第2話 フィリックスにて
オースティン王国は、東の大国と呼ばれている。
わたしの目的地、ヴァレンティン王国は西の大国。
王都ミラから脱け出して、わたしは一路西へ向かって旅している。
故郷のブライアン公爵領は北にある。もう今生でお父様とお兄様に会えないかもしれない。それが心残りだけど、サイラス王子から国外追放を告げられた身で、帰るわけにはいかない。
旅の宿で、手紙を書いた。
お父様、お兄様、お元気ですか。
突然のことで驚かれると思いますが、サイラス王子との婚約は解消することとなりました。
事後報告になってごめんなさい。
本来なら帰宅して謝らなければならないところですが、わたしは傷心旅行に出ます。
長い旅になると思います。
探さないでください。
不肖の娘で、本当にごめんなさい。
王家とはくれぐれも揉めないでください。サイラス殿下に罪はなく、わたしも特に悪事をなしたわけではなく、婚約解消の原因は、よくある性格の不一致なのです。
そんな理由で王家との婚約を解消するなとお父様はお怒りになることでしょうね。
でも王子とは一緒になれません。許してください。
お父様、お兄様、愛しています。暑い夏と寒い冬にお気をつけください。
我ながらひどい手紙だと思う。
でもサイラス王子を悪しざまに書くわけにはいかない。そんな文面は残せない。
婚約は話し合った末に解消したわけではなく、王子から一方的に破棄された。
わたしは傷心旅行に出たわけではなく、追放されてやむなく旅をしている。
その事実を素直に書くと、お父様は激怒して、王家に対して反乱を起こすかもしれない。
そんなことはわたしは望んでいない。
婚約破棄の真相を隠して書いたら、こんな手紙になってしまった。
これを読んだらお父様はやっぱり怒って、悲しむだろうな。
でもなにも伝えずに消えるのは心苦しすぎる。
わたしは出すかやめるかさんざん迷ったあげく、えいやっと手紙を旅先のポストに投函した。
手紙を出したのは、王国西部の主要都市フィリックス。
高台にフィリックス城があり、第2軍団が駐屯して、ヴァレンティン王国に睨みをきかせている。
ちなみに第1軍団は王都ミラにあり、国王直轄の精鋭軍とされている。現国王のオリバー・オースティン陛下は軍事調練に熱心な方だが、現在は病気がちで、馬上の姿はめったに見られなくなっている。
わたしの元婚約者サイラス王子が閲兵し、何度も軍事的野心を剥き出しにした演説をしている。世界平和を成し遂げたいなんて発言している。彼は危険な王になるかもしれない。
第3軍団はわたしのお父様、マティス・ブライアン公爵が統括している。北方の騎馬民族ヨーンに備える軍だ。ヨーンはいくつかの部族に分かれていて、散発的に侵入し、北の村落で略奪をすることがある。ブライアン公爵は代々ヨーン族の撃退に努めている。
第4軍団は南部の大貴族アルベルド公爵領に駐屯している。オースティン王国の南には魔人の国ジュールがあって、やはりときどき侵略されることがあり、小競り合いが絶えないようだ。
第5軍団は東部の主要都市ポーにある。王国の東は大洋で、半島国家チャンと島国ヤパンとの戦争に備えているが、どちらも小国で、軍団規模は他軍団の半分程度だ。
フィリックスに宿泊しているとき、第2軍団の将軍がわざわざわたしに会いに来た。
凄みのある容姿の中年男性が、肚の見えない笑みを湛えていた。
ホテルのラウンジで、わたしと将軍は初対面のあいさつを交わした後、お茶を飲み、世間話をした。
「今年の夏は暑いですな。暑すぎます」
「そうですね。確かに暑くてまいりますわ」
暑すぎるのは、夏冬の聖女であるわたしが黒水晶の生成をしていないのが理由だが、そのことは秘密だ。正統太陽教を国教とするこの国では、堕天使エリエルに連なる夏冬の聖女は日陰者。国に尽くしてきたというのに、まったく報われないものだ。
「ところで、クロエ様はサイラス殿下との婚約を解消されたとか……」
「はい。諸事情あり、そういうことになりました」
やっぱり国の有力者は知っているよね。手紙が着く前に、お父様の耳にも入るのだろうな。ため息が出てしまう。
「殿下にも困ったものですな」
将軍はサイラス王子の凶状をご存じのようだ。元婚約者への暴行のみならず、恋人を何人も殺害している。彼の暴行は有名だが、王のひとり息子で王太子ということもあり、誰も制止できない。
わたしが婚約破棄の事実を隠しても、お父様はいずれ真相を知ってしまうかもしれない。軽挙に反乱を起こしたりしないよう祈るばかりだ。
「クロエ様はブライアン公爵のもとに帰らないのですか?」
「はい。ちょっと気分転換をしたくて、物見遊山の旅をしております」
将軍はふっと笑った。わたしが追放を言い渡されたことまで知っているのかどうか、その表情からはわからない。
「それは良いですな。私も早く退役して、各地のうまい飯でも食べ歩きたい」
将軍は精悍な顔立ちで、退役などしそうにない。彼の本音はわからなかった。
その後、1時間ほど他愛もないことを話して、将軍はフィリックス城へ帰っていった。
わたしはホテルをチェックアウトして、ヴァレンティン王国へ向かう旅をつづけた。
第2軍団の仮想敵国はヴァレンティン王国。
わたしの目的地がそこだと言ったら、将軍はどういう表情をしただろう。
女がひとり敵国へ行ったところで、気にもかけないだろうか。
オースティン王国とヴァレンティン王国は、20年前に国境紛争を起こしている。
オリバー王が気力充実していた頃、大軍を率いて隣国に侵攻した。同じくらいの大軍に押し返されて、はっきりとした決着がつかないまま休戦状態になったらしい。まだわたしが生まれる前のことだ。
現在、両国の間には国交があり、経済的な交流もあるが、いつまた戦端が開かれるかわからない状況だ。
だが、ヴァレンティンは文明的な国であると聞いている。
蛮族の土地ヨーンや魔人の国ジュールへ行くのは気が進まない。
わたしは西へ向かって旅をつづけた。
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