第8話 整形手術

「それにしても、明らかに途中で鮫島の様子が変わりましたよね。どこからだったんだろう?」

 と辰巳刑事は考えていた。

「わからないかね?」

「ええ」

「私が俳句教室の話をした時さ。あの話には明らかに矛盾があったのに、あの男はそんなことにも気づかなかった。君だって、おかしいと感じただろう?」

「ええ、うちの署の女の子が鮫島を見かけたと言ったところですよね。あいつは今度の事件のことでうちの署に来たことなどないだろう? それなのに、うちの署の女の子が意識するはずはないんだ。もし意識したとしても、それをこの事件を捜査している私に話すわけはないんだよ。だから、彼は最近、この署を訪れているんだ。目的は何だったのか分からないんだが、その目的よりも、彼が署に立ち寄っていたということの方が気になるだろう?」

「ええ、そういえば、彼はうちの署に来ることをなるべくしたくないような話でしたよね? 確かに第一発見者で参考人でもないのだから、署に来ることを強制はできないけど、あんなに署に来ることを拒むというのは、ちょっと変だとは思っていましたね」

「そうだろう? そこが気になったんだ」

「それにしても、俳句教室と鮫島が関係あったんですか? 清水さんが急に俳句教室の話などをするから、どこからでてきたのだろうって思いましたよ」

 と辰巳刑事は言った。

「いやね、あれは本当に偶然だったんだけど、僕も俳句教室に少し興味があって、一度カルチャーセンターにいってみたんだけど、その時に鮫島に似た男が、うろちょろしていたんだ。入ろうかどうしようかというよりも、俳句の先生をじっと見ていたのでね。おかしいと思ったんだ。その時のことを、昨日は忘れていたんだけど、今日、もう一度鮫島の顔を見た時に、思い出したんだ。本当はあんなに責めるつもりはなかったんだけど、あおの時の態度と、今回のあまりにもできすぎた都合のいい証言に感じた時に思い出した昨日の鮫島とが頭の中でシンクロして、ついついあんな口調になったというわけさ。最初はまずいなとも思ったが、彼の反応があまりにも想定していた反応だったので、思い切ってその後も責めてみたんだ。だけど、ああいう男は下手に追い込んでしまうと、何をするか分からない。せっかくボロを出そうとしているのに、殻に閉じこもられたら、どうしようもない。そう思って、今日はすぐに開放したんだ。本当はもっと聞きたいこともあったんだけど、あの様子では本当のことを言ってくれるような気がしなかったのでね」

「そういうことだったんですね」

「ああ、辰巳刑事にもヤキモキさせたかも知れないけど、あの男が何かを知っているのは間違いない。そして、今回の事件は、、裏で自分たちが知らない何かが動いているような気もしてくるんだ。そこで問題になってくるのが昨日の奥さんさ。あの人が我々の捜査にどんなかかわりがあるか分からないんだけど、彼女は交番でもいいようなことを、いきなり警察署の我々のところにいいに来ただろう? まるで今身元の分からない人が殺された捜査をしているのを知っているかのようにね」

