第3話 旅と暗殺者とイケメン

 あと3日も旅すれば国境に着くという頃、尾行者がいるのに気づいた。

 埃っぽい旅装束を着て、リュックサックを背負い、単なる旅人に見える若い男性。

 しかしいかにも健脚そうなその人が、さして足の速くないわたしにつかず離れずついてくる。

 尾行されているみたいだ。

 いつから付けられていたのだろう。

 なんとなく、知っている姿形のように思えた。

 もしかしたら、王都からずっと追ってきていたのかもしれない。

 辺境に到達して、人影もまばらになって、ようやく気がついた。

 

 わたしが辺境の村に1軒だけある宿に泊まると、男もそこに宿泊した。

 宿泊客はふたりだけだった。

 観光地でもないのに、どうしてわたしと同じ宿に泊まる?

 羊肉の串焼きとフレッシュなサラダと焼きたてのパンという思いがけず美味しい夕食を食べながら、わたしは狭い食堂の別のテーブル席に座っている尾行者を観察した。

 見覚えのある顔だ。

 思い出した。サイラス王子の親衛隊の一員。

 王子とよく一緒に悪さをしていた不良軍人。

 王子の恋人の殺害にも加担していた男だ。

 嫌なやつだと思っていたから、その顔はしっかりと記憶していた。

 王都から付けてきていたのだ。

 それなのにいままで尾行に気づかなかったのだから、隠密行動が得意な優秀な軍人なのかもしれない。

 にやついた表情に底意地の悪さがにじみ出ている。

 わたしを値踏みするようにじろじろと見つめていた。もう尾行を隠すつもりもないのだろう。

 ここから国境までは、身を隠すのがむずかしい平原がひたすらにつづいている。


 わたしは最悪の想定をした。

 やつはサイラス王子が放った暗殺者。

 それなりに力を持つ伯爵令嬢の元婚約者なんて、秘かに殺してしまえと王子は考えたのかもしれない。

 虫けらのように女を扱い、ときに殺害してきたあの人なら十分にやりそうなことだ。

 もし本当にそうだったら、わたしはサイラス王子を許さない。

 なにはともあれ、いまは尾行者から逃げ延びて、生きてヴァレンティン王国に入国しなければならない。

 わたしは鞄の中に小指の先ほどの大きさの黒水晶がいくつか入っているのを確かめた。

 いざというときには、これを使ってやる。


 翌朝、宿から出ると、男はやはりわたしを追ってきた。

 次の日も、その次の日も。

 最悪の想定が現実味を増している。

 このあたりは茫洋とした草原で、国境は明確には定まっていない。

 20年前にオースティン王国軍とヴァレンティン王国軍が衝突し、引き分けたのもこの草原地帯だと聞いている。

 とにかくこのまま歩きつづければ、まもなく国境を越えるはずだ。

 わたしと追跡者の他には誰の姿も見えない。

 不良軍人が歩行速度を増した。殺意をはっきりと感じた。

 わたしはなりふりかまわず、走り出した。


「伯爵令嬢のクロエちゃん、ここにはあんたを守る人間はだぁれもいないよ」

 わたしは背後を見た。男がリュックからナイフを取り出した。

「美しいなあ。さすがは王子の元婚約者だよ。整った小さな顔、緑の瞳、つやつやの黒髪、細くて折れそうな腰、意外とでけえ胸と尻。おれなんかには一生縁のない上玉だ。でもいまは千載一遇のチャンスだぜ。抱かせてくれるなら、命だけは助けてやるぜえ」 

 男はもはや悪意を少しも隠そうとせず、凶悪な表情を剥き出しにして、わたしを追ってくる。

 不安が明確な恐怖に変わった。叫び出したくなるのを必死に我慢して、逃走する。

 広大な草原に、わたしとやつのふたりしかいない。

 組み伏せられたら、わたしに逃れるすべはない。

 速度はやつの方が明らかに速かった。

 このままでは逃げられない。

 戦うしかない。

 

 わたしは立ち止まり、男に向き合った。

 鞄から黒水晶を取り出し、魔力を込めて、警告なしで投げつけた。

 黒水晶が破裂し、一気に高熱が放出される。

 男は飛びのいて、距離を取った。

「こいつは驚いた。クロエちゃん、奇妙な武器を持ってるんだな。危うく火傷するところだったぜ。あちいあちい」

「立ち去りなさい。これが命中したら、あなたなんか溶けてしまうわよ」

 わたしはふたつめの黒水晶を握り、右腕を振りかぶった。

「命中したらな。そんなひょろひょろの石がおれに当たるかよ。クロエちゃんを犯すのはやめておくよ。危ない女はさっさと殺すことにしよう」

 男はナイフを真っ直ぐに突き出し、完全な戦闘体勢でわたしに相対した。

「誰の命令なの?」

「聞かなきゃわかんねえのかよ。あんたの元婚約者に決まってるだろうが。おれはあんたを殺さねえと、王都には帰れねえんだよ」

 やはりサイラス王子の差し金か。

 あの男、絶対に許さない。でも、王子は遠い王都の宮殿で、いまごろ女遊びでもしているにちがいない。

 いつか絶対に復讐してやる……!


