第3話 初めてのダンジョン

 等間隔に設置されたロウソクは、光量が足りずに薄暗い。裸眼ではあるが視力が比較的低い俺は、たまにコケそうになりながら進む。地面がネチャネチャしていて、靴下に水が染み込んで気持ちが悪いな。


 こんなことなら、もっと準備をしてくればよかった。懐中電灯やバール、最低でも靴は履いてくればよかった。服装もスウェットではなく、剣道の防具などを装備してくれば良かった。剣道の防具なんて、持っていないが。


「初めてのダンジョン攻略にワクワクもするが、同時に恐怖も押し寄せてくるな。……こんな感覚、初めてだ」


 死ぬほどの暴力に晒されたことはあるが、実際に命のやり取りなどしたことがない。ここはダンジョンなので、当然のように魔物も出現するだろう。そうなると、殺される可能性だってゼロではない。


 チート主人公の活躍に憧れたりはしたが、実際に自分がダンジョンに挑むとは思いもしなかった。勇み足ながらも慎重な足取りで、俺は一歩を進める。


「……ん?」


 と、そんな時だった。

 目の前の地面に、青い魔法陣が浮き出てきたのだ.これはまさか──


「ゴブゥウウウ!!」


 薄暗い洞窟に轟く、養豚場のブタを何倍にも濁らせたような汚い声。魔法陣の光がちょうど晴れてしまった為、スマホのライトを前方に向ける。すると、その声の主が伺えた。


 緑色の肌、5歳児程度の身長。

 3等身くらいしかない、頭でっかちでバランスの悪い身体。1本も毛の生えていない禿げ頭や顔の半分を占める巨大な鷲鼻、剥き出しの腹に出来たブツブツとした黒いシミ。装備品は革の腰蓑こしみのとその腰に刺した1本の錆びたナイフ、ソレだけのように伺える。


「ゴブリン、だよな」


 ネット小説やアニメなどで、何度も拝見した魔物。陵辱をこよなく愛し、下品極まりない魔物。俺の知るその魔物は、ゴブリンだ。


 イメージ通りの、ゴブリンの姿をしている。

 イメージに合いすぎて、ちょっと怖い。

 

「ゴブゥウウウ……!!」


 目を爛々と輝かせ、ゴブリンはこちらを見つめてくる。もしかしてだが……俺のことを犯そうとしているのか!?


 尻穴にギュッと力を込める。

 ゴブリン系の同人誌は何度もお世話になったが、自分が世話されるのは御免だ!! この戦い、絶対に勝たなければならない!!


「俺……前も後ろも未経験なんだよ!!」


 卑猥な叫びと共に、戦いは開始された。

 


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「ゴブゥウウウウウ!!!!」


 ゴブリンがナイフを片手に、襲いかかってくる。錆びて刃がボロボロになっているとはいえ、命中すればダメージは避けられない。


 ゲームならまだしも、ここは現実なので……少しでも当たってしまえば、痛みに苦しんで戦いどころではなくなるだろう。脂肪に塗れた身体を必死に動かして、何とか攻撃を回避する。


「ゴブゥウウウウ!!」

「うぅ……しんどいな」


 ゴブリンの腰蓑が、テントを形成している。

 つまり……コイツは俺の姿に、興奮しているのだ。人間には一度もモテたことなどないが、どうやらこの豊満な肉体はゴブリンには垂涎ものらしい。……全く嬉しくないが。


 こんなところで花を散らすわけにはいかない為、反撃に切り替えたいが……チャンスが中々訪れない。ゴブリンはナイフを振り回して、魔法のチャンスを与えてくれない。避けることで精一杯なのだ。


 だが、こうして避けることも、長くは続かないだろう。俺のスタミナが足りずに、もうバテているのだから。息もすでに、絶え絶えなのだから。


「一撃でいいから……チャンスをくれよ!!」

「ゴブゥ!! ゴブゴブゥ!!」

「わからん!! 日本語で話せ!!」


 ゴブリンは最弱の魔物というの定石は、きっと変わらないだろう。このゴブリンを見ても、そんなに強そうには感じない。子どもほどの身体には、膂力も敏捷も感じない。


 故に一撃、たった一撃でも与えられれば……俺に勝機はやってくる。あの部屋で何度か練習したが、俺はプロ野球選手の投球くらいの速度で魔法を放てる。そんな速度で火球や氷球を放てば、ゴブリン程度であれば即死だろう。

 

「ぜぇぜぇ……しんどいな……」

「ゴブゥ……!!」

「……って、それはお前もか」


 ゴブリンは子ども程度の身長しかなく、身体も餓鬼のように痩せさばらえている。つまり俺と同じかそれ以上に、スタミナがないのだ。


 ゴブリンはバテて、息を切らしている。

 これは……絶好のチャンスだ!!


「ふぅ……」


 息を整え、集中する。

 あの部屋で、何度か練習した。

 コツは掴んだ。失敗はしない。


「《下級の氷球アイス・ボール》!!」


 ゴルフボールほどの氷球が、放たれる。

 ビュンッと勢いよく飛んでいく氷球は、やがてゴブリンの頭部に命中し──


「ゴッ──」


 バンッという軽快な音が、洞窟内に響く。

 ゴロンッという鈍い音が、洞窟内に響く。

 ヒッという短い悲鳴が、洞窟内に響く。


 何が起きたのか、理解に若干時間を要する。

 深呼吸。よし、大丈夫だ。


「まさか……一撃だなんてな」


 氷球によって、ゴブリンの頭部は弾け飛んだ。そして頭部を失った肉体は、地面に転がった。大量の鮮血と脳漿で、地面を赤く染めて。


 初めて、魔物を殺した。

 心に去来するのは、虚無だ。

 生き物を殺したのに、何も感じていない。


 相手が魔物だから、まだ現実味を感じていないのだろうか。それとも、ただ単に俺は冷たい人間なのだろうか。理由は定かではないが──


「何にせよ……なんか嫌だな」


 少しだけ、自己嫌悪が進んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る