第4話 調理中は油断せず

 そうして訪れた調理実習当日。あまり着る機会のないエプロンに苦戦したせいで、教室を出るのが最後になってしまった。頭の三角巾の位置を調節しながら調理実習室へ入る。


 そこで未来みらいと目が合った。


智也ともやくん、他の人はもう着いてるよ」


 学校の未来みらいは基本、名前にくん付けで呼んでくる。プライベートと使い分ける器用さは尊敬するが、未だに慣れない。


「まだチャイム鳴ってないからいいだろ」


 とはいえ、待たせてるのは事実なので早足で向かう。今日の献立は授業で説明された通り、牛丼、サラダ、味噌汁だった。未来みらいが『予知夢』通り僕と翔真しょうまの男子チームを手伝おうとするが、そうはさせない。


未来みらいは料理上手いんだし、今日は監督としてみんなのサポートに徹するのはどうだ?」

「なんでかな? それだと私、暇になっちゃうよ?」


 なぜだ。顔はニコニコしてるのに、僕には怒ってる風にしか見えない。「智也レベルの人に指示されたくないんだけど?」と言われてるような気がした。いや、多分心の中で言ってる。言葉の圧が半端ないし、変な汗も流れてきた。


 それでも、ここだけは譲れない。


「今日は両親帰るの遅いんだろ? どうせ家で料理するなら今ぐらい休もうぜ」

「でも……」


 渋る未来みらいだったが他の女子が何やら耳打ちし、その場をなんとか乗り切った。こうして未来みらいに包丁を持たせなければ、怪我をする『予知夢』は回避できる。初めて『予知夢』に逆らってみたが、案外簡単で拍子抜けしてしまった。


「おいおい、せっかく清水しみずさんが手伝ってくれそうだったのによ」

「悪いな。まぁ、その分僕が頑張るからよ」


 僕と翔真しょうまは味噌汁を作ることになっている。適当な大きさに油揚げと玉ねぎを切り、顆粒和風だし入りの沸いた水へ落とす。後はいい感じに加熱して味噌を溶かすだけで完成。未来みらいほどテンポよくいかないが、時間がかかるだけでこれぐらいは誰でもできることだ。


 ふと前を見ると、未来みらい以外の女子二人は未だに玉ねぎとその他野菜を切っていた。向こうの方が具材が多いし当然と言えば当然だが、何かが引っかかる。確かに未来みらいが手伝っていない分スピードは劣るだろうが、そこじゃなくて……。


「いっ……」


 そこで痛ましい声が耳に届いた。すぐにそちらへ見やると、僕たちとは違う班で数人の女子が集まっていた。しかし、その中心にいるのが誰なのか、声からすぐに察した。


未来みらい?」

「おい、どこ行くんだよ!」


 考えるより先に、体が動いていた。翔真しょうまの言葉を無視して駆け寄ると事前に準備していた絆創膏を渡す。未来みらいはその様子に驚きながらも素直に受け取り、傷口を水道水で洗い始めた。


