第6話 決定事項

 なんとなく、僕が風邪を引くんじゃないかと思っていた。昨日は雨で体が濡れていたし、明人あきとは『予知夢』の結果が他人に飛び火する可能性があると話していた。だから僕が風邪を引いて、未来みらいが登校すると思っていたのだが――


「三十六度七分か」


 至って健康な、いつもの僕だった。喉も大丈夫、倦怠感だってない。もう一度体温を測っても平熱だ。昨日の放課後より勢いのある雨が部屋の窓ガラスを叩き、気が滅入る。今日はこんな雨の中を歩かないといけないらしい。


 制服に着替えるとカバンを持ってリビングに向かう。ドアを開けてもニュースキャスターの声は聞こえず、キッチンから美味しそうな匂いもしなかった。それに照明も消えている。机には不愛想な顔をしている野口英世が一枚置かれていた。今日は両親ともに朝早くから仕事に向かったらしい。


 今日の昼食代を財布の中に仕舞い、身支度を済ませる。とはいえ、歯磨きと寝癖を整える程度だ。十分もかからない。


「行ってきまーす」


 誰もいないリビングに一声かけて玄関に向かい……方向を変えて自分の部屋に入る。そこで靴下とビニール袋をカバンに入れ、今度こそ外へ出た。


 途中で合流した明人あきとと共に土砂降りの通学路を登校する。靴下の替えはあってもズボンと靴の替えはない。だから水たまりに足を入れないように気を付けるのだが、何故か水の浸食は止められなかった。歩くたびに靴から水が溢れ、ズボンがびしょ濡れになっていく様を肌で感じる。こんなことなら体操着を持ってくれば良かったと後悔。


 なんとか昇降口まで辿り着き、カバンを開ける。靴下だけでも用意していて助かった。上靴へ履く前に靴下を交換して、濡れた方をビニール袋に入れる。


「うわ、お前用意周到だな」

「まぁな。けどズボンが濡れるのは気持ち悪い」

「二日連続雨はガチで勘弁してほしいよな」


 二人で愚痴を吐きつつ教室へ。雨のせいか、はたまた来週から期末テストだからか、教室で騒いでる人がいない。僕はすぐに未来みらいの席へ視線を移した。


「い、いない……」


 嘘だろ?


 すぐに駆けつけて、荷物がないことを確認する。まるで『予知夢』の再現だ。でも昨日は元気だったじゃないか。ちゃんと風邪になる要素は消したし、学校を休む理由は……。


「――明人あきと、先生には僕が今日休みだと言っといてくれ」

「え、おい! どこ行くんだよ!」


 返事の時間すらもったいない。僕は教室を飛び出して来た道を駆け抜ける。傘も差さずに全力疾走。


 どうして登校中に未来みらいの家を訪れなかった? なんで未来みらいの安否を確認しなかった? 『予知夢』を見ているくせに、そんな考えすら至らなかった自分に悪態を吐きたくなる。


 未来みらいが休んだ理由が家の事情ならまだいい。しかしそれ以外だとしたら。


 病気、通り魔、交通事。


 打ち付けてくる雨とともに嫌な汗が流れる。今は、すぐにでも未来みらいの安否が知りたかった。走って、走って、横腹が痛んでも走り続けて、未来みらいの家のインターホンを鳴らす。しかし誰も出てこない。


 もう一度鳴らしても結果は同じ。どくどくと心臓が早鐘を打ちつける。


未来みらい……」


 藁にも縋る気持ちでドアに手をかける。そのまま思い切り引き……


 ――扉が開いた。


 それとほぼ同時に玄関で靴を履いた未来みらいと目が合う。その額には冷却シートが張られており、淡いピンクの私服……というよりパジャマを着ていた。お互いに「あ」と口にして硬直する。しかし止まった時間は一瞬だった。


「な、なんで智也ともやがいんの!?」

「あ、ええと……」


 来客が僕だと思っていなかったのだろう。未来みらいが大きく目を見開き、指差してくる。僕もまさかドアが開くとは思っていなかったので、驚きのあまり手を離してしまった。


 自然に閉じたドアが僕たちを隔離する。先程の光景が嘘だったように雨の音だけが耳に届いた。このまま帰ろうかとも考えたが、再びドアが開かれると腕を引かれる。


「うわ、つめたっ!? ていうか雨に濡れすぎ、大丈夫なの?」

「病人にだけは心配されたくないな」

「軽口言わない。タオル持ってくるから、そこで待ってて」


 そそくさと移動して未来みらいがタオルを取ってくる。ありがたく顔を拭かせてもらうと、先程の質問に答えた。


未来みらいが心配でな。見た感じ、風邪引いたんだよな」

「お恥ずかしながら。昨日注意してくれたのにね」

「いや、僕が悪いんだ。本当にごめん」

「そんなことないって。ちゃんと傘で守ってくれたし、これは絶対に私の問題」

「そうだけど、僕のせいなんだ」

「流石にそれは無理あるよ」


 口元を隠し、「変なの」を笑われてしまう。それが正常な反応だと分かっているから僕も言い返さない。『予知夢』のことを話しても馬鹿にされるだけだろうし、実のところ明人あきとだってどこまで『予知夢』を信じているのかは分からなかった。


