第6話 教団の正体
小心者で、さらにまわりから、
「ほら吹き」
呼ばわりされている男、そんなどこか矛盾した性格を抱いている人間が、宗教団体に入信していたというのも、不思議な気がする。
確か見、来る者は拒まずということで、自由に入信を許している教団もあるのかも知れないが、少なくとも宗教法人として、体裁はキチンと繕っている組織に、中途半端な信者がいるというのおはどういうことなのだろう。
警察のような組織にいることで、どうしてもそう感じてしまうのだが、世間一般ではこれが普通のことなのか、あまりよく分からなかった。
とりあえず、署に戻って、公安部に宗教団体について話を聞いてみることにした。いずれ訪問しなければいけないことに変わりはないが、どのような団体かという予備知識を頭の中に入れておく必要があるからであった、
警察組織にはいくつものパターンがあり、例えば県警、府警などのような都道府県単位での警察組織、ちなみに、警視庁というのは、東京都における警察であって、いわゆる「都警」と言っていいだろう。よく勘違いされるが、全国の警察を統べているわけではなく、あくまでも東京都だけが管轄である。だから、神奈川県で起こった犯罪に、警視庁が、たとえば、
「被害者が東京の住民だから」
という理由で、神奈川県警に挨拶を一言入れておかなければ、
「管轄侵犯だ」
などと言われかねない。
警察組織というのは管轄意識がかなり強く、それがテレビドラマなどでよく話題になるところである。
宗教関係について詳しいといえば、やはり公安課であろうか、警察組織は前述のように、管轄意識も強いので、組織図も若干都道府県によって違いはあるが、ほぼ変わりがないと言っていい。ここでいう公安というのは、警備課に属し、公安第一課から三課くらいまであるのが普通である。主に、暴力団や非正規組織によるテロ、破壊工作などの警備や捜査に当たる部署のことをいうのだ。きっと、この得体の知れない、
「ノア研究会」
なる宗教組織も、さぞや公安の方で目をつけられているに違いない。
清水刑事は公安の中に同期がいるので、その人に今回の話をしてみようと思い、連絡を取ると、
「じゃあ、今夜食事でもしながら話をしよう」
と言って、小料理屋を予約してくれた。
さすがに公安の人間とおおっぴらに大衆がいる場所で、宗教団体が絡んでいる殺人事件の話をするわけにもいかない。何しろ事件は発生したばかりで、まだ宗教団体が事件に絡んでいるかどうかということも分からないからだ。
あくまでも予備知識を得るというだけの目的で話を聞くので、個室でゆっくりできるところがいい。
署に帰ると、捜査本部を明日設立するということで、刑事課は慌ただしかった。
いつものようにリーダー格には門倉刑事が就任することで、清水刑事も辰巳刑事もやりやすいと感じた。
門倉刑事のところに鑑識から報告が届いていて、やはり死因はナイフの傷で、死後三時間ほどだということだった、
となると、殺されたのは夕方近くということになり、それから誰にも発見されなかったというのはやはりおかしい。
「死体が動かされたということはなかったんですか?」
と聞くと、
「それはないようだ。たぶん、トイレの個室にカギをかけておいたんだろう。そして、誰もいなくなったところで、カギを開けた。そんなところではないかな?」
「どうしてそんな面倒なことをしたんだろう? 普通ならアリバイを考えるが、自分でカギを開けたのだとすると、それも考えにくいし、それよりもすぐに発見されては困ったのか? もしそうなら、トイレで殺すという意味が分からない」
と、清水刑事が不思議そうに、自分に言い聞かせるような口調で、独り言のように呟いた。
「とにかくこれからいろいろなことが分かっていきますよ」
と辰巳刑事は比較的楽観視しているようだが、清水刑事は辰巳刑事ほど、楽天的にはなれなかった。
清水刑事は、ありきたりの話を聞くと、そそくさとその日は署を後にした、何しろ同期入社の公安の人と待ち合わせがあったからである。
小料理屋までは、署からタクシーで五分ほど、
