第13話 ヴァレンティンという国
ライリーを出発してから11日目。
私たちは人口が密集した王都圏の都市メイソンに着き、5階建てのホテルに泊まった。
最上階からはゾーイ城が見える。
明日には王都に到達する。
夕食後、クロエを私の部屋に呼んだ。
説明しておきたいことがあった。
室内に革張りのソファとガラステーブルの応接セットがあり、私はクロエと対面で座った。
ルームサービスの紅茶がふたつ、テーブルに置いてあり、湯気を立てている。
「いくつか話しておきたいことがある。最初は私の家族のことだ」
きちんと伝えておかなくてはならない。
クロエは神妙な面持ちになった。
「父の名前はヘンリー・ヴァレンティンという。ヘンリー王陛下と呼んでほしい。母はカミラ王妃陛下と」
「はい」
「死んだ兄の名はクルトだ。妹がひとりいる。ベリッサ殿下と呼んでくれ。私たちは5人家族だったが、4人になってしまった」
「ヘンリー王陛下、カミラ王妃陛下、クルト殿下、ベリッサ殿下……」
クロエは右手の人さし指を額に当てた。目をつむって暗唱し、憶えようと努めている。
「前にも話したが、国事の決定権はおおかた母が握っている。クルト兄さんはニナ湖で死んでしまった。ベリッサは手紙でそのことを私に教えてくれた」
私は窓の下の夜景を眺めてから、次の話を始めた。
「この国のしくみについて、ざっくりと話しておこう。王の直轄地と貴族領があるが、大雑把に中央と東西南北のことを頭に入れておいてほしい」
クロエはわたしの目を見てうなずいた。
「中央と東部は王の直轄地だ。北部、西部、南部に大貴族の領地がある」
「中央と東部が直轄地で、北、西、南が貴族領。憶えやすいです」
私は社会科の教師で、彼女は真面目な生徒のようだ。
「この先は一度に憶える必要はない。ゾーイに住んでいれば、自然とわかってくるだろう。いちおう伝えておく」と私はつづけた。
クロエの目は真剣そのもので、メモを取りかねない勢いだ。
「貴族は領地の防衛と税の2割を王朝に納める義務を負っているが、その他は広範な自治権が認められている。北部はシエナ公爵領で、ヨーン族からの防衛を任されている。西部はマーフィー侯爵領で、砂漠の民オルエス族の侵入に備えている。南部はクラーク公爵領で、ジュール族と絶え間なく小競り合いをつづけている。戦争になれば、王は貴族とともに国を守る」
「シエナ公爵、マーフィー侯爵、クラーク公爵……」
聖女の唇が歪んできた。一度に憶える必要はないと言ったのに、彼女は懸命に記憶しようとしている。
「王家にとって、大貴族との関係を良好にしておくことは重要だ。結婚もそのための手段として用いられる。貴族にとっても、王家と婚姻関係を結ぶことは得策となる」
公爵令嬢のクロエは、かつてオースティンの王子と婚約していた。政略結婚については理解しているだろう。
「兄の妃は、マーフィー侯爵家の令嬢だ。未亡人になってしまったが……。私に単なる恋愛結婚がむずかしいことは、わかってもらえると思う」
「はい……」
彼女はあからさまに悄然としている。
「私はきみの宗教的な価値を、母に認めてもらおうと考えている。エリエル様は、この国の至高神だ。その血筋であるクロエは、貴族よりも尊い存在であると言える」
ヴァレンティンは月光教の国で、クロエは月光神エリエルの末裔。そのことを強く主張する以外に、彼女と婚約する手立てはない。
「宗教的な権威も、王族の結婚を左右する要素となり得る」
「はい!」
彼女の目に生気がよみがえった。わかりやすい子だ。
「王都にはゾーイ大聖堂があり、ディーン・スペンサー教王が住んでいる。ディーン猊下と呼ぶように」
「教王……ディーン……スペクター……猊下?」とクロエはつぶやく。もう人名は憶え切れないようだ。
「母はディーン猊下の姉だ。この国の真の権力者と呼ばれるゆえんだな。世俗と宗教の両方の王と繋がっている」
「私は第二王子から第一王子に繰り上がった。おそらく王位継承順位も1位となるだろう。スペンサー教王家、マーフィー侯爵家、シエナ公爵家、クラーク公爵家が私の婚姻に深い関心を持つことだろう」
クロエの顔の憂いが深まる。
彼女の前には冷えてしまった紅茶があった。
私はルームサービスの紅茶のおかわりを頼んだ。
熱い紅茶が届いた。私はクロエのティーカップに角砂糖をひとつ入れて、スプーンでかき混ぜてやった。
「私はなにがあってもきみと結婚するつもりだ」と私は言った。
「クロエを愛している。季節の魔法の使い手だからではなく、きみがきみであるからだ……」
彼女の緑の瞳を見つめた。
クロエも私を見つめ返した。その視線には、確かに熱いものが込められていると思う。
「わたしも、です」
その言葉を聞いて、甘やかな感情に満たされた。
彼女を抱き寄せて、口づけした。
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