第4話 優雅なる尋問
ジルベールはわたしを後ろに乗せて、馬を駆けさせた。
彼にしがみついていなければ、落馬していまいそうなスピード。
わたしは彼のお腹に腕を回している。
最初は落ちないようにと必死だったけれど、草原を10分も駆けると、少し落ち着いてきた。
ジルベールのお腹が硬いのを意識するようになった。無駄な脂肪がなくて、腹筋が割れているのが衣服越しでもわかった。
男性にしては肩幅が狭くて、一見華奢に見えるけれど、背筋もしっかりとついていて、鍛えられている。
この人がわたしを暗殺者から救ってくれたのだ。
命の恩人。
わたしは落馬しないためでなく、なにも知らないこの人を無性に信じたくなって、背後からぎゅっと抱きしめた。
彼が母国から追放されたわたしの救い主でありますように……。
そんな都合のいい夢に浸りながら、わたしは馬に乗っていた。
ジルベールの後方には、彼に従う騎兵たちが、少しも遅れることなくついてきている。
暗殺者は馬にくくりつけられて、ぐったりしていた。
あんな扱いをされなくてよかった、と心からほっとした。
国境から馬で駆けること約30分。
城壁に囲まれた都市に到着した。
城門から中に入ると、ジルベールは馬の速度を緩めた。
軍事都市であるように見えた。
帯剣した大勢の兵士が街路を歩いている。
兵士たちはジルベールに気づくと、うやうやしくお辞儀をしている。彼はかなり階級が高い人のようだ。
ジルベールの年の頃は、およそ25、6といったところ。その若さで敬意を払われているということは、貴族なのだろう。もしかしたら王族かもしれない。
「ライリーという街だ」と彼が言った。
「軍事拠点のようですね」
「あまり不用意なことは言わない方がいいぞ、クロエ。きみはスパイと見なされて、殺されるかもしれない立場なんだ」
ジルベールの警告を無視して、わたしはしゃべりつづけた。
「あなたには正直に思ったことを言うことにします。腹蔵なく話して信頼していただいた方が、わたしの生存率は上がると判断しました」
「きみは馬鹿か。敵国から来た女をたやすく信頼するはずがないだろう」
「あなたこそ馬鹿ですか。敵国の女に背中を見せている。わたしは身体検査もされていない。もしナイフを忍ばせていたら、あなたは刺されるかもしれないのですよ」
「はははは、それもそうだな。馬鹿は私か」
ジルベールは明るく笑った。つられてわたしも、ふふふ、と笑った。
ライリーの中心付近に堅牢そうな石造5階建ての建物があった。
ジルベールと彼の配下らしい兵士たちがそこに入り、わたしと暗殺者も従わされた。オースティン王国人のふたりは地下に連れていかれそうになったが、ジルベールがヴァレンティン語でなにごとか告げて、わたしは暗殺者と別扱いになり、5階へといざなわれた。
窓からライリーの街とその周りの草原が見下ろせる広々とした部屋に、ジルベールとわたしと兵士ふたりが入った。
わたしはそこで水をもらうことができた。
水をもらえてとてもうれしい。でもわたしには、水分を補給するよりも、もっと緊急を要する切迫したことがあった。
「あの、お水をいただけるのは大変ありがたいのですが、その前にトイレを貸していただけないでしょうか」
「これは失敬。すぐに案内させよう」
ジルベールが指示し、兵士がわたしをトイレに連れていってくれた。さいわい個室の中まで監視されることはなかった。
「では尋問を始めよう。クロエ・ブライアン、きみは私が直々に取り調べる。なぜならきみは、敵国オースティンの重要人物である可能性があるからだ」
ジルベールはわたしを来客応接用の柔らかい椅子に座らせ、自分はその対面に腰掛けた。
彼の衛兵がふたり、わたしたちの横に屹立している。
瞠目すべきは、ジルベールとわたしの間にあるガラステーブルに、紅茶と焼き菓子のセットがふたつあることだ。これではとうてい尋問とは思えない。ほぼお茶会だ。
彼は優雅に紅茶を飲み、「クロエも飲みたまえ。尋問は長くなるかもしれない」と言った。
わたしが紅茶を飲むと、「菓子もどうぞ」と勧めてくれた。
フォークでひと口サイズに切り取って食べた。生地には干したベリーが混ぜてあり、香りの良いお酒が染み込ませてあって、高級品としか思えないケーキだった。
