第7話 誹謗中傷の末に

「ありがとうございます。ちなみにここの教団はどういうところなのでしょうか?」

 と清水刑事が聞くと、

「ご覧になっていただければ分かると思いますが、うちは、教団という言葉をそのまま訳すれば理解できるところだと思っています。教団を宗教と考えるのではなく。教えると考えればいいかも知れません。そういう意味ではうちは、宗教団体よりも宗教っぽいのかも知れないと思っていますよ」

 と校長は言った。

「それはどういうことですか?」

「清水さんは、ギリシャ神話などをご存じでしょうか?」

 という意外な質問に、何と答えればいいのか分からず、とりあえず、

「ええ」

 と答えたが、

「よろしい、では、ギリシャ神話に出てくる神々をどのようにお感じかな?」

 と言われて、

「ええっと神話に出てくる神様は、自分たちのイメージしている神様と違って、感情に溢れているんじゃないかと思います。嫉妬深かったりしていて、それが物語を紡いでいるわけではないでしょうか?」

 と思った通り答えると、

「そうです。その通りなんですよ。私たちは、そういう神々のことを、人間よりも人間臭いと言っています。そもそも、ギリシャ神話と言っても人間が作り出したお話でしかすぎないので、そこは限界があるんでしょうけど、要するに人間よりも人間臭い。そこがポイントなんです。つまりは、人間が一番人間臭いと思っているのは間違いではないかということです。神話を書いた人たちはそれを知っていた。人間の中で一番人間臭い部分だけを抜き出して、そこに万能の力を与えることで神を創造した。それがギリシャ神話の正体ではないかと思うんです。もっとも、同じことは聖書にも言えるであろうし、コーランなどの他の宗教にも言えるんですよ。どんなに宗派が違おうとも、結局は人間臭い世界を創造するという意識が宗教というものではないかと思っているんですよ」

 と、校長は言った。

「なるほど、そうやって説明していただけると、分かったような気になってきます」

 と清水刑事がいうと、

「まさに、その通りなんですよ。世間には似たようなものがいくつも存在している、似ているものでまったく同じものではない。でもそういうものって、最初は同じだったmじゃないかと思うんです。それに気づいた時、宗教も一つだったと思える。だから逆に宗教の中でも違った形のものがあっても、同じところから始まっていると考えると、結局は何かに対しての、『らしさ』が共通点だと分かるんですよ。さっき言った私たちが宗教よりも宗教臭いと言った意味がお分かるになられると思ってですね」

 と、校長はいった。

 やはり、この人は話のツボを心得ている。いかにこちらが何を考えて居ようとも、ブレない気持ちがあれば、説得力はおのずと生まれてくるということを教えられた気がしていた。

 校長は続けた。

「我々の教団に対しても、いろいろな誹謗中傷がネットに流れていることも分かっています。でも、誹謗中傷などはどこにでもあること。逆に組織が大きくなればなるほど、他人が土足で勝手に踏み込んできて。あることないことでっちあげる。そのため、さらに組織は勝手に踏み込まれないように、ガードを固くする。それが却って世間から不信感で見られてしまう。これって一種の負のスパイラルのようなものではないでしょうあ?」

 という校長に対して、

「その通りだと思います。確かに組織が大きければ大きいところは、必死に内情を隠すように見えるんですよ。きっとそれだけの金銭的にも信用性も高いからできることなのでしょうが、世間一般の人には分からない感情ですよね」

 と清水刑事がいうと、

「今、清水さんがおっしゃった『世間一般』という言葉、どういう意味なんでしょうね?」

 と言われて、

「えっ? 世間一般というと、常識的な考えが一番当て嵌まることではないでしょうか?」

 というと、

「じゃあ、常識的なこととは?」

 と言って、さらに続けた。

「ねっ、そうやって疑問が疑問を呼んでいくんですよ。つまる、これも一種の負のスパイラルなのではないでしょうか?」

 と、清水刑事の言葉が途切れた瞬間、間髪入れずにダメ押しをするかのように語り掛けてきた。

 それにしても、負のスパイラルとはどういうことなのだろう? 負というイメージとは少し違っているような気がするのだが、校長は何のためらいもなく口にした。それを聞いていると、この教団が負のスパイラルという言葉と深い因縁でもあるのではないかと思うのだった。