「岡崎さんは来られていますか? 清水と言いますが」
と、仲居さんに声をかけると、
「ああ、はい。岡崎さんのお部屋のお方ですね。はいはい、お待ちかねですよ」
と言って、わざわざ彼女が部屋まで案内してくれた。
「こりゃ、お忙しいのに申し訳ありません」
と言って、会釈をし、中に入った。
昔であれば、チップの一つも上げるのだろうが、時代も令和に変わり、すっかり昭和が遠く感じられるようになったかのようで、寂しかった。
もちろん、清水刑事はそんな昭和の時代を知るわけではないが、こういう古風な店に来ると、憧れの昭和を思い起こさせるようで、自分が昭和を知っているかのような錯覚に陥るのだった。
「それではごゆっくり」
と言って踵を返してまた廊下を戻っていく彼女の後姿に見とれてしまったが、
「いかんいかん。待たせている身分だった」
ということを思い出し。急いで中に入った。
「いやあ、すまんな。すっかり待たせちゃって」
というと、
「いやいや、いいんだ。そっちだって今日事件があったんじゃないのか?」
と言われたので、
「うん、そうなんだ。一人の会社員が、トイレの中でナイフによる刺殺だったんだけどな」
と言いながら、腰を下ろすと、
「そうだよな。お前から今日時間取れないかって言われた時、すでに事件が発生していて、刑事課は忙しそうだったのに、俺のところなんぞに珍しくも連絡を入れてくるから、ははん、これは何かあるなとこっちも思ってさ。それが聞きたくて、こうやってワクワクしながら待っていたというわけさ。すまないが、先にやっちゃってたぜ」
と岡崎は言った。
「いや、いいんだ。呼び出しておいて、俺の方が送れたくらいだからな。どんどん飲んでいてくれても結構なんだよ」
ろいうと、
「じゃあ、お言葉に甘えて、俺のペースでいかせてもらおう」
と岡崎はいったが、正直岡崎と差しで飲むのは初めてなので、彼がどれほどの酒豪なのかは正直知らない。
「ところで、岡崎は公安の方で、宗教関係に詳しくはないかと思ってな」
と清水刑事が切り出した。
「うん、このあたりの宗教関係なら、まあまあ知っているつもりだけど?」
というと、
「これはまだ、まわりに秘密にしておいてもらいタンだけど、今回の被害者は、何でも『ノア研究会』という団体の信者だっていうんだ。一体どんな団体なんだい?」
と言われて、
「『ノア研究会』か、あそこは宗教団体というよりも、読んで字のごとしで、勉強会が宗教法人になったというようなところなんだ。だから、教祖と呼ばれる人はいない。そのかわり、校長のような人がいて、別に理事長のような人がいる。この二人が実質教団を仕切っていると言ってもいい。学校のように理事長の方が絶対的な権利は盛っているんだが、教団の実質的な活動には校長が出ていく。だから、詳しく知らない人は、あの教団を、学校だと思っているんじゃないかな? 見た目も悪い集団というわけでもなく、今のところ俺たち公安もあの団体に対しては、そんなに警戒していないというところかな?」
と岡崎は言った。
「でも、俺が気になっているのは、『ノア』という言葉なんだ。きっと箱舟のノアなんだろうと思うんだけど、聖書の伝説ではノアの話は、世界の人類や生き物すべてを一度滅ぼして、その一部から再生させようと企む話じゃないか。それを思うと、何か奴らも社会の破壊者ではないかという印象を受けるんだけど、違うんだろうか?」
と清水が言うと
「確かに、俺も最初はノアの箱舟伝説を考えて、やつらの目的は、浄化にあるんじゃないかって考えたこともあった。だが、それらしきことはまったくなくて、聖書に関しては勉強の教材にしているようなんだけど、そこから皆を洗脳したりするようなこともない。他の宗教のように、教団内で共同生活をしている人もいれば、通ってきている人もいて、そのあたりも自由なんだ。一応俺たちも公安という立場でいろりろ探ってはみたが、怪しいところはなかったぞ」
と言われた。
「そうなんだな」
と若干、がっかりした顔をした清水に岡崎は、
