第6話 出入り口の疑惑
鑑識から報告が入ったのは、その日の午後になってからのことだった。
まずは司法解剖の結果であるが、やはり死因は薬物によるショック死、呼吸困難や痺れを伴うようなものだったろうということ、さらに時間は、死後十二時間くらいだろうということなので、午後九時から十時くらいの間ということになるのだろう。第一発見者の鮫島が通りかかった時間が十二時前だということもあって、大体の時間的な理屈は合っている感じだ。
二時間以上も死後経過していれば、顔色の土色に変わっているだろうから、そのあたりもよく分かるはずであろう。
そう考えると、あの時電気が明るくついていた理由も分からなくもない。一つは、あの時間、鮫島が通りかかるのが分かっていて、早めに死体を発見させるためにわざと目立つ湯オニしたのと、明るくしたうえで、さらに顔色が悪いとすれば、それは死後かなりの時間が経っているということも裏付けでもあるようだ。
ただ、毒殺についてはどんな毒を使ったのかはまだハッキリとはしないが、呼吸困難に陥って、身体が痙攣していたことは分かっているので、そのあたりの症状が出る薬物を模索しているところであった。
他に外傷はこれと言ってなかったが、以前に怪我をしたのか、足の骨にヒビが入っている部分があるようだった。
「これでは歩きにくいはず」
という初見もあり、目撃者捜しに。足を引きづっていた男性を見たかどうかというだけでも手掛かりになりそうだ。
そういう意味では、この報告は役になっていると言ってもいいだろう。
司法解剖に関してもう一つは、胃の内容物の消化状態に対してでは、
「食事をしたのは、死ぬ前の、五時間くらい経っているはず」
ということなので、遅い昼休みだったのか、早すぎる夕食だったのか。
逆算すれば、四時から五時くらいということになる。それではまるで病院の食事のようではないか。
だが、この発想が意外と早く被害者と特定できた。さっきの足の怪我というのと、食後五時間くらいのものだということから、病院というのも無視できなくなった。
その前に報告の続きであるが、一つ興味深いことがあったのだが、死体がうつぶせになっていたところから少し離れた壁近くに、光るものが落ちていたという。それを見ると、少し小さめのブローチだったという。明らかにオンナ物で、そこに女性がいたという可能性も否定できなくなってしまった。
それを見た清水刑事は、
「う―ん」
と唸った。
「これはどういうことなんだろうか?」
とさらに言った清水刑事はいった。
「確かにそうですね。そのブローチがいくらくらいのものだったのかは分かりませんが、ブローチのようなものを落としたら分かりそうなものだし、少なくとも探していようとは考えるはずですよね。そもそもどうしてブローチをつけるような人があの場所にいたのもおかしなことだし、落ちたのに気付かなかったわけではないのであれば、少しは探してみようと考えるはずです。それなのに、その場にブローチを置いたまま立ち去るということは、一つには被害者には、すぐにその場を立ち去らなければならない状況に追い込まれた場合ですね。例えば誰かに追われていて、その場所に逃げ込んだという考え方。もう一つは死体を見て、ビックリして我を忘れて立ち去ったという考えたか。さらに、その場で何者かに襲われて、争っているうちにブローチがちぎれるかなにかして、飛び散ってしまったので、とにかく逃げることが先決だったという考え方。そして最後には苦しんでいる被害者に遭遇してしまい、苦し紛れの被害者に捕まってしまい、必死に逃げたという場合、それぞれに可能性が考えられるんじゃないでしょうか?」
と言った。
辰巳刑事の考えはそれぞれに信憑性が感じられた。共通して言えることは、その場で何かに遭遇し、逃げるというシチュエーションである。ただ、追われて逃げてあの場所に入ったという以外は、あの場所でブローチが落ちているという事実には、かなり薄いものがある。
だが、追われてあの場所に入ってしまったのであれば、誰かに襲われているわけだから、彼女自身、最後には交番に飛び込むか、どこかの家に助けを求めるかするはずであり、最終的には被害届を書くことになるだろう。
そう思って、一人の刑事を、あの場所に関係した被害届が最近出ていたかどうか、確認してもらうことにした。してもらうことにした。してもらうことにした。
どちらにしても、ブローチが落ちていたということは、この事件に関係あるなしに関わらず、重要な手がかりであることに違いはなかった。
二人はさっそく、昨夜の現場に再度行ってみることにした。そろそろ工事現場の人が来ているだろうから、何かが訊けるだろう。
昨日は深夜遅かったので、ビルの管理会社に連絡を入れる時間がなかったこともあって、さぞや現場の連中はビックリしていることだろう。自分たちが掛けている立入禁止の札とは違った立入禁止のシールが貼ってあり、しかもそこには県警の名前が入っているのだから、さぞや現場の人はビックリして管理会社に連絡を取っていることだろう。
