第3話 若狭教授
若狭教授は、博士号も持っていて、俳句研究においては、現代日本の三本の指に入るほどの大先生である。
そんな先生が何を思ったのか、ハゲワシ集団に入団してきた。
教授は年齢的にはすでに七十歳近くになっていたので、普通の会社であれば、とっくに定年退職であったが、名誉教授として現役でもあった。
そんな先生が得体の知れない団体に入団して、しかも、自分の財産から少し寄付までしているのだ。
驚いたのは団体を収めている理事であった。
「若狭教授ともあろうお方が、私どものような地道な活動をしている私どものところに来てくださり、さらに寄付までしていただけるなど、思ってもおりませんでした。ありがとうございます」
と口では言ってはいるが、自分たちのことを、
「地道な活動」
という言葉で示すのは、何か含みがあるような気がした。
しかも、理事長は、まったく笑顔を見せない。あまり愛想笑いばかりをしている理事長というのも気持ち悪く、何かあるのではないかと思わせるが、ここまで笑顔を押し殺しているように見られると、本当に何かあると思わないわけにはいかないだろう。
「いえいえ、私は皆さんの行動に敬意を表しているわけで、私もご一緒できればと、この年になって考えたわけです」
と、若狭教授の方が愛想笑いをしているようだ。
これではどちらが寄付をしたのか分からないと言った立場で見てしまうと、これほどおかしくも滑稽な情景もないかも知れない。
「若狭教授と言うと、俳句の方では現代では屈指の先生だと伺いましたが、今でも大学に在籍されておられるわけですか?」
「ええ、名誉教授という職についてはおりますが、まるで非常勤の相談役のようなもので、何かその時の集まりがなければ、存在も忘れられているというようなものです。特に私のようなもう七十を超えた人間は、後進に道を譲るということをしないといけないですからな」
と言って笑っている。
それを見て理事は、その笑いが不気味に感じられた。
この団体に理事はあるが、理事長という職はない。取り締まり理事という職があり、いわゆる理事長のようなポストである。
なぜ名前が違うのかは分からない。ただ団体の登録の時には、理事長となっているようだった。
取り締まり理事のこの人は、名前を京極という名前だった。
「京極理事さんは、私のことを、よくご存じなのかな?」
と若狭教授が聞くと、
「いや、それほどよくは知りません。ただ、東阪大学には、若狭教授という俳句の権威がいるというのを伺ったことがあるくらいです」
有名人であれば、もっと知っていてもらった方が嬉しいのは当たり喘のことであるが、若狭教授は別にガッカリした様子もない。それだけの力量を持った人なのか、落ち着きがハンパではないように見える。
しかし、取り締まり理事くらいになると、それくらいのことは常識の範疇だった。それなのに、どうしてあまり知らないようなことを言ったのか、教授には少し不思議で、それだけにこの理事のことが気になってきた。
それがあったからなのかどうか分からないが、入団のきっかけになった最初の一点があったとすれば、この取り締まり理事の京極氏に出会ったからではなかっただろうか。
一流大学で有名な東阪大学は京都にある。団体の本部が大阪なので、京都から大阪などそれほど遠い距離というわけではない。大学の講義もなくなって、内に血をすることもなく過ごすよりも、最初はボランティアを考えていたが、なかなか気に入ったのもなかった。そういう意味で、この団体が一種のボランティアにでも見えたのか、若狭教授がこの団体のどこに興味を持ったのか分からない。少なくとも、シルバー人材にも、役所にも募集の広告を入れたわけでもない。教授がどこでこの団体を知ったのか、それも興味深いことである。
俳句をゆっくりやるのも、ボランティアというのも同じレベルで考えていたのだろう。
今の若狭教授は五十歳代くらいまでの、相手を威圧するような態度はなくなった。しかし、雰囲気は相変わらずで、しかも経歴がその雰囲気を象徴していることで、どんなに大人しくなったとしても、人は魅了されてしまう。そんな若狭教授は、最近、市が行っている、
「俳句教室」
に講師として招かれた。
いや、実際には、
「私がやりましょうか?」
と言って始めたのだが、ビックリしたのは、市の文化振興課の人たちだった。
「えっ、あの若狭教授が我々のような素人相手の教室で、講師などをしていただけるんですか?」
