第5話 冬の雨は冷たくて熱くなる

 気付けば授業が終わっていた。教室には六時限目の先生が見当たらず、生徒たちが騒いでいる。どうやら僕が眠っている間に授業が終わったらしい。手首を曲げて骨を鳴らしたところで、さっきまでの記憶が夢だったんだと認識した。


 すぐにスマホを取り出してメモアプリを開く。


『雨の日に明人あきとと登校。黒板に十一月二十二日と書かれていた。昨日も雨が降っていたらしい。その日は未来みらいが登校してこなかった』


 とにかく『予知夢』で見た情報を打ち込んでいく。明人あきとに指摘されてから、僕は『予知夢』の内容を記録することにしていた。それも打倒『予知夢』のため。あらかじめ情報を整理しておくことで、自分なりに『予知夢』の行動から離れることができるからだ。


 その成果は未だに出ていないが、明人あきといわく「数回のミスで凹むな」とのこと。だから今回も根気強く抗っていこうと思う。


「起きたと思ったら何書いてんの?」


 突然横から未来の声が聞こえてきた。すぐにスマホを伏せて睨みつける。その様子に満足したのか、未来みらいが楽しそうに笑みを浮かべる。


「隠すの必死過ぎだよ。そんな見られたくないの?」


 口調こそ穏やかだが、普段とのギャップから煽ってるふうにしか聞こえない。


「そういう問題じゃない。スマホを勝手に見るのはプライバシー的に問題だ」

「ごめんね。けど、小説ぐらい堂々と書けばいいのに」


 どうやら小説を書いていると勘違いしたようだ。確かにweb小説を趣味で書いてはいるが、流石に学校では書かない。今回みたいにいつ誰が見てくるかわからないし、人が多いと集中できないからな。


 ただ、誤解してくれる方が今は助かる。


「そうやってからかうやつがいるから隠すんだよ」

「そんなつもりないよ~。確かに本屋のものと比べたら天と地の差だけど」

「……文章は稚拙かもしれないが、ネタには自信あるぞ」

「んー、なんだろうね。智也ともやくんは多分、嘘を書くのが苦手なんだよ」

「嘘が苦手?」


 一応ネットの方で数えるほどの感想は貰うが、これまでに聞いたことのないアドバイスだった。今回は小説を書いてたわけじゃないが素直に気になる。


「うん。小説家って無から何かを創造するからさ、言うなれば嘘のプロフェッショナルでしょ? だけど智也ともやくんの話は『物語』としてしか見れないんだよね。あからさま過ぎるのかな? キャラが人間らしく見えないし、展開もあからさま過ぎるというか……」


 言われてみると思う節はあった。善人過ぎる主人公、向こうから行動してくれる恋愛、必要な時に絶対揃っているピース、後付け設定。『嘘が苦手』という言葉で言われたことはないが、そのような感想は届いたことがある。


「じゃあどうしろって言うんだよ」

「私は小説書いたことないから分からないけどさ、嘘が無理なら本当のことを入れてみるとかね。ほら、『嘘は真実の隠し味』なんて言わない?」

「いや、聞いたことないけど……本当のことを入れる、か」


 考えて、すぐに不可能なことに気が付いた。僕は付き合ったことない歴=年齢である。そんな人間が本当にあったことをベースに恋愛シーンを書けるわけがない。


「ちなみに嘘はどれくらい入れてもいいんだ?」

「あくまで騙しやすい嘘の話になるけど、確か九割の真実に一割の嘘を混ぜるんだったかな」


 やはり不可能だった。女性経験なんて目の前にいる未来みらいのみ。他の女子とは授業でしか話さないし、もちろん放課後も会ったりしない。未来みらいは僕にノンフィクション小説を書けと言ってるのだろうか。


 そこで担任がやってきて終礼が始まった。窓から見える空は薄暗い雲で覆われており、いつ雨が降り始めてもおかしくない。今朝、母親に傘を持たされて正解だった。


 先生が話をしている間にぽつぽつと窓に水滴が張り付く。雨が降ったと思ったのも束の間、すぐにシャワーのような土砂降りになった。


「うわー雨降ったじゃん」

「最悪」

「傘持ってきてないって」


 終礼中なのに教室から不満の声が漏れでる。しかし、そんなこと知ったことかと言うように先生の話は終わらない。ここまでのスルースキルがないと教員は続けられないのだろうか。


