのです」

「女性衛士が第1発見者だったわけですね」

「そうです。泳ぎが上手なの。水泳が趣味なんです、あの子」

「よくご存じですね」

「スカーレットはあたしがマーフィー家から連れてきた騎士ですから」

 あの女性衛士はアリーダ妃のお付きだったのか。

 スカーレットという名前を憶えておこう、と私は思った。


「テオはいないのですか?」

「ずっと泣きやまないんです。手に負えないから、あの子の生母に預けています」

「侍女ですね」

「あの子の本当の母親です」

「テオと侍女はどこにいるのですか?」

「実家にいるんじゃないかしら。城壁の外です。言っておきますが、彼女はもう侍女ではありません。夫の浮気相手をいつまでも雇っているわけにはいかないでしょう。とっくにクルトの愛人でもなくなっていましたし」

 アリーダ妃の言葉がとげとげしくなっていく。

 兄さんは息子を生んだ侍女も捨て、さらに別の女と浮気をした。

 マーフィー侯爵家から嫁いできた妃に、兄さんとテオへの愛情は感じられない。無理もないが……。


「クルトにとってあたしは、ただの政略結婚の相手でしかなかったんです」

 彼女は苦々しく言葉を吐き出していく。

「ご存じだと思いますが、浮気相手は侍女だけではありません。子爵令嬢と付き合ったこともあるし、スカーレットにまで手を出したんですよ。最近の恋人は酒場の看板娘ミモザ・ミュールでした。8月29日は朝帰りだったんです。そして埋め合わせするみたいにして行った湖で亡くなった……」

 彼女は急に立ち上がり、うろうろと部屋の中を歩きながら、しゃべりつづけた。

「夫は女遊びをつづけ、王にもならずにあっけなく死んだ。息子はちっともなつかない。義父は頼りなく、義母は冷たい。この結婚にいいことなんてひとつもなかった……」

 

「兄は殺されたと思いますか?」

 アリーダ妃は立ち止まり、視線をさまよわせた。

「どうでしょうか。捨てられた女はみんな、クルトを恨んでいたと思いますが」

「殺意を抱くほどの相手はいたのでしょうか?」

「わかりません」

「あなたは?」

 彼女はきつい視線を私に投げた。

「死んでほしくなかったわよ! あんな夫でも、王になれば、あたしは王妃になれたのよ。そのために嫁いできたんですから!」

「ミモザ・ミュールとの仲は最後まで良好でしたか?」

「知らないわよ。酒場で訊きなさいよ!」

 アリーダ妃はついに激昂した。

 私は彼女からのこれ以上の情報収集をあきらめた。


 王太子の間から出ると、廊下に8人の衛士が立っていた。

「きみたちは寸分たりともクルト王子から目を離さなかったか?」と私は問いただした。

 誰も私の目を見ようとせず、うつむいていた。

「護衛の責任者は誰だ?」

「私です」と言ったのは、中年の衛士だった。

「当日は異常なほど暑い日だった。木陰に入るのは理解できる。だが、兄から目を離さないようにローテーションを組まなかったのか?」

「申し訳ありません!」

 中年の衛士は深く頭を下げた。

「兄が溺れる瞬間を見た者は、この中にはいないのか?」

 私は護衛兵たちを見回した。

 彼らからの返答はなかった。

「兄の家族ときみたちの他に、ニナ湖に誰かいたか?」

「私たちの他には誰もいませんでした」とスカーレットが即答した。

「確かか?」

「湖に到着したときには、泳いでいた男女がいました。隊長がふたりを追い払ったんです。今日は王族の貸し切りだと言って……」

「それはまちがいないか?」と私は護衛の責任者に訊いた。

「はい」

「対岸にも誰もいなかったか?」

「いませんでした。私は目がいいんです」とスカーレットが言った。

 その証言を信じるなら、現場にいたのは関係者11人だけ。

 誰も殺人犯でなければ、兄は護衛が目を離しているときに自らの責で溺れたことになる。 


 その夜、私はクロエを誘って、ミモザ・ミュールが働いている酒場に行った。

 聖女は喜んでついてきた。

 美しく溌剌とした女の子が、私たちのテーブルにやってきた。この子以外に、看板娘らしき女性はいない。

「お待たせしました。ご注文はいかがしますか」

「ビールをふたつ、それからなにかおすすめのものを」と私は頼んだ。大衆的な酒場だ。なにが出てきても金銭的な問題はない。

「串焼きの盛り合わせが一番人気です」

「それでいい」

 娘は「ビールふたつ、串焼き盛り合わせひとつ!」と厨房に向かって叫んだ。

 次のテーブルへ行こうとする彼女に、私は問いかけた。

「8月28日の夜から29日の未明にかけて、クルト・ヴァレンティンとともに過ごしていたか?」

 看板娘は私の顔をまじまじと見つめた。

「似てる……。あなたは……?」

「弟だ」

「ジルベール王子殿下! こ、このたびは誠にご愁傷様でした。わたし、悲しくて……」 

 彼女は嗚咽を漏らし、大粒の涙を酒場の床に落とした。

「ごめんなさい。最後の夜に、あの方と一緒にいました……」

 右手の甲で涙をぬぐってから、彼女はぺこりと頭を下げ、けなげに仕事をつづけた。

 ふたりの関係は最後まで良好だったようだ。


「どなたなのですか?」とクロエがミモザを見ながら言った。

「兄さんの恋人だった」と私は答えた。

 クロエは黙り込んだ。

 ミモザに同情しているのか、兄の浮気に立腹しているのか、故人を追悼しているのか、よくわからない。

「お兄様の死を調査するというのは、つらくはないですか?」

 私への同情だったようだ。

「好んでやりたいものではないね。だが、誰にも頼めない……」

「かわいそうなジルベール……」 


 ミモザがビールと串焼きを運んできた。

「調査は終わった。これからはデートだ。好きなだけ飲み給え」

 クロエが笑顔になった。

 私もつられて笑い、大型のコップから酒をくいっと飲んだ。

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