 と言いながら、清水刑事は虚空を見つめていた。

「この事件はおかしなことが多いような気がするんですが、何かがつながれば、意外と芋づる式に出てくるような気がするんですけどね」

 と辰巳刑事が言ったが、

「そうかな? 何か一つカギがなければ、開かない開かずの間を通り越してしまうそうな気もするんだ。それが自分たちに見えていない事件のような気がしてね」

 と、清水刑事はどうやら、

「自分たちには見えていない事件」

 ということをやたらと気にしているようだった。

――こんな清水刑事は珍しいよな――

 と辰巳刑事は独り言ちた。

「とにかく、少しだけ鮫島は泳がしておこう。ただ、誰か一人尾行させることだけは怠らないようにしようじゃないか」

 と清水刑事は言った。

「分かりました」

 と辰巳刑事は言うしかなかったのだ。

「そういえば、僕もちょっと気になることがあったんですが、さっき、昨日行方を捜したいと言ってきた奥さんがいたでしょう? あの人、どこかで見たような気がしたんです。昨日はもちろん覚えていませんでしたし、さっきまでも、まったく意識になかったんですが、清水さんは、やけにこの事件の知られざるウラという言葉を気にしているのを感じると、何か背中がムズムズしてきて、それがどこから来るものなのかを考えていたら、どうやら昨日の奥さんなんです。どこで見たのかまではハッキリとは覚えていないんですが、ひょっとしたら、何かの事件でかかわったことがあったかも知れません」

「それがどんな事件だったのかが分かれば、もう少し見えてくるものがあるかも知れないね」

 と清水刑事は言った。

「ところで俳句研究会なんですが、あれって若狭教授の俳句ですか?」

 と辰巳が訊くので、

「ああ、そうだよ。ポスターに書いてあったのは。若狭教授という名前だったと思う。テレビに出たりしている先生なんだろう?」

 と清水がいうと、

「何言ってるんですか、俳句の世界ではあの先生は名誉教授と言ってもいいくらいの、現代では第一人者の先生ですよ。それがこんな中途半端な街でカルチャースクールの先生など、以前ならありえないくらいの権威のある人でしたよ」

「君は詳しいんだね」

「ええ、実は、大学時代に俳句に凝った時期があったんです。お恥ずかしい話、好きになった女の子が俳句が好きなもので、いろいろ勉強しました」

 と辰巳は照れ笑いをしたが、

「それで上達は?」

「いえいえ、なかなかうまくいきませんでした。その時にですね、若狭教授についていろいろ余計な情報をくれるやつと仲良くなったんですが、そいつは若狭教授だけではなく、いろいろな人の裏話をネットで拾ってくるのが得意なやつで、こっちは半分信じて、半分信用していなかったんですが、若狭教授にはいい面悪い面いろいろありました。悪い面としては、隠し子がいるという話を訊いたことがあります。ただ、その隠し子というのは内輪では公然の秘密だったようで、知っている人たちがスクラムを組んで、教授の名誉を守ったそうです。だから、隠し子伝説というのは、どこまで信憑性があるか分からない部類の話でした。悪い方とすれば、若狭先生は有名人が死んだ時、忘れられたような人が多かったりするじゃないですか、昔の大スターなどでも、晩年は寂しくなんてよく聞きますよね。そんな人を探してきて、かつての栄光を大々的に宣伝して。英雄にするというような団体があるんですが、その団体に所属していたらしいというウワサです。その団体は今は半分鳴りを潜めていますが、それは詐欺じゃないかというウワサが立ったからで、そのうちにウワサが消えるとまた活動を始めるという感じで、今まで生き残ってきた団体です。ハゲワシ集団などという名前だったような気がしましたが」

 と辰巳刑事は言った。

「ハゲワシ軍団? 聴いたことがないな」

「そうでしょうね。変に有名になると、出る杭は打たれるという感じで、攻撃されやすくなるので、その前に有名になるのを避けようとするんです。それが彼らのやり方なんですが、若狭教授はその団体に所属しているという話でした」

「なるほど。それでその話には信憑性はあるのかね?」

「ええ、難しいところだとは思いますが、私はあるような気がしていました。若狭教授が俳句の権威になったのも、大金が動いたというウワサもあって、その金の出所が分かりません。教授が権威を金で買ったなどという誹謗中傷も少なからずにありました」

 と辰巳刑事は言った。

「ハゲワシ集団は、ハングレ集団と似たようなものなのかな?」

「少し違うと思います。彼らは若狭教授を筆頭に、頭脳集団なんですよ。でも、過激なことはしません。表に出そうになったら、すぐに隠れようとするような団体ですからね」

 辰巳刑事がどこまでこの集団のことを分かっているのかは知らなかったが、集団と若狭教授との間に何かがあるとすれば、若狭教授と鮫島が何かで繋がっているとすれば、彼もハゲワシ集団に関係があるのかも知れない。