 先生にバレないよう、スマホを触ると先程のメモアプリに打った文章』。


 十一月二十二日。


 黒板に書いてある日付も確認すると十一月二十一日とあった。つまり、今回の『予知夢』は直近の話である。


 家に帰った翌日には未来みらいが学校を休む。その理由は分からないが、どうせ雨に当たって風邪を引いたのだろう。この天気がその証明のようだ。だったら僕のやるべきことは一つ。


「なぁ、未来みらい

「どうしたの?」

「今日一緒に帰らないか」


 ***


 雨が降りそそぐ放課後、僕は未来みらいと帰路に就いていた。未来みらいの表情はどこか楽し気で、傘を持った左手に変な力が入る。二人で歩いている道には一つの傘しかなかった。


「なぁ、折り畳み傘使わないのか?」

「だって面倒くさいし、智也ともやの傘だけで十分雨は凌げてるからね」


 周囲に人が見当たらないからか、普段の呼び名に戻っている。今日は何かいいことがあったからか、左隣から鼻歌が聞こえてきた。対する僕もこの状況に嬉しくはあるが、恥ずかしさの方が一段と上回っていてそれどころではない。


 右肩に当てられる雨水で、なんとか冷静でいられる。とにかく未来みらいの歩幅に合わせて歩くことを意識した。


「そういえば、智也ともやから帰りに誘ってくるの珍しいね。どういう心境の変化?」

「何も変わってないよ。ただ、今日はそういう気分だっただけ」


 『予知夢』に抗えればそれでいい。それに、これ以上僕のせいで未来みらいが嫌な目に遭う姿は見たくなかった。


「調理実習でも絆創膏持ってきてたよね」

「今更その話か。もう感謝はいらないぞ」

「そうじゃなくてさ、あれって本当は智也ともや自身のために用意してないでしょ」

「何言ってんだ。まさか未来自分のために僕が持ってきた、なんて考えてないだろうな?」


 確信を突かれて焦るが、「そんなことないって」と未来みらいが笑って安心する。


「だけど智也ともやって自分のために行動しないじゃん。いつも誰かのために行動してる。そういうところは小説でも現れてるなぁって思っただけ」

「そんなことない。いつだって自分が一番大事さ」

「だったら右肩濡らさなくていいのに」

「これも僕のためだ」


 嘘ではない。結果的に未来みらいを守ってる形になっているが、これは少しでも『予知夢』の再現をさせないためのもの。明日の未来みらいが風邪を引かないように最善を尽くしてるだけだ。


「わざと濡れるって変なの。相合傘イベントの実践でもしてるわけ?」

「やっぱキャラの心情を理解するには体験するのが一番だろ?」

「そっか。私はずっと指摘待ちしてると思ってた」

「僕は駆け引きなんて上手くない」

「知ってる。だから」


 肩と肩がぶつかる。服の上から未来みらいと密着している感触が伝わり、全身に余計な力が入った。


「これは私がしたいだけ。するとあら不思議。スペースが結構空いちゃったね。もう濡れなくていいんじゃない?」


 僕の様子を伺うような笑顔に、心臓が飛び跳ねる。これが片思いの宿命というやつか。


 冬だというのに体がじんわりと熱くなる。この熱を湿気のせいにしたいが、季節と心臓がその言いわけを許してくれない。


「お前、他の男子にもこんなことするのか?」

「まさか。幼馴染にしかしないって」

「こういうのは恋人とするべきだ」

「そんな決まりないよ。それに良かったじゃん。これで一つ、本当のことを小説で書けるね」

「……余計なお世話だ」


 僕が未来みらいの方へ少し重心を預けると、意図を察してくれたのか静かに傘の外側へ移動する。そのまま距離を詰めて右肩を雨から避難させた。


「自分から密着してくるなんて、大胆だね」

「大胆なのはどっちだ」

「あはは。冗談だって」


 より未来みらいの存在を感じながら歩き続ける。会話はない。しかし時間などあっという間に過ぎて無事に家まで到着した。玄関前まで送り、未来みらいの衣服に一滴も水がかかっていないことを確認する。


「風邪引くなよ」

「こっちのセリフだし。じゃあまた明日」

「あぁ。またな」


 未来みらいの姿が完全に見えなくなってから大きな息をこぼす。本当に緊張した。途中から趣旨を忘れそうになっていたし、からかわれてばかりだった。


「なんか、すげぇ疲れたな」


 それでも、なんとかやり遂げた。これで明日の未来みらいが休む『予知夢』は回避できたはず。その達成感と共に隣にある自分の家まで歩いた。


 今日の雨は、明日も止みそうにない。

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