 わたしは2発、3発と黒水晶を爆発させながら、懸命に逃げた。

 暗殺者は敏捷に避けながら、距離を詰めてくる。

「あっ」

 わたしは草に隠れていた石につまづいて、転んでしまった。

 くっ、復讐が端緒にもつかないうちに、殺されてしまうのか。

 男はにやついて、「あれ~っ、美人を犯すチャンスがまた回ってきたかなあ」と言った。


 そのとき、馬蹄が大地を叩く音が鳴り響いた。

 男の注意が音の方へ向いた隙に、わたしは立ち上がり、馬の足音のする方へ全力で駆けた。

「意外としぶとい。邪魔が入らないうちに殺してやる」

 焦りが見えてきた暗殺者にもう1発、黒水晶を投げつけて、走る、走る、走る。

 馬の乗り手が敵か味方かはわからない。

 しかし殺し屋から逃げ延びるためには、そちらに助けを求めるより他に手はない。

「助けて~っ」とわたしは叫んだ。


 小高い草原の丘から数人の騎兵が現れて、わたしの周りを取り囲んだ。

 先頭を駆ける若い男性は目を見張るほどのイケメンで、背が高く、手足が長い。

 瞳は空のように青く、髪は銀色に輝き、襟足のあたりでひとつに縛っている。

 彼が鋭くなにか叫んだが、それはヴァレンティン語で、わたしには意味がわからなかった。

 暗殺者がしまったという感じで立ち止まり、表情を歪めている。

「美しい人よ、あなたは、男に、追われているのか?」

 たどたどしいオースティン語で、イケメンがわたしに問いかけた。

「はい、殺されそうなんです。どうか助けてください!」

「か弱い女性が、男に、殺されようとしている。やることは、ひとつだ」

 イケメンは矢をつがえ、狙う時間をほとんど取らずに、さっと射た。

 暗殺者の右の太ももに矢が突き刺さった。

 イケメンが、彼の配下らしい騎兵になにごとかヴァレンティン語で命じた。

 騎兵隊は暗殺者を荒縄で縛りあげた。


「男は殺そうかと思ったが、よく考えたら、きみたちはふたりとも国境侵犯者だ。両名とも尋問しなければならないね」

 最初よりもかなり流暢に、イケメンはオースティン語を使って言った。

 国境侵犯。わたしたちは走っているうちに、あいまいな国境を越えてしまったらしい。少なくともヴァレンティン王国が自国領だと考えている地帯に、わたしはいるのだ。

 少し恐怖を感じたが、目的地に到着したのだと前向きに考えて、わたしは微笑み、イケメンに話しかけた。

「オースティン語がお上手ですね、ヴァレンティンの方、命の恩人よ」

「ちょっと話したら思い出してきた。私は4か国語がしゃべれるのだよ、美しい人」

「あなたの方が美しい。念のために確認しますが、男性ですよね?」

「もちろん男だよ。見まちがえようがあるまい?」

「あなたほど美しい方なら、男装の麗人ということもあり得るかと思いました」

 あはははは、とイケメンが笑った。


「後ろに乗りなさい」

 彼はわたしを抱き上げて、馬に乗せた。ほれぼれするほど爽やかで躊躇のない動作だった。わたしには拒否する間はまったくなかった。

 騎兵のひとりが、イケメンにヴァレンティン語で苦言を呈していた。怪しい女を乗せるなとか、そんなところだろう。

 イケメンは首を振った。

「あなたの名前を教えてください。わたしはクロエ・ブライアンです」

「ジルベールと呼んでくれたまえ、クロエ」

 彼はさらりとわたしのファーストネームを呼び捨てにした。

「助けてくださってありがとうございました、ジルベールさん」

「助かったかどうかはわからないよ、クロエ。きみは許可なく国境を踏み越えた。きみの処遇は尋問の後で決める」

「尋問までは命があるということですね。あなたが助けてくれなければ、わたしはいま頃、あの男に殺されていました」

「美女と殺し屋に出会えるとは、今日は面白い日だ。退屈な国境視察で、初めて刺激的な出来事に遭遇したよ」

 ジルベールはわたしを後ろに乗せて、馬を走らせた。

 かなり速い。

 わたしは振り落とされないように、彼の胴体に腕を回した。

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