「ちなみにその被害者ってのは、どんな人なんだ? 宗教団体に入信するような男なのか?」
と聞いてみた。
「それがよく分からない男なんだ。まわりからはほら吹きだと言われたり、どこからともなくとんでもないう男というウワサが流れてきてネットでは、その具体的なことが書かれていたりするんだそうだ」
「それは怪しいよな。ネットでは人を特定するような誹謗中傷は問題になる。公安や生活安全課でもそのあたりには目を光らせているんだが、何しろ警察と祭―犯罪とはいたちごっこのようなものだから、始末が悪い。実際に生活安全課などには、一般市民からいろいろな苦情が寄せられていて、誹謗中傷の類などは、大変なことになっていたりするんだ。警察でできることは限られているので、人によっては探偵を雇ったりしている人もいるくらいさ。今は宗教団体よりも、そっちの方が大変だな」
と岡崎はそう言った。
「ところで、ネットによる誹謗中傷って、そんなにひどいのか?」
と清水がいうと、
「ひどいなんてもんじゃない。人によっては自殺をする人も多くて、芸能人であったり、スポーツ選手のような露出の大きい人が何かをやれば、ネットでは大騒ぎさ。それをネットの世界では、『炎上』というんだけどな」
と岡崎はいった。
「炎上という言葉はよく聞く。ユーチューバーなどでもよくある話だよな」
「ああ、特に不祥事や不倫報道などされたら悲惨さ、まともに家を出ることもできなくなるくらいだ」
「そういえば、昔、どこかの国の元王妃が、パパラッチなる連中に追われて、事故死したという話もあったが、そうやって考えると、昔のマスコミが、今はネットというわけか」
「そうなんだ、ネットだったら、家にいながら、いくらでも配信できるので、少しでも信憑性のあることであれば、すぐに誰かが飛びついて、ちょっとしたネタ程度の話があっという間に尾ひれがついて、あたかも真実のように全世界に配信されてしまう。小心者なら死にたくなるのも当然というところだね」
という岡崎に、
「今日の被害者も、実は中学時代の誹謗中傷、高校時代の誹謗中傷、このどちらもひどいものなんだけど、その本人は、小心者だったというのに、今まで自殺も試みたことがなかったらしいんだ」
どんな内容だったんだい?」
と岡崎に訊かれて。
「中学時代には、何やらお金で関係ができて。相手を奴隷のように扱っていたというような話で、高校時代には、好きになった女の子を自分が略奪して暴行したなんていう、それこそとんでもないウワサだったんだ」
と清水がいうと、
「それは酷いね。でも、それをその被害者だと特定できる何かがあったんだろうな。だからまわりが信じたのでウワサになったはずだから」
と岡崎がいうと、
「そうなんだ。でも、その確証が見つからないというんだ。これは第一発見者から聞いた話だったんだけどね」
「その第一発見者と被害者は親しかったのかい?」
「そうでもなかったようだ。たまたま彼が第一発見者になったというだけだ」
「そんな男でも、ウワサを信じていたということは、よほど被害者にはどこかそういう素質のようなものがあったんじゃないかな?」
「きっとそうだと思う。何しろ、被害者は小心者で、あまり人と話をしない人だったということだからね」
と、これは、実際に他の人から聞いたわけではなく、清水刑事の思い込みも少し入っていた。
だが、その思い込みが外れているとは思わない。被害者のことを聞く限りでは、あまりにもひどいウワサが流れているわりには、分かりやすい性格のようだ。このギャップがどこかで事件解決に繋がってくると、清水は感じていた。
「そういえば、あの教団も、実情は他の宗教団体と違って、教団名が示すような本当の勉強集団なんだけど、まわりからはどうしても宗教法人ということで、目をつけられているようなんだ。それこそ、世間からの迫害のようにも見えて、気の毒に見えるくらいだよ」
と、公安の岡崎に同情されるほどの団体だったのだ。
「やっぱりそういう団体に対しては、ネットでの誹謗中傷何かもあるんだろうね」
と清水刑事がいうと、