「ちなみにそのハゲワシ集団というのは、まだあるのかな?」

「あると思いますよ。彼らは一応慈善団体になるんでしょうかね?」

「話を訊いている分には、そんな感じはないが、表に出てこないというのは厄介な集団だ。しかもそこに大枚が絡んでいるとすれば、それこそ、隠れた事件というべきなんだろうね」

 と清水刑事が言った。

 事件がどういう形に推移するか分からないが。清水は自分が確信を掴んでいるように思えてならなかった。

「それで、その集団は、詐欺をするんですか?」

「どんな手口なのかは分からないが、とにかくやつらは、かつて一度は絶頂期を迎えた芸能人やアーチスト、スポーツ選手などが、最後は悲しく人知れずにこの世を去ることに目を付けたんだ。本人たちはそれでもいいかも知れないが、家族や先生と呼ばれる人たちの名誉や知的財産を管轄している人にとっては。あまりにも寂しいことですからね。それをもう一度脚光を浴びるようになれれば、これ幸いですよね。そんな気持ちに付け込んで、一度は話題になるけど、やっぱり死んだ人なので限界もある、すぐにすたれるというものなんだけどね」

「確かにそうでしょう。今でも売れなければあっという間に忘れられるんですからね」

「でもやつらは、頼まれてからは一度は、一瞬でももう一度栄華を見せてくれるんだよ。でも忘れるのは世間だからね。いくらサクラを使ったりして人気が出たように思わせても、すでに世間は知らない人になっているんだから、まず再興は無理なんだよ。もちろん、彼らも頼まれてから、最初はそのことを念押ししているから、トラブルは起こらない。彼らにはどのようにお金が入ってくるのかまでは分からないが、ちゃっかり儲かったような形になっているんだ。それで、頼んだ遺族の方も次第にこの集団が胡散臭く感じられるようになり、ハゲワシ集団は詐欺だなどというデマを流したりしていたんだろうね」

「本当にデマなんですかね?」

「それは分からないけど、若狭教授のような有名人も入っているということをどう見るかだよね? お得意様に安心させるためか、それとも、若狭教授の自主的なものなのかが分からないので、これも何とも言えない。どこか、悪徳宗教っぽさはあるよね」

 なるほど、清水刑事のいうのももっともであった。

「そういう意味で、ちょっと立場や規模に違いはあるんですが、スポーツ大会運営代行業者というのをご存じですか?」

 と辰巳刑事は言った。

「ああ、聞いたことはある。何でも、アマチュアのスポーツ大会が毎年どこかの都市で開かれるので、招致の段階からかかわって、最終的に閉幕までの相談役であったり、運営などを担うという組織のことだろう? いろいろなところでウワサになっているので、俺もそれなりに知っているつもりだが、そこがどうかしたのかい?」

「実はですね。例の死体が発見された公務員住宅になるって言われているあのマンションですがね。あそこにもスポーツ大会代行業者の人が住めるようになるという話があるようなんです」

「えっ? あそこは公務員じゃないといけないんじゃないのか?」

「いいえ、公務員住宅とは、表立って発表していませんから、別に公務員でなくとも、慈善事業を行っているような会社の社員であれば、大丈夫なようなんです。もちろん、不動産側の審査はありますけどね。実際に、マンションが建ってからの入居者もすでに何人か決まっていて、そのうちの数人がそのマンションに住むことになっているということなんです」