そう思って現場に行くと、現場作業員は、いつもと変わらない様子で、奥で屯してタバコを吸っていた。
「失礼しますよ」
と言って、辰巳刑事が入っていくと、
「何ですか。ここは立入禁止ですよ」
と、高圧的な態度で入ってきた辰巳を刑事と知ってか知らずか、脅しかけているかのようだった。
「それはこっちのセリフなんだけどな」
と言って、相手を下から睨みを聞かせると、
「あっ、これは警察の旦那で?」
と、急にね猫撫で声になっていやがる。
「そうだが、お前たちこそ、県警のしるしが見えなかったのか?」
と現場の作業員も、
「何かあったんですか? あれじゃあ、まるで殺人現場の立入禁止みたいじゃないですか」
と一人がいうと。
「そうだそうだ。こっちは仕事できないじゃないか」
ともう一人が急き立てた。
「まだ分かっていないようだな。今お前がちゃんと言ったじゃないか」
というと。
「へえ? まさか本当にここで殺人事件があったんですか?」
「ああ、そうだ」
という問答の間に、詰め所になっているプレハブから一人の男性が降りてきて、
「ああ、刑事さんですか、ご苦労様です。今管理会社に連絡を取ったら、昨夜ここで殺人事件があったとかで、ここを立入禁止にしたとか伺いましたが、本当にそうなんですか?」
と聞いてきた。
「ああ、そうだ。昨夜の九時頃に殺されたということになっていて、発見されたのは午後十一時過ぎだったようだ。だから、夜中のことなので、君たちには連絡が行っていなかったので、さぞや驚いただろうが、そういう事情で、ここは当分立入禁止になる。現状保存が第一なので、君たちには申し訳ないが了承願いたい」
と清水刑事が言った。
「はあ、そういうことでしたら、我々も協力しないわけにはいきませんからね」
と詰所から出てきた男がそういった。どうやら、年齢的にもこの現場の監督はこの男のようだ。
「あなたがここの監督さんになるのかな?」
と聞くと、
「へえ、そうですが」
と答えたので、
「少しお話をお伺いできないでしょうか? 何分、事件が夜中だったので、我々にはこの現場の普段の状況が把握できていないんですよ。そのあたりからお伺いできればと思いましてね」
と清水刑事がいうと、
「わかりやした」
と、快く了解してくれた。
「ありがとう。さっそくなんだけどね。ここの現場は、いつ頃から、やっているんだい?」
と訊かれて、
「ここには以前、児童公園や小さな倉庫がいくつか乱立している地帯だったんですが、行政の区画聖地というやつが入りましてね。それで、ここを解体し、新たにマンションを作るという計画になったんですよ。それが二年前ですかね。それで、一年前に解体が始まって、実際に更地になったのが半年前、それからここを全面立入禁止にして詰め所を作って、それからやぐらを組んで、表のコンクリートを壁は、ある程度でき喘のものを持ってきたんですよ。ただ、それはあくまでも仮説のもので、後からしっかりしたものにするんですが、どうやらこのやり方というのは、日本では珍しいらしく。我々も初めてなんですね。だから、最初は時間がかかってもいいからということで、モデルケースとして行っているんです。そのために、最初の方の工事というのは、本部でも試行錯誤、我々は本部の言うとおりにやっていればいいというわけですよ。だから、毎日こうやって通ってきてはいますが、作業自体はほとんどありません。下手をすると、中に入ることもしませんからね。本部の許しがなければ入れないという感じです」
と親方は言った。
「なるほど、じゃあ、中で何かあっても、時間外であれば、誰も気づかないということがあり得るというわえですね?」
と辰巳刑事が聞くと、
「ええ、そうです。下手をすれば、もし中で誰かが死んでいたとしても、数日間誰にも見つからないなどということはあったかも知れません」
「そのことを知っているのは、お宅の会社の関係者以外ではありますか?」
と聞かれた親方は、
「ほぼないとは思いますが。工事関係者に別に緘口令が敷かれているわけではなかったので、家族か誰かに気軽に話すくらいはあったかも知れませんね。ということは、それを知ってここを殺害現場に選んだということですか?」
と、親方が今度は逆に質問した。
「いや、そうではないんだ。いずれニュースになるから分かることなんだけど、被害者は毒殺だったんだ。だから、ここでナイフで刺したり、絞め殺したりという修羅場があったわけではない。ただ、一人の男が苦しみながら、血を吐いて死んだということになるんだろうね」
と、清水刑事が返答した・
それを聞いて親方は唖然としていた。殺人事件というのは分かっていたので、しかも、誰にも見られることなく殺害するには一番好都合な場所であるだけに、彼ほど薬物による犯罪などを想像できなかった人もいないだろう。
そう思うと、逆に別の意味での取り調べになることで、さぞや奇抜な話が訊けるかも知れないと思い、清水刑事は少し興奮気味だった。