「それはそうだね。だけど、実情を知っている人が多いのか、それとも、教団内部で何かあるのか、教団についていい意見と悪い意見が対立していたりするんだ」
「どっちが強いんだい?」
「それは結構拮抗しているんじゃないかな? 俺もこの一連の記事に対しては興味を持って見ているからね」
と岡崎は言った。
「それはどういう意味で?」
と清水が聞くと、
「「教団のことを悪く言うのは一人だけなんだ。その人の誹謗中傷に対して、数人の人が諫めるような言い方をしている。普通なら誹謗中傷を行う人がひどい内容で攻撃すれば、それに対して賛同意見が続くか、反対意見があっても、一人が一対一でお互いにタイマンをはるのが、宗教関係におけるネットでの論争のパターンが多いんだけど、今回は違うんだ。教団擁護派は決して誹謗中傷者を攻撃するようなことはしない。ただ、擁護者の方は一人ではなく、数人いるというのが特徴だね」
と岡崎は言った。
「そうなんだ」
「ああ、誹謗中傷者の意見を見ていると、結構リアルなところが多く、信憑性もあるように見える。そう考えると、この人は教団内部の人ではないかと思えるんだ。そして教団擁護派の連中も、そんな彼をなだめるような書き方をしていることから、内部の人間だと分かっていて、擁護を書いているのではないかって思うんだ」
「ということは、教団内部での論争を、、ネットを使ってしているということかな?」
と清水が聞くと、
「どうもそうじゃないかって思うんだ。宗教団体というのは、本来なら不特定多数の人にアピールするものではなく、どちらかというと来る者はこばまずとして門を開いているのが普通なんだけど、ここは、制度は同じなんだけど、人を勧誘するようなことはあまりしていないのに、入信する人が多い。やはりどうしても嫌われる宗教団体としての部分が見えてこないのと、勉強会という言葉に魅力を感じている人が多いということなのかな? 本当であれば宗教団体などに入って、助けを乞いたいと思っている人なんだろうけど、、本当の宗教団体は怖いけど、ここだったら、安心してこれるという意味で、気楽に入ってきている人が多いんだよね。でも、抜ける人はそれほどいない。団体の中に、信者を引きこんでしまうと、それを逃がさないという秘訣のようなものを秘めているのかも知れないな」
と岡崎は言った。
「教団には何か秘訣とは違う意味での秘密があると思うかい?」
と清水刑事に訊かれて。
「ああいう団体というのは多かれ少なかれ、秘密はつきものだと思うんだ。ただ、あの団体からは秘密めいたものが表い出てくる気はしないんだよ。だから入信者が増える割に、退会していく人はさほどいないということになるんだろうね」
という岡崎に対し、
「じゃあ、いい悪いは別にして、明らかに他の団体とは一線を画しているところがあると言っても過言ではないのかな?」
と清水刑事が聞くと、
「うん、そういうことになるんだろうね。少なくとも俺はあの教団で何か犯罪めいたことが起こるとは思っていなかったので、ビックリしているんだ。だけど、捜査は今始まったばかりなんだろう? 教団がこの殺人に関わっているという証拠があるわけではないし。ということになると、俺の意見としては、捜査の際に、教団を贔屓目で見ないでほしいと思う。普通の宗教団体とは違うと感じる分にはいいが、捜査の中で、教団ありきで考えることはやめてほしい気がする」
と岡崎は言った。
「ああ、もちろんそうさ。しかも、これは殺人事件だ。あらゆる可能性を考えなければいけないと思う。ただ、第一発見者の男から、この教団の話が出たので、見逃せないと思ったんだ。いずれは事情聴取をしなければいけない相手だと思ったので、お前に事前にどんな団体か聞いておくことで、予備知識になると思ったんだ。確かにお前の意見は意見として聞いておくが、捜査の際には、教団に対しての意識は白紙のつもりで望もうと思っているんだ」
と、清水刑事は言った。
「それを聞いて安心したよ。これだって俺個人の勝手な思いこみだからな。まずは、お前の刑事課の刑事によるその目で見ることをお勧めするよ」
と岡崎はいうのだった。
