第26話 夜の海

「海が綺麗ですね、武蔵さん」


 その日の夜、俺と楠木さんは静かな夜の浜辺に立っていた。上空に浮かぶ月が、その静謐な光で海面を照らし出し、波が打ち寄せるたびにキラキラと輝く光を放っていた。その光景は、まるで夜空に散りばめられた星々が地上に降り注いでいるかのように美しかった。


 しかし、その美しさも束の間、俺の目はすぐに隣に立つ楠木さんの横顔に引き寄せられた。月明かりが彼女の顔を照らし出し、その表情に柔らかな陰影を落としている。その瞬間、海の美しさを凌駕するかのように、楠木さんの存在が俺には際立って見えた。


 彼女の横顔には、静かな海と夜空の美しさが映り込んでいるようで、その姿はこの世のものとは思えないほどに儚く、そして美しかった。私はその美しさに心を奪われ、その時の感動を胸に刻み込んだ。


「武蔵さん?」

「あ、いや……。うん、綺麗ですね」

「……なんだか歯切れが悪いですね」

「そ、そんなことはないですよ!!」


 思わず、俺の口から大きな声が漏れてしまった。それは静謐に包まれた夜の浜辺で、唐突に轟き渡り、シンとした空気を震わせた。その声が響き渡ると、周囲の静けさがなおさら際立ち、俺は自分の行動の唐突さに少し恥じらいを感じた。


 しかし、その小さな失態も、楠木さんがクスッと笑ってくれたことで、すぐに意味をなさなくなった。彼女はその美しい顔で、嬉しそうに微笑んでいる。その瞬間、彼女の笑顔が、月明かりの下で輝く海の美しさをも超えたように思えた。


 彼女の笑顔には、温かさと理解が込められており、俺の小さな照れくさい行動を、まるで愛おしむかのように受け止めてくれていた。その一瞬のやり取りが、俺たちの間の親密さをより一層深めたように感じられた。


「私、武蔵さんに感謝しているんです」

「制裁配信のことですか? それなら、もう──」

「あ、いえ。それもあるんですけど……」


 楠木さんは、少しもじもじとした様子で立っていた。彼女の頬はわずかに紅潮しており、何かを言いたげでありながらも、その言葉が口から出てこないかのように見えた。


 彼女が何を考えているのか、俺にははっきりとはわからない。だが、どうやら心に秘めた何かを打ち明けるのに躊躇しているようだった。


「武蔵さんが助けてくれなかったら、こんな綺麗な景色は見れなかったです。いえ、綺麗な景色はネットとかでも見れたかもしれないですけど、綺麗なものを綺麗だと感じる感性や余裕はなかったと思います」

「……そうですね。イジメは精神にも悪影響が出て、楽しむ余裕を潰しますものね」

「だからこそ、武蔵さんには感謝しているんです。色々な意味で私を助けてくださり、ありがとうございます」


 楠木さんは深い敬意を込めて頭を下げ、俺に対して感謝の言葉を述べた。彼女は俺に感謝を述べるが、俺のほうこそ彼女に救われている。


 彼女との出会いはまだそれほど長くないが、その短い期間の中で俺たちは多くの価値ある瞬間を共有してきた。今夜、こうして一緒に海を訪れることができたのも、その一つであり、この時間は俺にとって非常に意義深く、楽しいものだった。これから先、俺が経験するであろう様々なことを、彼女と共に歩んでいけると考えるだけで心が弾む。


 彼女と出会って以来、俺の世界は一変した。

 彼女と一緒に、この広く美しい世界を探求できることを楽しみにしている。そう考えると、俺もまた、彼女に対して深い感謝の気持ちを抱いている。俺たちの関係は、互いにとって大切な存在であり、それがこれからの日々をより豊かなものにしてくれると信じている。


「……俺のほうこそ、ありがとう」

「えへへ……今日は楽しみましょう!!」


 彼女は俺の手を握り、駆け出した。

 男女で浜辺を走る、なんて青春っぽいな。

 こんなに嬉しいことはない、と俺は思わずニヤけてしまった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「そういえば今後は、どんな配信を撮る予定なんですか?」


 夜の海を十分に楽しんだ後、楠木さんは私に向かって、未来に向けた疑問を投げかけてきた。彼女の質問は、今後の配信事情や予定についてのもので、マネージャーとして当然の関心事だろう。彼女の目には、職務に対する真剣さと、共に取り組むプロジェクトに対する熱意が宿っていた。


「そうですね……耐久配信とかですかね」

「耐久配信……つまりダンジョンの耐久配信、とかですか?」

「えぇ、ダンジョンをクリアするまで帰れません、みたいな?」

「なるほど……それは面白そうですね!!」


 目を輝かせ、楠木さんはそう言った。


「私、ずっと気になっていたんですよ!!」

「な、何がですか?」

「ダンジョンです!! あんな不思議な空間、みたことないです!! そんな空間にマネージャーとして同行できるなんて……夢のようです!!」

「あ、あはは……」


 彼女の熱意は、俺の想定以上だった。


「で、いつ挑みますか!?」

「そ、そうですね……。耐久配信は体力が入りますし、また後日話し合いましょう」

「はい!! 楽しみにしています!!」


 こんなに熱心に楽しみにしてくれているのだから、耐久配信は気合いを入れないとな。彼女ためにも、頑張らなければ。

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