第11話 愛の告白
ジルベールは手紙を見たまま、しばらく身動きもしなかった。
わたしには、彼がまだ文面を読んでいるのか、それともただ単に紙の表面を見つめているのか、判別できなかった。
しばらくして、彼はイーノに向かって口を開いた。
「明日ゾーイへ……………。イーノは……………。…………120人………。水晶と黒水晶……持つ…………」
早口のヴァレンティン語で、ほとんど意味がわからない。
ジルベールがわたしの方を見た。
「兄……死……私…………ゾーイ…………クロエ……………………」
よく聞き取れなくて悩んでいると、彼はオースティン語で言い直した。
「兄さんが死んだ。私は急いで王都へ帰らなければならない。明日、ゾーイへ向かう。クロエにも一緒に行ってもらいたい。今夜中に準備をしておいてくれ」
彼にそう言ってもらえてほっとした。置いていかれては途方に暮れる。
「お兄さん死んだ? 悔しい言います」
わたしは勉強中のヴァレンティン語を使ったが、言い回しがおかしかったようだ。
「お悔やみ申し上げます、と言うんだ」
「ごめんなさい。お悔やみ申し上げます……」
彼は小さくため息をつき、「夕食にしよう」と言った。
食事は猪肉と根菜のスープとパンだったが、ジルベールはほとんど手をつけなかった。
沈鬱な雰囲気で食欲が湧かず、わたしも半分ほど残した。
「兄さんは湖で死んだそうだ」
オースティン語で、彼はぽつりと言った。
「溺れたのですか?」
「そうだな。そう考えるのが自然だ……」
ジルベールは悲嘆に暮れているようすだった。ひとりにしてあげるのが良いのか、寄り添っていた方が良いのか、わたしは迷った。
気かがりもあった。
第一王子が亡くなって、王位継承者には誰がなるのか。
ジルベールが王太子になるのだろうか。
だとすると、この国ではなんの地位もないわたしが婚約者になるのは、むずかしいのではないか。
王妃と王族の嫁とでは、権力に天地のちがいがある。
杞憂だとは思えない。
ジルベールの見解が知りたかったが、彼が語り始めたのは思い出話だった。
「兄は私にはやさしかった」
ひとり言のように、彼は話した。
「私より7つ年上で、剣の手ほどきをしてもらった。乗馬を教えてくれて、一緒に遠乗りをした。母に叱られたとき、なぐさめてくれた。数学の解き方を教えてもらった。狩りをし、鹿を解体して、焚き火で焼いて食べた。その晩は星の下で眠った。私は兄の治世を助けようと誓っていた」
窓枠がカタカタと音を立てていた。外では風が強く吹いているようだ。
熱帯夜は過ぎ去り、夜は肌寒さを感じるほどになっている。
ジルベールはコップの水でのどを湿らせてから、話をつづけた。
「だが、兄は女性にはやさしいとは言えなかった。同時に複数の女の子と付き合っていたこともある。妃をもらってからも女遊びをやめなかった。兄のひとり息子は侍女が生んだ。これは公然の秘密だ」
サイラス王子も女癖が悪かった。わたしとの婚約中にも、何度も浮気をした。
この国の第一王子も妃がいながら、他の女性と関係を結んでいたのか。
権力を持つ男性はみんなそうなのだろうか。
「権力を持つ男性はみんなそうなのですか?」
思っていたことが口をついて出てしまった。
侍女が部屋に入って来て、食器をかたづけ始めた。
彼女はスープとパンが残されている器をワゴンに乗せて出て行った。
ランプの灯かりがジルベールの端正な顔を照らしていた。ガラスの中で火はちろちろと揺れ、彼の瞳に橙色の炎が映っている。手元に落としていた彼の視線がわたしに向けられた。
「私は一度にふたりの女性と付き合ったことはない。そしていま恋人はいない」
きっぱりとした口調で彼は言った。
「わたしはクロエを愛している」
愛の告白がわたしの胸をときめかせ、一瞬気かがりを忘れさせた。
だが、その直後の言葉で、現実の壁が明らかになった。
「私が王位継承第1位になるだろう。婚約者は将来、王妃となる。クロエとの婚約は簡単ではなくなった……」
やはり杞憂ではなかった。
ジルベールは黙り込み、うつむいた。
兄の死に打ちひしがれながらも、わたしに愛を告げてくれた。
それだけでも感謝しなくてはならない。
今夜はもうひとりにしてあげるべきだろう。
「わたしもあなたを愛しています。たとえ婚約できなくなったとしても」と言って、わたしは席を立った。
王子も立ち上がり、わたしの手首を握った。
「きっと婚約してみせる。母を説得すれば良いだけだ」
カミラ王妃。この国の実質的な支配者。
この先にどのような困難が待っているかわからないが、彼の言葉はうれしかった。
わたしは微笑みで応え、自室へと帰った。
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