「そうだったんだな。でも、それと今回の事件に何かあるのかい?」

 と清水刑事が聞くと、

「実は死体が見つかって、すぐに現場にいった時、途中で騒ぎを聞きつけた近所の人の野次馬がいたんですが、その谷治梅の人が話しているのが聞こえてきたんですが。どうやら、あのマンションのオーナーは、スポーツ大会代行業のオーナーなんだそうです。だから従業員が住めるということなんですが、その社員の中の一人が、最近よく、あのあたりに出没していたっていうんですね。建設現場を外から嗅ぎまわるような態度を取って見たり、カメラで何かを撮ったりしていたそうなんです。そのことが気になったので、この間の聞き込みの時、その奥さんを探して聞いてみたんですが、奥さんがいうには、殺されたのはその人ではないかというんですね。自分が見たわけではないから分からないけど、夜中もたまに誰かが、門を開けて侵入していると言っていましたからというんですよ。これって何か気になりませんか?」

 という辰巳刑事に対して、

「うーん、何か感じるものがあるね」

 と清水刑事も唸っていた。

「ちなみの、そのスポーツ大会代行業というのも、どこか胡散臭さがあるような感じなんですよ。元々スポーツ大会の誘致というと、地域住民の中でも賛否が分かれるじゃないですか。人によっては、地域が潤って経済が活性化して、商店街に活気が戻るなんて思っている人も多いでしょうよ。でも、それはオリンピックと同じで、大会前の特需があって、大会中にどれだけ売れるかというのは問題になるでしょう? でも、終わってしまうと一気に不況ですよね、逆Ⅴ字とでもいえばいいんですかね」

 と辰巳は言った。

「なるほど」

 と清水刑事はまた唸った。

 調子に乗って、辰巳刑事は、どんどん自分の説に酔っているようだ。

「オリンピックがいい例じゃないですか。招致が決まるまでは、招致合戦を行って、プレゼンに精を出す。だけど、そういう時はインフラの整備、それから街の安全性を示すために、治安や教育、そして風俗に目を光らせる。ギャンブルであったり、風俗営業の店などは一番にやり玉に挙げられて、潰されてしまう。さらにインフラの整備で区画整理が行われると、その土地にいた人が立ち退きのあおりを食う。しかも、立ち退いたとしても、その場所に新しい店が建つわけでもなく、区画整理の前の方が賑やかだったりするところは全国にもたくさんある。新幹線が通る駅だからと言って、新幹線が開通する前よりも人通りが少ないなんてザラですからね。その分、在来線が減ってしまうと、外から来る人はいいけど、実際に住んでいる人は溜まったものではない。区画整理は土地開発などというのは、そういう問題が裏返しにあるんですよ。それを思うと。虚しくなってきますよね」

 と辰巳刑事は溜息をついた。

「それは私もいつも感じていることさ。風俗の街なんて、場所によっては、街全体が滅亡してしまうのを意味している場合もある。昔は普通の商店街だったものが、バブルが始めた影響や、郊外型の大型ショッピングセンターが流行ってくると、いちいち駅前の商店街には行かないからね。そんな場所の復興にと、苦肉の策で、風俗の誘致を行う。そのおかげで風俗の街として、滅亡を免れて、せっかく細々とやってきたのに、スポーツ振興のためという名目で、大規模な規制が入り、次第に営業ができなくなる店が増えてきて、最後には百件以上あったお店が、数件になるなどという壊滅を見ることになるんだよ。俺は損な店をたくさん見てきた。風俗の店なんて、横町にあるちょっとした店と同じだからね。一軒潰れると、連鎖で潰れる。潰れた店の常連がこっちに来てくれるわけではない。常連の店がなくなったら、もうこのあたりには寄り付かなくなるだろうね。一応スポーツ大会という話が出ていての衰退だということが分かっているので、衰退していく街にずっと通い続けたりはしないものだからね」

 と、清水刑事は言った。

「そうなんですよ。そのまま潰れてしまうと、しばらくは、もう草も生えないという状態ですよね。一度は何とか立ち直ろうとして頑張った人たちも、ここに至ると正直、気力をなくすでしょうからね」