辰巳刑事はというと、どうもこういう現場の人間は苦手なのか。ずっと睨み合っているような気がして仕方がなかった。
「一つ気になったことがあったんですけどね」
と清水刑事がいうと、親方は、タバコを吸いたいのか、少しう指でピースをするような素振りをしているのを辰巳刑事は気付いていたが、清水刑事はお構いなしだった。
「へえ、何でしょう?」
というので、
「実は殺害現場はこの先のちょっとした広場になっているあたりになるんだけど、あそこで結構明かりが眩しかったんだけど、普段は明かりは薄暗いと聞いたんだけど、昨日に限って消し忘れたとかいうことはないのかね?」
と質問した。
これは先ほど、辰巳刑事と清水刑事の間で話にもなったことだが、結論めいたことは出なかったことだった。
「はあ、確かにあそこは、この建物の中でロビーに当たるところが出来上がる予定なんですが、そのために、結構最初から早めに着工しているんですよ。一番最初にこの建物の外壁を仮に建てた時、一緒にここの壁と、地面のコンクリートで固めるところまでは一番に手がけました。けど、途中で工事が停まってしまって、いえね、こういう建築現場にはありがちで、予定が一気に進む時もあれば、まったく進まない時もある。本社の意向によるものなのでしょうがないんですが、ロビー部分だけはとにかく最初に作りました。だから、あそこには一番h仮の強い照明を持って行ってるんですが、何かをしない間は。真っ暗にならない程度の薄暗い明かりを普段はつけています」
と親方は言った。
「分かりました。じゃあ、あの場所はほとんど土台だけは出来上がっていると見てもいいんですね?」
と清水刑事がいうと、
「ええ、土台だけですけどね」
と、親方も答える。
「昨日は明かりが明るくついていたんですか? でも、よくその違いに気づかれましたね」
と親方は言った。
確かに、警察によって発見されたのであれば、普段を知らない警察は少々明るかったとしても、それはいつものことだと思って、わざわざ聞くこともないはずである。それなのに聞いてきたということは、普段の明るさを知っているということかと思うと、親方は少し不気味な気がした。
「いえね。実は第一発見者がいるんですよ。その人は普段から残業をしていて遅く帰宅するサラリーマンなんですが、ここにこんなものが建つから、駅から家まで遠回りになるということで、近道をしているそうです。その時にこの前を通っているんですが、その時と明かりが違っていたので、普段は覗き込まないはずのこの場所を覗き込んで、そこに誰かが倒れているのを発見したという次第なんですよ」
と清水刑事が説明した。
「えっ? 夜にこの中に入って近道をするですって? そんなことができるのかな? 確かにここは、工事現場ということもあって、セキュリティのようなものがしっかりしているわけではないので、カギを開けようと思えばできなくもないけど、それだって、素人ではできないですよ」
と親方はいう。
「ん? じゃあ、普段はこの扉の鍵は閉まっていて、他の場所も表からは開かないということですか?」
「ええ、そうです。しかも、こっちから入って向こうに抜けるなんて言うのは、ちょうどここに高くなったこの場所のカギを開けなければ不可能なんですよ。門も結構高いので忍者でもない限り、乗り越えることは不可能です」
と親方は、正面の門を指差す。
確かにそこには資材搬入や。土砂の搬出などにトラックが往来できるように、大きな扉が観音開きで作られている。高さも三メートル以上はある高さなので、よじ登ることは手や足に吸盤でもついていない限り不可能だろう。
「じゃあ、向こうの出口というのも無理なんですか?」
「ええ、無理でしょうね。その人が第一発見者というのもなんか怪しいですね」
と親方はいう。
確かに、いくら工事現場とはいえ、普通のサラリーマンが簡単に出入りできるような作りにしているわけはない。確かにセキュリティのようなものはないかも知れないが、そうなると、中から誰かが手引きをしたということになるのか? 清水刑事にはよく分からなかった。
そうなると、明かりの話どころではなくなってくる。第一発見者の鮫島という男の動向が何を考えているのか、よく分からない。
「あっ、いや、ありがとう。それじゃあ、また伺うことになるかも知れないけど、その時はまた」
と言って、そそくさと引き上げていく二人の刑事を見て、親方はさぞ滑稽に感じたであろう。
いつも威張り散らしている感覚のある刑事が、自分の一言で、バツの悪そうな顔をしてそそくさと逃げ出すように引き上げていくのだ。自分が撃退したわけではないが、相手が警察だということもあって。これほど面白いことはないと思ったことだろう。さぞかし、指をさして大越で笑ってやろうと思ったことであろうか。
二人の刑事も、さすがに恥ずかしさがぬぐえなかった。
――どうしてこんなことになったんだ?