 もちろん、そこに何ら信憑性のようなものがあるわけでもない。ただそう感じるだけだった。教団というものがどういうものなのか、ただそれだけを知りたいと思っていただけなのに、他のことも知りたくなったのはなぜであろうか。

 しかも。それは事件と何ら関係のないところでの心理であった。刑事として仕事で来ているのに、何を違うことを考えているのか、そこに自分の意志には関係のない何かが存在してると思えてならなかった。

――これこそ、洗脳なのではないだろうか?

 まさか、こんなに洗脳というものが早く相手に影響してくるなどとは思ってもいないので油断していたが、普通の人なら、、まさかと思っている間に洗脳されてしまうのではないか。

 そう思うと、洗脳という言葉の本当の怖さが分かってきたような気がする。

「相手に何かを考えさせたら終わりなんだ。だから電光石火のスピードは絶対い必要なことなんだ」

 と感じた。

 しかし、ゆっくりと相手の気持ちに寄り添うようにして相手を徐々に自分の方に引っ張り込んでいくやり方もあるではないか。逆にそっちの方が一般的に見える。しかし、実際に相手を狂わせるような、そして思い込んだらブレない気持ちを植え付けるほどの洗脳は、相手に悟られない電光石火によってしか生まれない。だから、誰にも見えないものなのだし、

「洗脳とは、誰にも悟られないものだ」

 と感じさせるのだろう。

 だから、本当の洗脳とは、

「これが洗脳だ」

 と思っている一般的な考え方とは違う。

 先ほど校長が奇しくもこだわった、

「世間一般の」

 という表現がこの考えに繋がってくるというのを、校長は意識してのことだったのだろうか?

「ところで、ネットでこの教団のことを誹謗中傷している人がいるという話をされていたと思うのですが、それは皆さんの勘違いなんです。確かにひどい書き込みもあったと思いますが、我々に対しての誹謗中傷よりも、もっとひどいものがネットでは溢れています。だからと言って我々についてのひどい書き込みがなかったとは言いません。ただ、誹謗中傷というのとは少し違うということだけ申し上げたいのです」

 と、校長はよく分からない言い方をした。

 それは、漠然としたものの言い方をしているからそう感じたのか、それとも、校長がいうように、ひどいことは書かれているが、誹謗中傷として受け取っているわけではないということなのか、なによりも清水刑事が気になったのは、

「それはあなたがたの勘違いだ」

 と言ったことだった。

 勘違いとは何なのだろう? 事実だと認めているのに、そこに何の勘違いが含まれているというのか、それこそ言葉上の解釈の問題だというのか、それとも考えていることの焦点がずれていると言いたいのか?

 校長に果たして清水刑事の考えがどこまで分かるというのだろう?

 確かに世間一般という考えで、統計的な考え方で見れば見えてくることもあるだろう。しかし、ここまで校長の話を聞いていると、そういう統計的な考え方をしているようには思えない。

「誹謗中傷というのは、何なんでしょうね?」

 と、思わず清水刑事の方から質問を投げた。

 校長は、

「『根拠のない悪口』というのが、本当の意味なんでしょうが、根拠のないというのはまったくのウソとは言い切れないということでもあるんですよね。火のないところに煙は立たないと言います。根拠のないというのは、限りなくゼロには近いが、ゼロではないという思いの中にあるものじゃないんですか?」