「美味しい……」
「それはよかった」
ジルベールも焼き菓子をひと口食べた。
「さて、私は少しばかりオースティン王国に情報網を持っている。私の情報では、オースティン王国の北の重鎮、ブライアン公爵の娘の名がクロエだったはずだ。彼女ときみの関係を述べたまえ」
「本人です」
「クロエ、きみが公爵令嬢ご本人だとすれば、サイラス・オースティン王子の婚約者であるはずだが、なぜこんなところにいる?」
「婚約は破棄されました」
「婚約破棄だと……?」
にこやかにしていたジルベールの表情に驚愕の色が混じった。
「王太子と公爵令嬢との婚約は、国家の安定のために必要なもののはずだ。簡単に破棄できるようなものではない。いったいきみはなにをしでかしたんだ?」
「なにもしでかしてなどおりません。ただ、黒水晶の生成をサイラス王子に見とがめられ、魔女だと思われただけです。それで婚約破棄され、追放処分になってしまったんです」
「黒水晶とはなんだ?」
「これです」
わたしは鞄から黒水晶と、ついでに白水晶を取り出し、ガラステーブルの上に置いた。
ジルベールは美しい黒と白の石を、興味深そうに眺めた。
彼はクールな笑みを浮かべていた。わたしがかつて見た男性の誰よりも整った顔立ちで、思わず見惚れてしまう。
「宝石か?」
「魔石です」
「説明してくれ」
「黒水晶は夏の酷暑を封じた石。白水晶は冬の厳寒を閉じ込めた石。わたしは季節の魔法を使える夏冬の聖女なのです」
ジルベールは青い瞳でわたしを見つめた。
「聖女だと? 私にもきみが魔女に見えてきたんだが」
わたしは頬を膨らませていきどおった。人類のために貢献している夏冬の聖女が、どうしてどこでも魔女扱いされるのだろう。
「黒水晶も白水晶も、この上なく大切なものなのですよ。たとえば、白水晶はこの暑苦しい夏の部屋を涼しくすることができます」
わたしは白水晶の中に閉じ込められている冷気を解放した。室温が一気に下がる。
ジルベールの顔が完全に驚愕に染まった。
「これはきみの魔法なのか、クロエ・ブライアン」
「重要なのは、冷気の解放よりも、極寒の吸収です。白水晶はその生成の過程で、冬の大寒波をやわらげることができます。そして黒水晶の魔法は、夏の大熱波を通常の暑さに戻すことができるのです。夏冬の聖女は、魔石の生成によって極寒と酷暑を退け、人類を衰退から救ってきました。それでもわたしを魔女だと思いますか、ジルベールさん」
「にわかには信じがたい話だ。その話が本当なら、魔女だの聖女だのというレベルではなく、きみは救世主だということになる」
今度はわたしが顔色を変えた。買いかぶられては困る。
「いいえ、それはちょっと大袈裟です。わたしにできるのは、夏の温度を2、3度下げ、冬の温度を2、3度上げることくらいです。たいしたことではありません」
「たいしたことだよ!」
ジルベールが叫んだので、わたしはびっくりした。
「黒水晶の力を見せてくれないか?」
わたしは黒水晶に封じられている熱を解放した。一気にやると爆発してしまうので、じわじわと解き放たれるように魔力で調整した。白水晶で冷まされていた室内の温度が上昇する。夏の暑さが戻っただけでなく、黒水晶の熱気が加わって、非常に暑苦しくなった。
「わかった、もういい。頼むから、涼しくしてくれ」
また白水晶の出番だ。冷気の放出。
「きみの話を信じよう」
ジルベールがそう言って、しばらく黙り込んだ。
「確認したいんだが、きみの婚約は完全に破棄され、オースティン王国から追放された?」
「はい」
「サイラス・オースティンときみの間には、もはやなんの束縛関係もなくなっている?」
しつこいなと思ったが、わたしは「はい」と答えてうなずいた。
「よいタイミングでクロエと出会うことができたようだ。きみ、私と婚約しないか?」
「は?」
「私はヴァレンティン王国の第二王子、ジルベール・ヴァレンティンだ。私の保護下に入れば、きみの安全は完璧に保障される」
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