と感じている。
特に勧善懲悪をモットーにしている辰巳刑事の憔悴は激しいものだった。歯ぎしりとともに、目が血走っていて、上司であっても、迂闊に声を掛けられないと言った雰囲気である。
「とりあえず、署に戻りましょう。第一発見者の鮫島にはもう一度遭ってみる必要がありますよね」
と辰巳刑事が声をかけると、
「もちろんだよ。あいつ、ぬけぬけといかにもというような話をしやはって。警察を舐めるにもほどがある」
とさすがに清水刑事も頭に血が上っている様子だった。
「でも、変ですよね。こんなにすぐに分かりそうなウソをあんなに平気でつけるというのもおかしいし、何も死体を発見したからと言って、後ろめたいことがあるんだったら、警察に通報しなければいいんだ」
と辰巳刑事がいうと、
「そうなんだよ。そこがおかしいんだ。でも、そういう矛盾をすべてひっくるめても、一つだけは達成せなければならない理由がそこにはあった」
「それは何ですか?」
「それは第一発見者になることだよ。しかも、これは刺殺や考察ではなく毒殺だよね? だからいつ死ぬか分からない。死んだところを自分が第一発見者になるために、被害者をつけていたとすれば、何か理屈もわかりそうなものだ」
「ということは、あの扉を開けたのは、鮫島ではなく、被害者だったということになるのかな? そして、誰か内部の人間が入れるような手引きをした?」
と辰巳刑事がいうと、
「理由は分からないが、そう考えるのが一番な気がする」
と清水刑事が答えた。
「そうなると、共犯者がいたということなのか、それとも、被害者の側に仲間がいたということなのか、少なくとも被害者と犯人、そして第一発見者の鮫島と、さらに、もう一人いたということになるんでしょうね」
「そうだな、そして、鮫島と、このもう一人は同一人物にあらずなんだ。そうなると鮫島とこのもう一人の関係は本当にまったくないのかということが問題になってくる。少なくとも、鮫島はすぐにバレそうなウソを言ったわけだから、そこに何か思惑があるんじゃないかな?」
と清水刑事は考えている。
「どうも気になるのは。毒殺でいつ死ぬか分からないというのは、普通はアリバイ作りに使われることだよね。でも、もし第一発見者の鮫島が被害者を追いかけていて、自分が第一発見者になるというのが目的だとすれば、何かがおかしいですよね。理屈的に矛盾が生じているというか、この共犯というのも見えてこないし、もし、今回のカギの話がなければ、共犯なんて発想も出てこなかったですよ」
「そう考えれば、この共犯がいたということを我々が知るのも時間の問題だったわけだよな。犯人、あるいは犯人たちにとって共犯者を知られることは問題ではないのか、このタイミングで知られるようにわざと仕向けているのか、そのあたりにも何かありそうな気がしないか?」
「そうですね、第一発見者の鮫島も、もう一人とは違った意味での共犯なのかも知れないですね」
とそんなことを辰巳が言い出すと、ふいに清水刑事が立ち上がって、虚空を見つめた。親権なまなざしは何を意味しているのか分からないが、その次に出てきた言葉を聞いてあまりにも突飛な発想を清水刑事が抱いていることに気付き、あっけにとられたというよりも、呆れてしまったと言った方がいいだろう。
「交換殺人?」
と、清水刑事は漏らしたのだった。
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