 というと、清水刑事は、

「そうでしょうか? 本当に根拠のないことって、ゼロのものもあるんじゃないですかね?」

 と清水刑事がいうと、

「いいえ、本当にすべてがウソであれば、すぐに分かるはずです。でも、誹謗中傷された人が追い詰められて自殺をする場合など、誹謗中傷は結構長く続くことがあります。それはどこかに本当のことが混じっているからではないでしょうか? だって、それが是部がウソなのか、中には本当のことが混じっているかは本人にしか分からないでしょう? それに信憑性があるから、人は信じるんですよ。まったくウソだと最初から分かるようなことであれば、いくら面白がってもどうにもなりません。ゼロには何を掻けてもゼロにしかならないんですよ」

 と、校長はいった。

「なるほど、確かにそうですね」

 と言いながら、清水刑事は頭の中で考えを整理しようと思った。

「ですが、これを実際の被害者や、その関係者に直接言えば、その人のショックは計り知れません。それでも事実として受け止める気持ちがなければ、本当の誹謗中傷はなくならないと思うんですよ」

という校長に対して、

「じゃあ、それは本当にいたちごっこをしているようなものですね。たとえは悪いですが、まるでサイバー攻撃と、それを防御する方お闘いのような……」

 と清水刑事は言った。

「そうですね。冷戦時代の核開発競争にも近いものがありますね」

 という校長だったが、

「ということは、今のままでは、誹謗中傷がなくなるきっかけは分かっているのに、なくすことばできないという大きなジレンマにいるような感じだと言えばいいんでしょうか?」

「ええ、だから、我々のような教団が必要ではないかとも思っています」

 という校長に、

「どういうことでしょうか?」

 と清水刑事は訊いた。

「私たちの勉強会というのは、そういう研究もしています。今もお話で言った話も別に私の意見というわけではなく、勉強会に参加されている方が話し合って出てきた結論の一つなんです。私があくまでもその意見に賛同したので、今ここで、それをあたかも自分の意見のように申しましたが、基本的には勉強会での意見の一つです。だから、答えは一つではありません。そこを誤解のないようにしていただきたいと思いましてね」

 と言った。

「じゃあ、さっきの意見も相手が私だからしてくれたと思ってもいいんでしょうか?」

 と清水刑事は本当にそう思っていた。

「ええ、私は相手を見て話しをしているつもりです。清水刑事さんという方を信者の方で知っておられるという人もいましたので、予備知識はあったつもりです。刑事さんなら、私の話を聞いて理解してくれるんじゃないかと言われていましたし、実際いお会いして私もそう感じましたので、話をしました。普通本当の初対面であれば、ここまでの話はいたしません」

 と、校長は言った。

「私は、ここに来るまでは、他の宗教団体のように、何かの宗教を母体にして、布教を強いるのが目的の他の宗教と同じイメージを持っていましたが、実際に来てみると、皆さんの名称も違っているので、それは隠れ蓑のようなものなのか、本当に普通の合奏のようなものなのかという、二者択一を感じました。でも、校長と話をしていると、そのどちらでもないということに気付いた気がします。教団という言葉にふさわしくない感覚ですね」

 と清水がいうと、

「我々は別に社会貢献や人助けなどをしようという、大それた考えを持っているわけではありません。ただ、今の世の中や個人個人が抱えている悩みを吐き出しながら、それについて意見交換することで、少しでもその人が気が楽になってくれればいいというのが、ここの出発点でした。そんな場所は今どこにもないですし、われわれがパイオニアになれればいいという思いです」

 と校長は言った。

「じゃあ、ここが評判になったとして、似たような施設が他にできたとしても、それに対してはどう感じますか?」

「別に悪いことではないと思います。ただ、似たような組織であっても、それを隠れ蓑にして宗教への布教活動であったり、詐欺行為をするような団体であれば、我々にはそれを黙って許す気はありませm。何らかの報復はあるでしょうね」

 と、刑事である清水の前で堂々と言ってのけた。

 ここまで堂々と言ってのけると、さすがに清水刑事もたじろいでしまった。本当にそのつもりなのかどうかは分からないが、気持ちは分からなくもないと思ったので、そこに言及するつもりはなかった。