と、あらたまって聞いたほどだ。
「ええ、いいですよ。私はもう年も年だし、隠居のような年齢だ。黙って教室にいてもいいんだけど、一度、こういう市が行っている文化事業に関わって見たかったのも事実なんですよ」
ということで、若狭教授は、しばらく講師としても講義を行うことになった。
市の俳句教室は週に二回催される。火曜日と金曜日の夜七時からの講義なのだが、二回とも同じ講義である。基本は生徒は週に一度、二回するのは、仕事の関係でどうしてもその曜日がダメだという人もいるだろうから、どちらかの曜日でもこれればいいという感じでの設定だった。講義を開いている以上、別に週に二回来て、金曜日にもう一度同じ講義を受けても構わない。基本的に、メンバーの参加は自由となっていた。
講義は、半年コースと一年コースがあり、基本は半年となっている、一年する人は、半年過ぎると、そこからは、講義の時間よりも、実践が多くなり、吟行会などの催しが基本となるのだ。
一年コースになると、また曜日が増えるので、その時は、別の曜日に、今度はもう一つどこかの曜日は増えることになるのだった。
まだ始めたばかりなので、火曜日と金曜日だけの講義だった。
教室は、市役所に隣接された文化振興センターという建物の中にある、教室の一つを使っている。中学校の教室とほぼ同じくらいの広さで、はい育教室への参加人数は最初は、七人からのスタートだった。最初から参加できない人もいるということで、後三人は増える予定だったので、ちょうど十人になる予定である。
定員を二十名までということにして、
「募集が三名を切ったら、今回の講義は中止」
という条件もあった。
さすがにこの年で一度入れたスイッチを切ってしまうのはショックが大きかっただろうが、無事に開催することができ、人数的にも想像していたほどの人数だったので、市の文化振興課の人も、若狭教授も、ホッと胸をなでおろした心境だった。
「皆さん、初めまして、本日より俳句教室を始めさせていただきます。私が講師を強めさせていただく若狭です。皆さんよろしくお願いします。そして、この教室に参加いただき、本当にありがとうございます。気楽な気持ちで、皆さん楽しんでいきましょう」
と声をかけた。
最後の言葉が、
「楽しんでくださいね」
でもよかったのだろうが、
「楽しんでいきましょう」
だったことが、生徒の皆を気楽にさせたようだ。
教授の方では、意識して言っているつもりだったが、それを誰が気付いたというのだろう。痩せても枯れても曲がりなりにもずっと大学教授をしてきた教授である。人心掌握術は心得ているつもりだった。
しかも、その言葉を相手に自分がわざと言ったということを気付かせないのも、教授のテクニックの一つだとう。中途半端な経験しかない講師であれば、教授のように意識して言ったのだとすれば、その思いはどうしても表に出てしまうことだろう。
下手をすると、自分に酔ってしまうかも知れない。そんな思いが、若かったり経験不足の人には隠し切れないところだのだろう。
逆にそれを隠せるというのは、やはり教授は只者ではない。さすが俳句の権威でもある大学教授だ。講義を受けに来た人の中には。
「えっ、講師の若狭教授って、あの?」
と思った人も多いかも知れない。
俳句に興味を持てば、まずは独学でやってみるものだ。
そんな時、本屋や図書館に行って、テキストを探すだろう。
「やさしい俳句の作り方」
というようなハウツー本が書かれている文芸コーナーには、小説の書き方などと並んで俳句の書き方の本が置かれている。
若狭教授の本もその中に、所せましと並べられている。
今回の教室に来る人は、少なくとも一冊か二冊は俳句のハウツー本を持っていた李、一冊を読破するくらいの気概を持った人が多いようだ。生徒はそれぞれバラバラで、二十代から七十歳という教授と同じくらいの人もいて、いかにも、
「定年退職後の趣味」
を楽しもうとしている人だった。
家で何をしていても面白くない。さらには、一人でいるのが寂しいと思っている人にはうってつけの教室であった。下手をすれば、昼間から家に一人でいると、すぐにボケてしまうと思っている人もいるようで、人が思っているような、
「気楽な余生」
というだけではない。
「自分にとっては死活問題だ」
と、そう思っている人は世の中にたくさんいるに違いない。