 と辰巳刑事は言った。

「で、そのスポーツ代行業というのは、どこから面倒見るって?」

「承知のところからですね。区画整理の計画やプレゼンなどは、今までのノウハウがあるから、それをひな形にして、行政と一緒になって詰めるわけです。その時に、街の買収や、ちょっとヤバい買収も彼らに任されるんですよ。要するに、行政が立ち入ることのできない泥臭いところを、彼らが受け持つ。まるで、パチンコ屋の用心棒のような感じのところから始まるようですね」

 と辰巳刑事がいうと、

「それじゃあ、最初からヤバい行動を表立ってやることになるということかな?」

「もちろん、暴力や脅迫は最後の手段でしょうが、ある程度、お金で解決できるところはお金でというのが基本でしょう。そのためには、どこかの政治家と繋がっていた李、財界も掴んでいないと、こんな組織はやっていけないでしょうからね。そういう意味では、やつらも利権の犬とでもいうところかも知れません」

「ということは、健全と言われるスポーツも、ドップリと利権に塗れて。二進も三進もいかないという感じなのかな?」

「そういうことでしょう」

 と辰巳刑事がいうと、ちょっと会話が途切れたが、辰巳刑事は何かを思い出したかのように話し始めた。

「でもですね。やつらのような団体も、詐欺的なことはしないのが普通なんですが、どこかで詐欺とつるんでいるという話があるんです。そうでもしないと、いくら政財界に繋がっていると言っても、そう買収資金はでませんからね。それで見えてきたのが、さっきから話題になっていた『ハゲワシ集団』なんです。やつらとスポーツ運営代行業とはどこかで繋がっているというウワサを訊いたことがありました」

 というのだ。

「その話は、今思い出したのかい?」

「ええ、話になる前も何か引っかかっているものがあったんですが、さっきハゲワシ集団という話をしていると、思い出したのは、スポーツ大会運営代行業だったんです。実は話しているうちに何かを思い出せればいいという思いだったんですが、まんまと思っていたような記憶に辿り着きました」

 と辰巳刑事は言った。

「今一番最初に確認してみたいのは、昨日やってきた奥さんに、もう一d聞いてみたい気がするね。あの時の旦那の写真も貰っておけばよかった」

 と言って、清水刑事はいった。

「じゃあ、あの後、奥さんが旦那の捜索願を出しているだろうから、それを確認に行ってみましょう」

 と辰巳刑事は言った。

 捜索願が出されたら、警察のデータベースに保管されるので、基本的には、そちらを見るのが正解である。辰巳刑事はさっそく検索してみた。だが、不思議なことに昨日この警察署から出された捜索願の中に、昨日の奥さんに該当する者はなかった。

 ちなみに隣接の警察署も見てみたが、昨日の捜索願として、三十歳くらいの奥さんから、旦那さんが行方不明になっているという旨の捜索願はなかった。

「どういうことなんでしょうか?」

 と辰巳刑事は訝った。

「昨日の奥さんは行方不明にもなっていない旦那を探してほしいと言ってきたのか、それとも、警察ではあてにならないから、警察以外の探偵事務所などに行って、直接お願いしたのかのどちらかなのではないだろうか? もし、他の探偵にでも頼んでいれば、それはそれでいいんだけど、もし、昨日の捜索してほしいという依頼事態に虚偽があったとすれば、果たしてどういうことになるのだろう?」

 と清水刑事は言った。

「奥さんが、いきなり刑事課に来たというのもおかしなことだよね。確かに昨日は殺人事件があったので、被害者の身元が分からずにいたことで、奥さんに遭ってみようと思ったが、もし何もなければ、我々が会うこともなかったでしょう。それなのに我々のところに来たというのは、事件の存在を知っていたということも考えられなくもない。それでいて捜索願を出していないというのは、やはりあの申し出は彼女の狂言だったのかも知れないですね」

「じゃあ、君はあの奥さんが誰か知らない人か、あるいは失踪もしていない自分の旦那の写真を見せて、あたかも失踪したかのように装ったということだろうか? 一体何の目的でそんなことをするんだろう?」