「誹謗中傷に関しての話はよく分かりました。今のお話を伺って、被害者の倉敷さんという方の話も、ひょっとするとここで行ったのかも知れませんね」

 と清水がいうと、

「それが、その形跡はないんですよ。一応勉強会の議事録はちゃんと毎回残しているんですが、その倉敷某という方を主題とした履歴は残っていないんですよね。ひょっとするとではありますが、偽名を使われている場合もあります」

 と校長がいうと、

「ここでは偽名はありなんですか?」

「ええ、別に偽名を使っても。我々が損をするということはありませんからね。勉強会では参加費を頂いておりますが。それはあくまでもお弁当代や我々の運営費の手助けをしていただける程度の金額ですので、その時々で徴収しております。だから、後から頂くとか振り込みでもないので、問題はありません」

「本当に勉強集団という感じなんですね」

「ええ、その通りです」

「ありがとうございました。いろいろ参考になりました」

 と言って清水刑事は頭を下げ、校長室を出て行った。

 そして、辰巳刑事のいる四階に向かったのだが、頭の中は今の校長の話が渦巻いていた。

――校長の話は確かに素晴らしかったが、実際の信者と呼ばれる勉強にきている人はどうなのだろう? いろいろな考えの人がいるんじゃないか? いや、いるからこその団体であり、そんな人々が意見を戦わせるからの勉強会と言えるのではないだろうか――

 と清水刑事は考えていた。

 誹謗中傷というものが、実際に社会問題になっているのも事実で、何かあれば、その人を攻撃する。もちろん、最初に攻撃を始めた人がいて、そこから炎上するのであるが、最初に炎上させた人は、自分が最初に炎上させたということに気付いているのだろうか?

 気付いているとすれば、その人が何を考えているのかを想像してみた。

「俺の言い出したことから火が付いたんだから、俺がパイオニアであり、他の連中とは目の付け所が違うんだ」

 と思っているかも知れない。

 そんな人間に、誹謗中傷が悪いことだという意識があるのだろうか? どんなことであれ、最初に始めた人間が偉いという考えの人は、どこにでもいるだろう。昔から小説などに登場する博士などで、その発明がどんなに悪いと言われることであっても、それが今までに誰も開発したことのないものであれば、本人は満足することだろう。満足感がなければ、この発明はただ虚しいだけだからだ。虚しいと思ってしまうと、いくら最初に開発したことであっても、表に出せないと考えるのは、通常の理性を持った考えであり、こちらも、

「世間一般」

 と言われるものであろう。

 そもそも悪いことだと思っても開発を始めたのは自分だ。中には自分の気持ちに逆らって、国家から押し付けられた開発もあったかも知れない。その人は相当なジレンマに悩まされたことであろう。

 ただ、科学者というもののプライドや感情は、普通の人よりも相当高いところにあるに違いない。

 このように、発明を自分の手柄とは考えず、世間に対して悪を押し付けただけだと考えてしまうと、ひょっとすると、その人の科学者としての人生は終わっているのかも知れない。理性やモラルという感情が、科学者としての自信やプライドを許さない形になるのだ。

 前者では、科学者としてのじしにゃプライドは、モラルや理性を許さないなどという思いはない。むしろ、それらに対してジレンマを感じているが、それを感じないようにしないと、自分が科学者でいることができなくなるという思いから、葛藤を重ねたうえで、敢えてパイオニアとして君臨する道を選ぶ。

 しかし後者では、明らかに、

「許さない」

 という感覚が渦巻くことになる。

世間一般では、後者の方が常識的で、当たり前の人間の感情だと言われるが、果たしてそうだろうか? その時には悪と呼ばれていた発明であっても、寸年後には、

「画期的で素晴らしい発明」

 と言われるようになるかも知れない。

 ハッキリと、その発明が「悪」だと誰が決めたというのか。

 そもそも、まだ世間で公表されていないことなので、一部の人間だけの判断ではないか。いくら知識のある有識者による一部の人間であっても、全体としての意見ではない。むじろ、一方向に傾いていると言ってもいいだろう。