「いや、ありがとう。君の公安としての目を信じるとして、俺も俺の目であらためて見させてもらおう」
と言って、その話はお開きとなり、あとは食事をしながらの、他愛もない昔話に花を咲かせていたものだった。
次の日、目が覚めてからの清水刑事は、昨夜緒岡崎の話を頭の奥にしまい込んで、いよいよ教団にいってみることにした。確かに岡崎の言うと落ち、この事件における教団は無関係なのかも知れないが、被害者である倉敷という男を知るという意味で、教団を知っておくことは必要であった。
教団の方から何か倉敷に対しての意識を与えてくれるかも知れないという意識もあったが、なるべく最初から教団と倉敷の関係を必要以上に詮索しないようにした方がいいと思うようになっていた。
教団の所在地は、思ったよりも都会にあり、雑居ビルの一室を借りているという、まるでどこかの事務所のようなところだった。
まるで宗教団体らしからぬその雰囲気は、そのビルの一室に入っても同じだった。三階と四階を借りている形になっていて、三階に待合室、いわゆる休憩所のようなところがあり、他の部屋は校長室と、理事長室。そして、学校でいえば教員室とも言えるような少し広めの執務室があった。
ビル自体は、いかにも昭和に建てられたビルであり、若干のくたびれも感じられることもあったが、宗教団体としては、あまり近代的なビルよりも、情緒を感じさせ、いのではないかと勝手に清水刑事は感じていた。
四階は、すべての部屋が実際の勉強室、学校でいえば、教室に当たるところであった。普通宗教団体というと、そこで行われる集会のようなものは、どこかの体育館のような広いところで、正面に教祖がいるというのが一般的に感じられたが、やはりここは、宗教団体としての一般的という言葉が分からなくなるほどの不思議な佇まいを感じさせる場所であった。
大小四つの部屋があり、三階に上がった時とまったく同じ風景に、まるでデジャブを思い起こさせるようであった。
「ひょっとすると、これも教団ならではの演出なのではないか?」
という、考えすぎにも思えるシチュエーションを頭の中に思い浮かべていた。
宗教団体というと、そのパフォーマンスと演出によって、まず信者になろうとする人の意識を、自分たちの世界に向けさせ、信者の話によって、洗脳することでその土台を固めるための信者を獲得していったのではないかと思っている。そのパフォーマンスと演出は、大げさであればあるほど、その効果はあるのだろうが、ここのように、静かに相手を威圧するような佇まいも、実際に見てみれば、感じさせられた気がして、却ってこちらの方が不気味さという意味では、インパクトが強い気がした。
だが、昨日の岡崎の話を聞いていれば、そんな気にもなってくる。
「いやいや、岡崎も言っていたように、人の話に惑わされることなく、、自分の目で確かめることが大切だった」
と感じた。
四階に上がってきたのは、まず最初に三階で校長の話を伺ったあとで、事務員の案内で四階に赴いた時に感じたことだったが、三階から四階に上がるのに、わざわざエレベーターを使ったのだが、その理由が、
「最初にデジャブを感じさせるこt」
にあったとは、その時はまったく気づかなかった。
ただ、最初に三階でエレベーターを降りた時点で、まったく初めて見る光景のはずだったのに、
「初めて見る光景ではないような気がする」
という第一段階のデジャブに遭遇した。
それを思うと、
「俺は、今日、何度ここでデジャブを味わうことになるのだろうか?」
と感じたのもまんざらでもない気がした。
扉の横の上部に掛けられた、
「校長室」
というどこかレトロな札は、いかにも学校か病院を思わせ、懐かしさを感じさせるのであった。
校長室と書かれた扉の前に立って、廊下を振り返ると、隣には執務室の表示、正面には理事長室の表示が見え、思ったよりも薄暗い廊下であると感じた。そこはさながら、刑務所の通路でもあるかのような雰囲気に、静寂が急に怖く感じられるほどになっていた。
そんなところで佇んでいると、佇んでいるというよりも、そのへんてこな空間に漂っているようで、おかしな気分にさせられた。