「考えすぎカモ知れませんが、本当に旦那さんは失踪しているかも知れませんね」

「どういうことだい?」

「奥さんはわざと我々のところに来て、旦那が失踪したと訴えた。遺書ともとれるような文章を残して行方不明になったという印象を植え付けて、写真まで見せてくれたが、その写真と今回の被害者が別人であることを奥さんは最初から知っていたのではないかと思うんですよ。つまり、我々に失踪事件があったが、どこかで今捜査している事件と結びついているかも知れないと思い、再度男の顔を確認しようと、きっと出したはずの捜索願を確認しようとするが、捜索願が出されていない事実が判明する。我々はそれwどう感じるか? きっと奥さんの狂言だと思うだろう。もしそれが狙いだとすると、その目的は何であったとしても、写真の旦那さんがひょっとすると、もう捜索しても見つからないところに葬ったのではないかと考えるのは、あまりにも突飛ですかね?」

 と辰巳刑事は言った。

「うーん、確かに突飛ではあるが、それを否定できるだけの考えが私の頭の中には浮かんでこない。ただ、これがさっきから感じている胸騒ぎの中の、『自分たちのまだ見えていない事件』だったとすると、何となく理屈に合いそうな気がして、ぐっと信憑性も高くなる気がするんだけど、そうなると、旦那はすでにこの世の人ではなく、死体も上がらないということになっているように思えるんだ。奥さんは我々にそのことを感じさせたくないので、わざと狂言めいた芝居を打ったのではないかという考えになって、結局君の意見に辿り着いてしまうんだ」

 と清水刑事はいい、二人の考えがどこかで一緒になって、交錯した場所から、絡み合うようにして、強い糸を紡ぐように感じられてきた。

 そんなことを聞いていると、今度はまた別の人が、

「被害者を知っているかも?」

 ということで、出頭してきた。

 すでに事件の内容は夕刊に出ていたので、夕刊を見たのか、ひとりの男性だった。被害者は自分の兄かも知れないというのだ。

 さっそく死体との対面をしてもらったが、

「これは兄です」

 というではないか。

「お兄さんの写真か何かありますか?」

 と聞くと、

「いいえ、ありません。でも、警察であれば、持っているのではないでしょうか?」

 というので、ビックリして聴いてみると、

「兄は以前、詐欺を行って、警察に捕まっているので、その時の写真が残っているはずです。でも……」

「でも?」

「以前、逃走中に兄は整形手術を施しているので、その顔は写真では分からないと思います。僕は兄の身体の特徴を知っているので、兄だと断言しましたが、普通であれば、身元は分からないでしょう」

 という話だった。

 清水刑事と辰巳刑事は顔を見合わせた。

 なるほど、そういう事情で、しかも生計をしているとすれば、身元が簡単に分からなかったのも無理はない。所持しているお金があったが、身元が分かるものを所持していないのは不思議であった。運転免許や保険証すら持っていなかったのを、もっと不思議に思うべきだった。それを思わなかったのは、顔も分かっていることだし、すぐに身元が判明するとタカをくくっていたからであろうが、偶然に近いとはいえ、弟が名乗り出てくれたことは本当に幸運だっただろう。犯人側からすると、被害者の身元が分かるのは、いつであってもよかったのか、それとも、やはり簡単に分かってしまうのを恐れていたのかも分からない。そもそも被害者の顔が整形であるということを犯人が知っていたのかというのも疑問である。整形した後の被害者の人生の中で知り合った相手であれば知らなくても当然のことであり、不思議ではないだろう。しかし、知り合ってからどれくらいが経過した時点で、毒殺迄して相手を葬ろうという思いになったのか、そのあたりは重要であろう。被害者が詐欺を行って逃げているということが本当であれば、犯人は、以前、その男が働いた詐欺による被害者だったのかも知れない。そうも考えられないだろうか?

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