要するに、行動するかしないかだけの違いなのだ。探せばいくらでも自分にあった趣味ややることが見つかるはずなのに、本人が探しているつもりで見つからないのであれば、それは一生懸命に探していない証拠なのかも知れない。
俳句教室の席の配置は、前の方から年齢が高くなっているようで、若い人は後ろの列が多かった。
前列数人が、定年後の余生、中列くらいが、三十代、四十代のサラリーマン化主婦がいて、最後列に大学生くらいの青年がいる。一応皆の入会申請書は目を通してきたので、少しは把握しているつもりだった。服装で目立つのはサラリーマンのスーツ姿の人が結構多いということだった。これも一つの特徴なのかも知れない。
この市が催しているカルチャースクール関係で人気があるのは、
「料理教室」
であった。
パスタを作ったり、洋菓子を作ったりと、こちらも、地元のテレビ局が制作している情報番組などの中のコーナーで料理コーナーがあるが、それに先生として参加している先生が講師として来てくれているのだから、それは人気もあるというものだ。
「さすがにマスコミに露出していれば、人気があるのも当然だよな」
と誰かがいえば、一緒にポスターを見た連れの男が、
「マスコミに露出って言い方が、面白いよな」
と言って二人で笑っているのを見たことがあった。
肺気胸質の若狭教授は、テレビに露出することは最近ではほとんどなかった。五十代前半では、教育放送の番組で、講師を行っていたこともあったが、あの頃と比べると、今ではだいぶ違う、当時の脂ぎった雰囲気からいれば、今は明らかに好々爺であった。
「まるでおとぎ話に出てくる、おじいさんか、水戸黄門さんのような雰囲気になってきたかな?」
と鏡を見て、若狭教授は感じていた。
テレビ出演している頃は感じなかったが、五十代も後半になってくると、急に活力がでなくなり、その分、定年後の余生を意識するようになってきた。
実際に大学に通わなくてもよくなってからは、自分でも意識して老けてきたのを感じた。いずれは定年退職ということは意識はしていたが、いざとなると、本当に何をしていいのか分からず、他の人のようにまず、市のシルバーセンターにやってきた、
一応は登録し、何かできることはないかという程度に考えていた。
シルバーセンターの人もさすがに、
「この経歴をお持ちでしたら、何も再就職などを考えなくても、市の方には文化振興課というところがあって、芸術や文化を管理したり奨励する部署があるので、あなたであれば、いくらでも何かできることがあるかも知れませんよ」
と言ってくれたので、さっそく文化振興課に足を踏み入れたのだった。
そこで俳句教室の記事を見て、
「これなら私にでも」
ということで、文化振興会の扉を叩いた。
「ぜひよろしくお願いします」
ととんとん拍子に決まったが、もし決まらなくても、
「一度生徒になって、講義を受けてみるのも面白いかも知れないな」
と思うようになった。
すんなり決まったので、講師になったが、本人は講師という意識はない。一緒に楽しめればいいと思っているだけだった。
そんな中で、一人の主婦が、サラリーマンと仲良くなり、いつも一緒に行動しているのが見受けられた。
それを若狭教授は気付いていて、
「微笑ましい」
とさえ思っていた。
ただ、同年代の中には、
「あの二人は不倫でもしているのではないか?」
ということで、教授に進言してくる人がいた。
教授は、そういうことはプライベートなことで、あまりきにすることではないと思っている方なので、
「まあ、いいじゃないか。別に表立ったって悪いことをしているわけではない」
と教授が窘めると、
「確かにそうなんですが」
と不服そうではあったが、教授の話している言葉に間違いはない。
しかも、教授にそう言われると、最初に自分が何を興奮していたのか分からなくなるくらいに落ち着いていた。
――こういう教室での不倫をあざといという意味で嫌っていたのだろうか?
という思いと、
――羨ましくて、二人に嫉妬しているのだろうか?
という思いが交錯した。
後者であれば、自分が何か刺激を求めているのかも知れないと思い、逆に自分がモテる男で、不倫相手として選ばれたら、自分はどう感じるかなどということを考えてみると、少し人を疑った自分が恥ずかしくなるくらいだった。
彼は、かなり留飲を下げていたが、そのうちに、別の主婦と仲良くなったようだ。
その様子を見て、教授はこの教室で、そういう不倫と言っていいのか、中年の男女が仲良くなるという風潮があるのが見えてきたことをどう感じているのだろう?
