第8話 季節の魔法

 ヴァレンティンとオースティンの国境は、大雑把に言うと、北アッティカ山脈と南アッティカ山脈だ。ふたつの大山脈がふたつの王国をへだてている。

 北と南の山脈が途切れたところに広大な草原があり、そこが古来から東西の交通路となり、戦場ともなっている。

 わたしはその草原を通って、ヴァレンティン王国へ逃れ、軍事都市ライリーにたどり着いたのだ。

 いま、わたしたちは慌ただしく、ライリーから北アッティカ山脈のペール鉱山へ向かう準備をしている。

 現在、午前7時。気温42度。異常な暑さだ。


「クロエ、馬には乗れるか」

 乗馬は貴族のたしなみだ。

「乗れます」

「私とクロエ、護衛の騎兵隊でペール山へ向かおう。イーノは留守を守っていてくれ」

「はい。お任せください」

「鉱山へ向かうのは、総勢5名が良いです」

「なぜだ、クロエ? 護衛はもっと多い方がいいだろう」

「手持ちの白水晶が残り5個しかありません」

 わたしは手のひらの上に、鞄から取り出した白水晶を乗せた。

「この炎天下で駆ければ、暑さで倒れてしまいます。白水晶の冷気を少しずつ放出することで、人馬を守れるでしょう」

「きみの魔法か……」

 ジルベールは納得してくれたようだった。

 彼とわたし、ジルベールの衛士ふたり、わたしの衛士デヴィットの5人でペール山へ向かうことになった。


 ライリーからペール山へ急行した。

 わたしは懸命に馬を駆けさせたが、やはり男性騎士には劣る。遅れがちになり、彼らをわたしの速度に合わせてもらわなければならなかった。

 わたしがジルベールの後ろに乗るという手もあったが、馬がバテる怖れがあり、危険だった。

「足を引っ張ってごめんなさい」

「なにを言う。クロエの乗馬は悪くはないし、この白水晶魔法のおかげで、我々は走れている。礼を言うのはこちらの方だ」

 太陽は天高く、ギラギラと輝いている。正午の気温は45度にも達した。

 水筒の水を飲み、白水晶で温度を下げ、わたしたちは日陰のない草原をひたすら進んだ。

 午後1時頃、北アッティカ山脈のふもとに到達し、そこからさらに北上した。

 

 3時過ぎに白水晶の魔力が尽き、結晶が崩れて、細かい砂粒になって散ってしまった。

 冷気が一切なくなって、暑さで頭がぼうっとしてくる。わたしはなんとか手綱を操作し、鞍の上で体重移動をして、馬を走らせつづけた。

 5時頃、ペール鉱山に到着したとき、わたしはぐったりしていた。気温はなお43度。

 王子の命令で、すぐに鉱山労働者たちが動き、広場に大量の水晶が集められた。

「クロエ、できるか?」

 ジルベールがわたしを心配そうに見ている。疲れ果てていたが、つくり笑いをした。

「できます」

 そのために来たのだ。いまもどこかで熱中症で亡くなっている人がいるかもしれない。やるしかない。

 わたしは水晶を積み上げた山の前に立ち、呪文を詠唱した。


「灼熱の夏よ、渦巻く熱波よ、鎮まり給え。エリエルの末裔クロエの願いを聞き、水晶の中で休み給え。生命ある者たちに憐みを!」

 両手を天に向け、次いで手を合わせて祈る。

 この世を支配するのは、太陽神だけではない。数多の神と天使と精霊がいて、世界は成り立っている。人間に親しみを感じている神々、天使や精霊たちもいる。わたしはエリエルから受け継いだ魔力を使って、聖なる存在に祈りを届けることができる。彼らの声や息遣いを感じることができる。

 意識を集中して祈り、彼らの言葉に耳を傾ける。

 表立って太陽神に逆らう気がなくても、そっと力添えしてくれるものたちがいる。

「ねえ、あの子の祈りを聞いてあげてもいいんじゃない?」

「そうだね、ちょっと涼しくしてあげるくらいはいいかも」

 風の天使、雲の精霊のささやきが聞こえる。

「人と獣と魚と虫と樹と草と花に慈悲を! 夏冬の聖女の願いを叶え給え。世界に少しばかりの涼気を!」

 わたしはさらに言霊を捧げる。

「限りある生命をあたら摘むこともあるまい」

「わたし、いまの世界をけっこう気に入ってるんだよね」

 雨の神、氷の精霊が遥かな高空で思念を交わしている。

 わたしはそれを感じ取ることができる。

 夏冬の聖女として祈りつづけた。


 太陽神が通常より多く放射した熱が黒い霧となって、水晶に吸い込まれていく。

 透明な水晶が黒く染まる。

 サイラス王子に黒魔術と勘ちがいされた季節の魔法。

 確かに黒色の魔法だし、太陽神に逆らう行為だけど、わたしはこれを悪だとは思っていない。

 正義と信じて魔力を行使している。

 狂った夏をあるべき夏へ……。

 やがて風が強く吹き始め、空に厚い雲が浮かび、地上に雨と雹が降り注ぐ。

 気温が下がっていく。

 わたしはさらに祈りつづける。

 目の前の水晶がすべて黒く染まるまで……。


 いつの間にか意識を失っていた。

 気がついたとき、わたしは知らない部屋のベッドに横たえられていた。

 わたしを見下ろしているジルベールの顔が見える。

 彼の表情がくしゃりと歪んで、泣き笑いをした。

「急に倒れたから、死んだかと思ったぞ。無事でよかった、私の聖女よ」

「そんなに簡単には死にませんよ……。いろいろあって疲れていましたし、季節の魔法は気力と体力を消耗するのです……」

「無理をさせてすまなかった」

「あなたの期待に応えられましたか……?」

「期待以上だよ。いま情報を集めているが、ペール山付近だけでなく、ライリーでも大熱波は去ったようだ。おそらく世界中が冷やされたのだろう。ありがとう、クロエ」

「どういたしまして。これが夏冬の聖女の使命なのです。誰に感謝されなくてもわたしは……」

 まだ疲れていて、起き上がる気力がない。

 わたしは目をつむった。

 ジルベールの気配を感じながら、もう一度しあわせな眠りについた。  

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