第9話 鉱山長ネフ・ゲオーグ

 わたしは3日間、ベッドで休んだ。

 オースティン王国脱出から季節の魔法に至るまで、相当な無理をしてしまったらしい。

 それが祟って、過労で倒れてしまったのだ。熱と倦怠感があり、食欲はなかった。

 目が覚めるたびに、ジルベールの姿が目に入った。わたしの顔を心配そうに見つめていたり、椅子に座って本を読んでいたり、わたしのベッドに突っ伏して眠っていたり……。つきっきりでいてくれるのがうれしかった。

 彼が水の入ったコップを手渡してくれて、わたしは水分補給をした。ときには果汁をくれた。

 4日目にようやくベッドから自力で起き出せるようになった。

 ジルベールが安堵の表情になり、室外からデヴィットが入ってきた。

「彼はドアの外でずっと護衛をしてくれていた」

「そうだったんですか。ありがとう、デヴィット」

 巨漢の衛士は小さく目礼を返したのみ。相変わらず無口で無表情な人だが、わたしは彼にも感謝の気持ちでいっぱいになった。


 わたしが休養させてもらっていたのは、ペール鉱山の管理事務所の一室だった。3階建て石造建物の2階客間を急造の病室にしてくれたそうだ。

「鉱山長に会いに行こう。水晶の調達で、今後とも世話になる」

 ジルベールとともに、3階の鉱山長室へ行った。

 室内にいたのは、背は低いが、がっしりとした体格で、赤い髪の中年男性。彼はジルベールに敬礼し、王子は軽く頭を下げて返礼した。ふたりはヴァレンティン語で話し始めた。

 あたりまえだが、なにを話しているのか、全然理解できない。

 わたしは少し焦った。言葉がわからないのは、やはり困る。


「クロエ、鉱山長のネフ・ゲオーグさんだ。人間とドワーフのハーフで、宝石採掘の専門家だそうだ」

 生物学的にはドワーフ、エルフ、魔人、鬼人は人間と同じ人類とされている。

 神、天使、精霊は超人。

 超人・人類学はまだ緒についたばかりの学問で、諸説あり、学者間で喧々諤々の議論がされているようだ。

 超人は宗教的崇拝の対象で、学問の対象としてはならないと主張する聖職者もいる。


「クロエ・ブライアンです。水晶を調達してくださって感謝します。ありがとうございました」とわたしは言ったが、もちろんオースティン語。当然ネフさんには通じない。

「…………エリエル…………クロエ……………………」

 ネフさんの言葉もわたしにはわからない。かろうじてふたつの固有名詞だけは聞き取れた。

「月光神エリエルの末裔であるクロエ様の役に立ててうれしい。素晴らしい魔法だった、と言っている」

 ジルベールが通訳してくれた。

「わたしにとってエリエル様は月光神ではなく、堕天使なんですけどね」

「宗教的な話はやめておいた方が良いだろう」

「そうですね」


「エリエル……………………………………」

「…………?! エリエル様がカイシュタイン山に降臨された伝説がある、と鉱山長が言っている」

「カイシュタイン山とはどこにあるのですか?」

「少し待て。私も詳しくは知らない。……カイシュタイン…………?」

「……アッティカ……………………………………………」

「北アッティカ山脈の最高峰で、標高は8000メートルを超える。山頂は大氷河に覆われていて、そこまで登った者はまだひとりもいない」

「わたしが聞いている伝承では、エリエル様はソル様に追いつめられて、大氷河に封じられたことになっています。通じるところがありますね」

「カイシュタイン山に登るのは自殺行為だ。確かめることはできない」

「はい。でも興味があります。詳しい話を聞きたいですね……」

 このままこの国の人たちと話ができないのはどうにもまずい。オースティンに帰ることはできないのだから。

「わたし、ヴァレンティン語を勉強します!」

「そうだな。私の妻が外国語しか話せないというのでは困る。がんばってくれ」

 私の妻……! そんなことを言われると、顔が熱くなってしまう。

 婚約して、結婚したら、わたしはジルベールの妻になる。

 いいなあ、その未来。

 イケメンで賢くて行動力があって、つきっきりで看病してくれたこの人の妻に……。

 勉強するぞ、とわたしは強く決意した。


 ペール鉱山滞在5日目にまた大熱波が到来した。

 季節の魔法を行使して、太陽神ソルに対抗。涼風を呼んだ。

 6日目、ジルベールとネフさんの間で、水晶を安定的に採掘し、ライリーに運搬する取り決めができて、わたしたちは帰還の途についた。

 往路ほど急ぎではなく、暑さもきびしくはなく、ジルベールは上機嫌でのんびりと馬を駆けさせた。

「クロエはまごうことなき聖女だった。呪文を詠唱するときのきみは、この上なく美しかった」

 そんなことをうれしそうに言うので、なんて返答したらいいのか困ってしまった。

「見世物ではありません。こっちは真剣なんですから、見ないでください」

 つい、つっけんどんに答えてしまう。

「きみはオーラに包まれていて、自然と目が引き寄せられてしまったよ。みんな、クロエを見ていたぞ」

「恥ずかしいなあ。今後は室内で行いますから、わたしに魔法工房を与えてください」

「では私の執務室でやりたまえ。クロエの魔法を見るのは、私だけの特権にしよう」

 ええ~っ? そんなの絶対に集中力が削がれちゃう。

「あなたの前でやるのが一番恥ずかしいです! 魔法は芸能ではないんですよ!」

「水晶は私の私財で購入したのだぞ。そのくらい許してくれても良いだろう?」

「私財を出してくれたんですか? こ、婚約者でパトロン……。わかりました、見てもいいです……」

 わたしは照れていただけで、別に嫌ではなかった。

「きみは正真正銘の世界を救う聖女だった。第二王子の婚約者として不足はない。母も認めてくれることだろう」とジルベールは言った。


 帰路は1泊2日の行程で、ライリーに着いた。

 城門でイーノが待ってくれていた。

「おかえりなさい」と彼は言った。

「ただいま」とジルベールとわたしは答えた。

 まだ数日しか滞在していない軍事都市だが、ここにはわたしに与えられた部屋がある。

 ホーム、という感じがした。

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