第7話 ソルとエリエル

 窓から夕暮れの風景を見ていたとき、部屋のドアがノックされた。

 扉を開けると、イーノがひとりの偉丈夫を連れて立っていた。小柄なイーノと比べると、子どもと大人ほどのちがいがある大きな男性。ジルベールも背が高いが、この人は彼よりさらに背が高く、筋骨隆々としていた。

 短いダークブラウンの髪。新月のような黒い瞳。鼻は高く、口元は一本の直線のよう。彫りの深い顔立ちだが、無表情だった。年齢はわたしより少し年上で、20歳くらいに見えた。

「あなたの護衛兼世話役を連れてきました。オースティン語を解する騎士、デヴィット・ヘルマン。無口な男ですが、剣の腕は確かです」

「クロエ・ブライアンです。よろしく、デヴィットさん」

 わたしが語りかけても、彼は軽く頭を下げただけで、声を発しなかった。本当に無口な人のようだ。

 イーノが去り、デヴィットは部屋の前に立った。

 男性騎士を部屋の中に入れるわけにもいかず、彼をそのまま立たせて、わたしは室内に籠もった。

 夕闇が深くなった。机の上にろうそくがあったので、わたしはマッチで火をつけた。

 この異国で、わたしは生きていけるのだろうか、とふと不安になった。

 ジルベールが婚約すると言ってくれたときは胸が高鳴ったが、彼の目当ては夏冬の聖女の能力のようだ。クールな微笑みからは、本心が読み取れない。イーノはわたしに好意的ではなく、護衛役の騎士は声も聞かせてくれない。

 暗殺されるかのたれ死ぬ可能性が高かったことを思えば、いまの境遇は相当運が良いのだろうけれど……。


 またノックの音がした。

 扉を開けると、「食事の時間です」とデヴィットが言った。初めて彼の声を聞いた。低音の渋い声。

「ありがとう。この部屋で食べるのかしら?」

 彼は首を振り、先に立って歩いた。案内してくれるようだ。

 さきほどジルベールと面談した5階の部屋の隣に通された。

 わたしの部屋の3倍くらいの広さがあり、大きめのテーブル、書棚、ベッドなどがあった。

 テーブル席にジルベールが座っていた。

「ここは私のプライベートルームだ。一緒に夕食を取ろう。ライリーは辺境で、たいしたごちそうは出してやれないが」

「ありがとうございます。お腹がぺこぺこで、なにか食べられるだけで、とてもうれしいです」

 彼は穏やかな笑みを浮かべ、対面に座るよう手で示した。

 侍女がテーブルに並べたものは、鹿肉のステーキ、キャベツの酢漬け、トウモロコシのスープ、黒パンと十分にごちそうだった。

 ジルベールが手ずからわたしのグラスに赤ワインを注いでくれた。上品な仕草で、紳士的だと思った。

 お酒を飲むのは初めてだが、断るのも悪いと思って彼と乾杯し、口をつけた。甘さと渋みを舌で味わった。思いがけないほど美味しかったが、飲み込んだら頭がくらっとした。これがアルコールの効果なのだろうか。

 鹿肉はきちんと血抜き処理されていて、臭みがなく、食べやすかった。

「すごく美味しいです」

「それは良かった」

 今日は暗殺されかかったり、ジルベールと出会ったり、不思議なほど優雅に尋問されたり、さまざまなことがあった。激動の1日を回想しながら彼と話していたのだが、ワインを3杯飲んだあたりから記憶がない。初めてのお酒に酔って、わたしは眠ってしまったらしい。ジルベールに抱っこされて部屋に戻ったような気もするが、さだかではない。


 翌日、異様な暑さで目が覚めた。

 窓から白熱が射し込んでいて、早朝から尋常ではない気温の高さとなっていた。

 わたしは飛び起きて、部屋から出た。外にはデヴィットが立っていた。この人はいつ寝たのだろうかという疑問が頭をもたげたが、そんなことを聞いている場合ではない。ジルベールの部屋へ向かう。

 プライベートルームか執務室か、どちらにいるかわからない。

 最初に執務室の扉を叩いて、「おはようございます、クロエです」と声をあげた。

「入ってくれ」というジルベールの返答。わたしは部屋に入った。

 すでにイーノがいた。男性ふたりは眉間にしわを寄せて、窓の外を見ている。東の空で朝日が異常に輝いていた。


「太陽神ソルの攻撃です」とわたしは言った。

「この暑さは神の攻撃なのか」

 ジルベールの額から頬に、つうっと汗が流れた。

「代々の夏冬の聖女の言い伝えですが、太陽神は人間が万物の霊長であると驕りたかぶっていることを嫌悪しています。暑い夏をさらに熱し、寒い冬をさらに冷やすことによって、懲らしめようとしているのです」

「きみたちの国が崇めるのは、そんな神なのか」

「太陽正教会は神は実りと試練の両方を与えて人を導くと説いています。でもわたしはそれが誤りだと知っています。夏冬の聖女の力がなければ、すでに人類は滅びていたでしょう」

「ヴァレンティン王国が崇拝する月光神エリエルは、人間をやさしく見守る神だ。こんな仕打ちはしない」

「わたしが母から伝え聞いた話では、エリエル様は元天使です。堕天して太陽神に対抗し、季節の魔法で人類を守ろうとしましたが、ソル様に追いつめられて、大氷河に封じられてしまいました。いまは彼女の子孫である夏冬の聖女がその魔法を受け継ぎ、世界を守っています」

「それがつまりきみというわけか?」

 わたしはうなずいた。


 ジルベールが目を大きく見開いた。 

「それではクロエは、月光神の化身ではないか!」と叫んだ。

「それはちょっと大袈裟な解釈ですが、エリエル様の意志を継いでいることは確かです」

「きみが大いなる魔法を行使できれば、すべてを信じよう」

「昨日も言いましたが、それには水晶が必要です」

 ジルベールは青い瞳をイーノに向けた。 

「北アッティカ山脈のペール鉱山で宝石が採掘されています。水晶も大量にあるとのこと。昨夜のうちに調べがついています」とイーノは言った。

「鉱山から水晶を運ばせるつもりだったが、やめよう。こちらから出向いた方が早い。馬を飛ばせば、今日中に着けるだろう。よいか、クロエ」

「はい」

 昨日につづき、今日も大変な1日になりそうだ。  

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