前に進もうとしても、どうしても、その扉の前を通り過ぎることのできないかのような錯覚に、
「これこそが、教団による無言の圧のようなものではないか」
と思うのだった。
昨日、岡崎さんから聞いた話で、
「教団にはさほど悪いイメージを感じないが、くれぐれも自分で感じてほしい」
というようなことを言っていたが、その意味が分かったような気がした。
立場が違って、すがるような気持ちでこの教団を訪れた人なら。この通路がどのようなものに思えるか、孤独と脅迫観念のようなものを感じるかも知れない。その時、校長や他の信者から優しく迎えられたら、孤独が一瞬にして払拭され、教団の思惑が成就するのかも知れない。そう思うと、この立て方や演出一つ一つに意味が存在し。入信をあくまでも自分の意志で行ったと思い込み、その中に必然性を感じることで、教団側の演出に気付いていても、違和感がない分、素直になれると考えたのだろう。
これがこの教団の正体であり、あくまでも、一つの家族のようなイメージを持ちながら、学校をモチーフにしたような演出が、正体を覆い隠しているのかも知れないと感じた。
だが、実際には、覆い隠そうなどという意思はきっと教団には存在しない。あくまでも正直に表に出しているだけのことなのだが、その正直さが相手に対して誠意を表し、誠実さを感じさせるのだ。
清水刑事は、刑事としての勘を忘れてしまいそうになるほど、一瞬不思議なものを感じた。警察の中でもなるべく入りたくない留置場への道を思い起こさせるのだから、この演出もバカにできないものである。
倉敷はそんな教団の中でどんな役割を演じていたというのだろう。彼の受けている誹謗中傷というのが、教団に入信していることから生まれたものではないかと思えるくらいだった。まずは、倉敷と教団の関係を知る必要があるだろう。あくまでも今の段階では彼が殺された理由に、教団が関係しているという事実は出てきていないからだった。
朝からアポイントを取っていたので、校長と呼ばれる幹部は、部屋にいるはずであった。
「コンコン」
と扉をノックすると、中から、
「はい、どうぞ」
という声が聞こえたので、
「失礼します」
と言って清水刑事が中に入ると、そこには正面の扉の手前に広々と執務机に座った校長がこちらを見て、ニコニコと笑っている。
同行してきた辰巳刑事は四階に行って、一般信者と触れ合うという同時進行となっていた。
今日の訪問内容は、事前に伝えていたので分かっているはずだし、信者の一人である倉敷という男性が殺されたということも、それ以前に訊いて知っていたようで、アポイントを取った時にも、さほどの驚きはなかったようだ。その時に想像していた相手よりも、実際の校長は、思っていたよりも背が低く、年齢も高いようだった。
普通年齢が思っていたよりも上だと感じると、貫禄がついていると思うものだが、逆に実際にあった校長は、貫禄よりも気さくな雰囲気が印象にあり、路を歩いていれば、普通のおじさんとしてしか見えないだろうということは分かった。
「倉敷さんのお話ですよね。さあ、どうぞ」
と言って、校長は椅子から立ち上がえり、正面にある応接セットのソファーの奥に座って、清水を促した。
「では、失礼して」
と言って、校長の前に鎮座して、さっそく要件を離し始めた。
「ええ、昨夜こちらの信者である倉敷さんが、自分のつぃとめている会社で殺されたのですが、この教団にも所属しているということを伺いましたので、ここでの彼のことをいろいろと知りたいと思いまして、参上いたしました」
「そうですか、いろいろ調べて行ってください。私は倉敷さんという方をほとんど知らないんですよ。ただ、彼が礼儀正しい人間であることは分かっていました。いつも私に深々と挨拶をする人がいるんですが、今回写真を見せられてその人物が倉敷さんであると知った次第です」
と、校長は言った。
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