 そう想うと、発明におけるパイオニアは、どんな発明であっても、素晴らしいことであるに違いない。ただ、問題はそれを使用する人にあるのだ。発明者が、発明品を、

「それは危険なものであるから、使用する場合は最善の配慮が必要だ」

 と言っているにも関わらず、発注者が自己の勝手な理屈で使用としてしまったとしても、開発した科学者が責められるのは、歴史の常である。

 これこそ理不尽というもので、今問題になっている誹謗中傷にも言えることではないだろうか。

 本人は拡散のつもりはないのに、勝手に拡散してしまうこともある。自由という言葉を履き違えている人が多いから、そういうことになるのである。

 誹謗中傷に対してパイオニアという発想が絡むと、少し何かの見方が変わってくるかも知れない。それを校長が教えてくれたような気がして、清水は四階に上がった。四階では辰巳刑事が事情聴取を行っていたが、教団の人たちは相手が刑事であっても、それほど意識していないように見えて、それも少し意外だった。もし、先に校長の話を聞いていなければ、目の前での事情聴取を俄かには信じられなかったことだろう。

「ああ、清水刑事、お疲れ様です」

 と、清水刑事が三階から上がってきたのを見て、今まで話していた内容を取戯るにも関わらず、辰巳刑事は清水刑事に声をかけた。

 普通の事情聴取では考えられないことだった。なぜなら、事情聴取というのはこちらが無理にお願いして時間を取ってもらっているからであって、いくら上司が目の前にいようとも、途中で話を途切れさせられるなど、普通であれば考えられないことである。

 それを辰巳刑事は意識することもなく行った。それだけ、彼らと打ち解けているということだろうか。初対面のはずなのに、辰巳刑事がここまで気さくな雰囲気も珍しい。どういても聞き取りには見えなかったくらいだ。

「こちらは私の上司にあたる清水刑事です」

 と言って、まず聞き取り相手に清水刑事を紹介し、

「こちらが、今お話を伺っている、桜井さんです。最近、ここのよく通うようになったらしく、いろいろ博学で教えていただいております」

 と清水刑事に紹介した、

 お互いに礼をして挨拶を交わしたが、最初に口を開いたのは、桜井と紹介された男性だった。

「警察の方にも辰巳刑事のような気さくな方がおられるのを知って、私も楽しくお話させていただけています」

 と言った。

「そう言っていただけると嬉しいです。どうしても私たちが仕事上、事件の話になったり、関係者への聞き取りだったりが多くなりますので、形式的な話が多くなってしまいます。お互いに相手を探るようなことなく、気さくにお話ができれば、これほどいいことはないと思うんですけどね」

 と清水刑事は、そう言いながら、自分でも、まさにその通りだと言い聞かせた。

 そもそも気さくに話ができない理由には、相手が警察相手だということで、どこまで話していいのかを考えてしまい、本当の自分を出さないからであった。だから警察の方も疑ってみたり、最初から決して信用しないような目で見てしまったりするので、どうしても形式的な話に、相手を探るような目になってしまう。それは実に悲しいことで、寂しいことだと思うのだが、どうしても刑事という立場と、実際に起こっている事件を考えると、そうも言っていられないのであった。

 しかも、今回だって殺人事件の捜査であり、明らかに一人の男性が殺されているのだ。軽い気持ちで捜査などできるはずもなく、相手をどのように考えるか、そこが問題であったのだ。

 確かに今日の教団に対しての聞き込みは、相手が宗教団体だというデリケートな団体であることから、一般信者には、あまり立ち入った話をするのではなく。被害者のことへお聞き込みも大切だけど、教団を知るというくらいの気持ちで話をすればいいとは言っていた。教団についての詳しい話は、清水刑事が校長に直接聞くということで話はついていたのである。

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