「にしても学校休んでお見舞いとか私のこと好きすぎ」

「はいはい。それでいいから一旦家に帰らせてくれ」

「えー仕方ないな」


 いくら肌の水分を拭き取っても、着ている服の不快感が消えることはない。


「ほら、拭き終わったならタオル洗うから返して」

「それは申し訳ないっていうか、ちゃんと洗って返すよ」

「別にいいって。それより、どうせ暇なんだから早く着替えて私の看病をすること! いい?」

「……わかったよ」


 拒否権はないんだなと思いつつ、未来みらいの家から出る。風邪になったらやけに人肌が恋しくなるし、未来みらいも独りだと寂しいのだろう。そういえば小学生の時も、鍵っ子だった僕たちは寂しさを紛らわすためにどちらかの家で遊んでたな。懐かしい記憶が蘇り、口元が緩む。


 ……にしても、失敗だったか。


 未来みらいが元気そうで安心したが、未だに胸のざわめきは消えてくれない。今回こそは思っていたのにまた失敗したんだ。抗えたとばかり思っていたのでショックが大きい。本当に『予知夢』から見えた世界を変えることができるのだろうか。


 ***


 シャワーを浴びてから未来みらいの家にお邪魔する。看病……と言っても特にやることはなかった。学校を休んだとはいえ未来みらいは微熱らしく、僕の目から見ても普段と変わらない。少し頬が赤いと思う程度で、いつもと同じ調子だった。


 未来みらいはベッドに寝転びながら小説を読み、僕は未だに終わっていないテスト期間の課題に勤しむ。期末テスト一週間前を切っているというのに余裕なやつだ。暇なら僕の課題を手伝ってほしい。


「あー、私もこんな恋愛してみたいな」


 静寂に飽きたのか、未来みらいが声をあげる。独り言か一瞬迷ったが、僕に話しかけている可能性も考慮して右手を止めた。


「いきなりどうしたんだ?」

「なんかさ、本を読んでると私の高校生活が薄っぺらく見えるんだよね」

「そりゃあ小説はエンタメだからな。例えば、いつも同じ日々をずっと過ごしているような小説を読みたいと思うか?」

「それは……思わないけど」

「だろ? だからそう悲観的になるな」


 いい感じに締めくくったつもりだが、未来みらいはどうも納得できないらしい。「んー」と可愛らしい声が聞こえてくると、「でも」と再び口を開ける。


「クリスマスデートぐらいしてみたくない?」

「で、デートか……」

「うん。私たち二年でしょ? 来年は受験だし、今年が高校生でクリスマスを楽しめる最後の年だと思うんだよね。智也ともやもデートしたいでしょ?」

「まぁ、相手がいればな」


 さも興味がないように課題を再び動かす。しかし内心はそうもいかなかった。


 なんだ? 僕に言ってるのか? 遠回しの告白でもしてるのか?


 そんな僕の気持ちも知らずに未来みらいが言葉を続ける。


「だからさ、冬休みまでお互いに恋人がいなかったら二人でどこか出かけない?」


 胸が跳ねる感覚がした。聞き間違い……ではない。会話の流れも変ではなかった。だけど、まさかそんな言葉が飛び出すだなんて。頭が熱くなるのを感じる。


「そうだな。お互い暇だったらな」

「ふふ、約束だからね」


 未来みらいの顔が見れない。背中を向けたまま答え、声を受け取る。課題と向き合ってもシャーペンを持つ右手が動かない。僕は課題と筆箱をカバンに入れると席を立つ。


「もう元気そうだし今日は帰るよ」

「えー、どうせ家に帰っても一人じゃん。一緒にいてよ。暇なの」

「病人は早く寝て治せ。学校で話す相手が減るのが困る。だから今日は一日中安静にしてろ」


 不服そうな目線で見上げる未来みらいに背を向けて部屋を後にする。静かに玄関のドアも閉めて自分の家に向かった。


『冬休みまでお互いに恋人がいなかったら二人でどこか出かけない?』


 ……やっぱデートの約束、だよな。勘違いとかじゃないよな。


 体の火照って暑苦しい。なのにこの苦しさすら愛おしく思う。家に帰っても勉強のやる気が出ず、ベッドに倒れこんだ。


 目を閉じた先に見えるのは未来みらいの笑顔。手を繋ぐときは普通に繋ぐのだろうか。はたまた、恋人繋ぎだろうか。


 色々と妄想が止まらず、ニヤついてしまう。はたから見れば変人以外の何者でもない。未来みらいに見られたら幻滅されそうだ。


 それでも思考を止められないのは人間の性だろうか。


「すっげー楽しみになってきた」


 もはや期末テストなんてどうでも良くなった。最悪な結果でもいい。今はいち早く冬休みまで時間が過ぎてほしかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る