これが教授ももう少し若ければ、
「けしからん」
と思っていたかも知れない。
それはあくまでも倫理的な問題で、
「不倫はよくないことだ」
という教育者としての立場のようなものを意識してしまうのではないだろうか。
そう思うと、
「私も年を取ったんだな」
とあらためて感じさせられた。
それはそれで嫌なことではない。年齢相応の顔になっているのだろうと自分でも感じていることは悪いことではないと思っているからだ。
「年は取るものではなく、重ねるものだ」
と言っていた人がいたが、まさにその通りだった。
俳句をやりながら、いつもそのことは意識しているような気がした。俳句を読んでいる人のほとんどが、初老以降に感じるのは、他の文学との一番の違いのようにも感じられた。
確かに俳句を読んでいる人の肖像画などは老人になってからのものが多い。それは若くして大成できないからというよりも、年齢を重ねることで、興味を持つのが俳句だということではないかと思うからだった。
俳句というものえをやっていると、本当に文化を感じさせる。
「不倫は文化だ」
などと言っていた人もいたが、それも一つの考え方。
文化とはたくさんのポケットがあり、受け口が多いから、いろいろなところから飛び込んだ人がいて、それだけ発想が豊かなのではないかと教授は考えていた。
ただ、文化は自由がモットーであるが、最低限のルールや作法があるのを忘れてはいけない。それらに則ってやることが文化としての俳句だったりする。
「俳句というのは、、五七五という決められた文字数の中で、季語を必ず入れるという背ルールがある。まるでスポーツのようなものではないかな?」
と話をした教授は、
「文章というのは、短ければ短いほど難しい。言い訳は利かないというところになるのかな?」
と話していたことがあった。
何がいい訳になるのかがよく分かっていなかったが、まさにその言葉の通りであろうと教授は感じていた。
俳句を教授すると言っても、実際には基本的なことを教授するだけで、後は実践だった。基本的なことは、文字数の制限、それに季語を使う。しかも、季語を多重で使わないとか、季節を意識するなど。(つまり、(場の空気で、夏に由布を季語にした作品はあまり好まれない)ということを中心に教授する。
ただ、俳句には井倉五七五と言っても、
「字あまり、字足らず」
などとう言葉があるように、どうしても字を増やしたり減らしたりすることで、句を引き立てるという場合にしようする。
しかし、あくまでもリズムに乗っていなければ意味はなく、バランスの取れた句であれば、それはそれで秀逸な句ということになる。
また、季語についても、基本は、
「一句に一季語」
であるが、これも例外として、
「季重ね」
という言葉があるくらいに、有名な俳人が作った句にも存在する。
実は、芭蕉が読んだ句で「おくのほそ道」に記された句があるが、この中に、探偵小説のファンであれば、メジャーになった句がある。
「一家に遊女もねたり萩と月」
という句であるが、
「どこかで聞いたことがある」
と思っている人もいることでしょう。
そう、あの横溝正史先生の代表作とも言われる、あの
「獄門島」
に出てきた俳句の一つです。
この句には、
「萩と月」
という部分に二つの秋の季語が重ねて入っています。
これはお互いをお互いで補ってるという意味で秀逸な作品と言えるのではないだろうか。
また二つだけではなく、もっとたくさん入っている句も、世の中には名句として存在します。
「目には青葉山ほととぎすはつ松魚」
はつ松魚とは、初ガツオのことである。
青葉、ホトトギス、初ガツオと三つも入っていて、しかも最初は六文字と、字あまりまでしている作品である。このような作品も名句として存在しているのだから、俳句というのは面白いものだ。
とはいえ、何でもありというわけでもなく、ある程度の法則は網羅していなければいけない。それが感覚的なことであっても、それはしょうがないこと。そんな俳句を、
「楽しいものとして紹介することは、教授するということよりも気楽なことであり、広く楽しむことを布教するという意味で、まるで伝道師にでもなったかのようで、実に楽しい気分になっていた。
そんな俳句も、さらには、昔でいうところの「うた」である短歌などは、もっと昔から、いわゆる平安貴族の教養、あるいは遊びとして親しまれてきたものだ。
平安貴族などの短歌の場合は、恋愛であったり、叙情的なところであったりと、心の内面を描いたものに対して、俳句の場合は、どちらかというと自然と戯れることで出来上がった文学のように感じる。
もちろん、そればかりだとは限らないが、有名な句を考えて比較してみると、そうとしか思えない感じがする。
俳句というものを生徒に教えるというよりも、
「一緒に楽しむ」
という方が誰にとっても楽しいはずだ。
時間と予算が許せば、表に出て吟行会を開くのもいいのだろうが、何しろ、時間が夜なので、漆黒の闇での吟行は、少し無茶というものである。それでも吟行に出なくても、想像でできるようになれば、それはそれで素晴らしいことだ。そう感じた若狭教授は、ゆっくりとお茶を飲んだりしながらの教室は問題ないとした。
コーヒーの人も最初はいたが、さすが俳句に親しみたいと思っている人だけに、次の日からはほとんどの人がお茶にするようになった。
飲みながらだと、いいアイデアが浮かぶのか、俳句を作る時間になると、結構いい作品が皆思い浮かんでいるようだった。
「やはり俳句は楽しいものだ」
と、若狭教授は感じていた。
若狭教授の教室に、来ていた一人の奥さんが、ここ数日顔を出していない。その主婦は、後になって、
「誰かと不倫をしていたのではないか?」
というウワサが流れたが、実際に出てきた男性の名前は一致していなかった。
それだけに奥さんの不倫というのも、根も葉もないウワサとして信憑性のないものに落ち込んでしまったが、果たして真実はどうなのだろうか?
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