第9話 今夜は温かく、肌寒い

 あれから一駅分電車に乗り、僕と未来みらいは目的地までの夜道を歩いていた。周囲にはカップルと思われる男女が多く、人目を気にすることなくいちゃついている。腕に抱き付いていたり、楽しく話していたり。照明が少なく薄暗いせいもあるだろう。


 対して僕たちは無言で歩いていた。先程まで話していた軽口が嘘のように、話題すら出てこない。理由は明白。自分でも思っていた以上に緊張しているからだ。


 口からは白い息だけが零れる。手もかじかんできた。ポケットに手を入れ、ふと未来みらいへ顔を向ける。


 辺りが暗くて、その表情は良く見えない。しかし小さな両手に息を吹きかけ、擦り合わせている姿は確認できた。寒くなってきたら行うありふれた動作。僕だってよくやる。なのに未来みらいがするだけで可愛らしく見えるのが不思議だ。


 いつもなら思うだけだった。けど今日はデートに来たのだ。口が乾燥していくのを感じながら、僕は言葉を紡ぐ。


「人が多くて危ないからさ、手でも繋ぐか?」


 勇気を出しても男らしくないな、と心中で自嘲する。せっかくクリスマス・イヴにデートしているんだから手を繋ぎたい。けど、その決定権を未来みらいに委ねた。


 強引にして、もし嫌がられたら辛いから。断られても「付き合ってない男女」なんだから仕方ないと自分の中で諦めがつく。


 返事を待っていると服の裾を軽く引っ張られた。


「ポケットに入れてたら、繋げないじゃん」

「いいのか?」

「わざわざ確認しないでいいから」


 恐る恐るポケットから右手を出して、握手するように未来みらいを包む。小さくて、柔らかくて、ほんのり冷たい。これが、女子の手……。


「もう、そんなんじゃすぐ離れちゃうでしょ」


 温もりが消えたかと思うと、手を広げるように冷えた指が侵入してきた。俗に言う恋人繋ぎ。ぴったりと手と手が密着し、顔がどんどん熱くなる。


智也ともやの手ってあったかいね」

未来みらいが冷え性なだけだろ」


 あー、まだ暗くてよかった。こんな火照った顔は、恥ずかしくて見せられない。左腕で口元を隠すと道が、木々が、建物が色とりどりの輝きを持ち始める。ライトアップしたことにより、暗闇から風景やオブジェが姿を現した。


「わぁ……!」


 隣から声が聞こえ、盗み見るように未来みらいへ視線を向ける。潤んで光っている黒い瞳、ほんのり赤くなった耳と頬、口角が上がり、白い歯を覗かせる笑顔。


「キレイだ……」

「うん! こんなイルミネーション初めて見たよ!」


 興奮気味に未来みらいがこちらに振り向く。この思いを共有したいのか、子供のようにはしゃいでいた。その姿に安堵し、胸の内が温かくなる。


「ねね! 早く他のも見ようよ」

「そうだな。けど、ちょっと待ってくれ」


 恋人繋ぎをやめてショルダーバッグに手をかける。そこから取り出したのはリボンで封されたギフトボックス。平べったく、大きさは俺の手が二個ぐらい。昨日のうちにショッピングモールで買ったものだ。


「メリークリスマス、未来みらい

「え、プレゼント交換の約束してないよね?」

「僕が渡したいから買ったんだよ」


 想定外だったからか、未来みらいが目を白黒とさせる。しかしすぐに笑い始めた。


「あはは。変なところで同じこと考えるね」


 未来みらいが僕の持っている紙袋を指差す。


「私からもメリークリスマス。喜んでくれるか分からないけど、今日着てた服で一番似合ってたの買ったんだ」

「それであんなに試着させたのか」

「えへへ。服以外でも良かったんだけどね。智也ともやのプレゼント開けてもいい」

「おう」


 小さな手がリボンを解く。目の前で開封されるのにむずがゆさを覚えるが、自分から中身の確認をしてくれて助かった。僕のプレゼントは、今使ってほしいものだから。


「マフラーだ! 可愛い!!」


 目を輝かせて未来みらいがマフラーを手のひらに乗せる。赤がベースで黒や青の線をつけてある大判マフラー。嬉しそうに巻きつけ、頬をすり寄せる姿が小動物みたいで可愛らしい。


「肌触りいいなぁ。ありがと、智也ともや!」

「こちらこそ。また遊びに行くときに着てくるよ」

「楽しみにしてる」


 手を差し伸べられる。今度は僕から手を絡め、歩みを進めた。クリスマスツリーをはじめ、花柄やトンネルなど目を見張るようなイルミネーションが続く。駅などで見かけるものとはわけが違う。圧倒的な量の光源で作られる世界は幻想的で、外の寒さも忘れられるほどだ。


智也ともや、写真撮ろ!」


 僕の手を引っ張って未来みらいが小走りになる。その先にはハート形のイルミネーション。立体的に作られていて、その中にはちょうど二人が入るスペースが確保されている。青と緑で構成された花畑がバックにあり、ロマンチックな雰囲気に包まれる。


「一緒に映っていいのか?」

智也ともやとがいいの!」


 右手を強く握られる。まるで離れたくないと言われているような気がして、胸に心地よい痛みが走った。流されるままに未来みらいとハートの中心に立つ。そこでイルミネーションのそばに控えていた女性がこちらに歩み寄ってくる。


「こんばんは。現在、無償で写真をお撮りするサービスをしているのですが、よければどうですか? 現像などは有償になりますが」

「え! いいんですか!? ありがとうございます!」

「ふふ、可愛らしい彼女さんですね」

「か、かの……」


 スタッフさんの言葉に未来みらいが顔を赤らめる。そりゃあ男女二人がこんなところに来てたら恋人同士って思われるよな。間違いではあるが、訂正はしない。


「どうせなら撮ってもらおうか」

「うん、写真も欲しいし」

「じゃあ、お願いします」

「ありがとうございます。それでは、スマートフォンでもお撮りなさいますか?」

「はい!」


 未来みらいが明るく頷いてスマホを手渡す。


「それではお荷物もお預かりしますね。……はい、では撮りますよ。それではもう少し近づいてください!」


 手を繋ぎ、もう片方の手でピースをしているが、まだ足りないらしい。ゆっくりと腕が当たるほど近づいてみる。


「はい! 彼氏さんいい顔してますね! 彼女さんも可愛らしいですよ! それでは撮ります。はい、チーズ!」


 ぱしゃりと一枚写真が撮られた。スタッフさんが画面に顔を近づけ、笑みを浮かべる。


「ばっちりです! ただ、彼女さんは彼氏さんに腕組みをしなくてよろしいんですか?」

「えっ!?」「はっ!?」

「いえ、ここに来るお客様はよくしていらっしゃるので」


 その微笑みは、どこか僕たちの様子を見て楽しんでいる気がした。どうやら付き合いたてのカップルと勘違いしているらしい。どうするんだ、と隣へ顔を向けると赤面した未来みらいと目が合った。


「やってほしい……?」

「えっと……」

「は、早くっ!」


 小声だが、強く言われてしまう。


 こういうのは本人がしたいかどうかじゃないのか? けど未来みらいは僕に選ばせてるし、よくわからない。それでも気になるのは事実で……。


「してもらってもいいか?」

「――っ! し、仕方ないなぁ」


 声のトーンが高くなったかと思えば、右腕全体に柔らかな感触が伝わってくる。顔もすぐ近くまで迫ってきており、つい反対方向へ向いてしまった。鼓動が激しく、聞かれていないか心配になる。


「いいですね! それでは彼氏さんはこっち向いてくださーい」


 指摘され、すぐにカメラに視線を向ける。


智也ともやってば顔真っ赤」

「慣れてないだけだ」

「それ言ったら私もなんですけど」


 軽口を言い合ってスタッフの言葉に耳を傾ける。今度は未来みらいのスマホで撮られ、数分にも満たないような写真撮影が終了した。未来みらいは腕から離れ、スタッフとともに写真の確認へ向かう。


 軽くなった腕に寂しさを抱きつつ、俺は空を仰いだ。今日の空は記憶通り雲に覆われて月が見えない。現実へ連れ戻しに来たように、冬の風が頬を撫でてきた。

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