「あ、ありがと……よく持ってたね」

「なんとなく、こうなる気がしたからな」

「私が怪我すると思ってたってこと?」

「いや、僕が」

「自信なさすぎ」


 細い指に絆創膏がキレイに巻かれる。幸いにも切り傷は浅かったのか、あまり血は出ていなかった。しかし胸のモヤは晴れない。


「今日は休めって言っただろ。なんで他の班で料理なんかしてるんだ?」

「だって、暇なんだもん。それに、あそこの班は学校休んでる人がいたから手伝おうと思って」


 不満をこぼすように小さな声で未来みらいが言葉を並べる。しかし怪我をしてしまったからか、その声に気を感じない。調理実習前に比べて表情が暗くなっていた。


「まぁ、一大事にならなくてよかったよ」

「そう……だね」


 すぐに会話が止まる。これ以上なんて声を掛ければいいか分からなかった。居心地の悪い沈黙が流れ、下唇を強く噛む。


 一応手は打ったつもりだったが、詰めが甘かった。もっと未来みらいを注目して怪我するリスクそのものを失くすべきだったのに。


 自分の不甲斐なさに腹が立つ。


 ***


 調理実習が終わって昼休み。まだ食べ足りなかったらしい明人あきとに合わせて食堂に来ていた。二人用の席に座り、うどんを啜っている明人あきとに今日の出来事を説明する。


 本当に話を聞いているのか……なんて昔は思っていたが、これでも明人あきとは人の話を注意深く聞いているらしい。相談の時に明人あきとが何かしているのはいつものことなので、今回も気にせず話す。


 今日はいつもより寒いからか、スープを一口飲むと明人あきとの視線がこちらを向いた。


「つまるところ、数日前に見た『予知夢』に逆らおうとしたけど、失敗したって話だろ?」

「情けないことにな」


 話してみれば相談というよりは愚痴だった。僕の『予知夢』の事情を知ってる唯一の友人、明人あきとにしかこんな話はできない。軽く受け流す、笑い話やネタにする、そう思っていたのだが、明人あきとはなぜか真剣な顔つきになっていた。


「ノヴィコフの首尾一貫の原則って知ってるか?」

「ノヴぃ……なんて?」


 初めて聞く単語で思わず聞き返す。しかしその反応で十分だったのか、もう一度スープを飲むと明人あきとが話を続けた。


「まぁ、名前なんてどうでもいいか。簡単に言うと『歴史は変えるような行動はできない』っていうものだよ」

「要するに運命論だよな」

「どちらかというと決定論だけど、ほぼ同じか」

「けど僕は何回か『予知夢』じゃない行動をしたぞ。ほら、テストなんていい例じゃないか」


 運命論と決定論の違いはよく知らないが、実際に僕は『予知夢』でテスト問題を知って点数を上げたし、普段は持ち歩かない絆創膏をポケットに入れ、未来みらいは怪我をした場所が変わった。これは『歴史を変えた』ことにならないのだろうか。


 そんな僕の考えに明人あきとが首を横に振る。


「そんなの関係ない。話を聞く限り智也ともやの『予知夢』で重要なのは『何かしらの決定事項』だ。今まで事象を言うなら、夕食のメニューや雑談の内容、この前だと一日目の中間テストの問題とかな」


 そんな考え、したこともなかった。確かにこれまで『予知夢』が外れたことはない。多少過程が変わることはあるが、大きく外れることはなかった。それはこれまで予知夢にのではなく、のだとしたら……。


「けど、それならテストの点数が上がったのはおかしいだろ」

智也ともやが見たのはではなくだろ? その『予知夢』での『決定事項』が後者の方だったんだ」


 否定しようとするが、言葉が出てこない。明人あきとの言葉の説得力に圧倒されてしまう。どこにも間違いなどなく、否定のしようがない。


「それじゃあ未来みらいを傷つけたのは……」

「今回はそうなったってだけだ。あの予知夢では清水しみずさんが傷つく結果を変えられないんだろうな。もしくは当人を守って消化できなかった結果が、他の誰かに飛び火する……なんて場合もあり得る」


 食べ終わったのか、器を持って席を立つ。「時間遡行の話でよくある展開だ」と最後に付け加えて明人あきとが去った。財布を置いているから後で戻ってくるだろう。


「ぁぁぁ……」


 思わずうなだれる。なんでこんな目に。つまり、あんな夢を見なければ未来みらいは怪我をしなかったってことだ。今回の失敗は僕がちゃんと未来みらいを見ていなかったから。そんな話で終わるはずだったのに。


「随分と参ってるな」


 そこへ明人あきとが戻ってきた。


「そりゃあそうだろ」

「好きな幼馴染を傷つけたからか?」

「返す気力もない」


 再度ため息。もはや明人あきとのからかいに何も感じない。


「まぁ、あくまで仮設の話だ。さっきの話だって実際にタイムトラベラーが聞いたら鼻で笑われるかもしれんし、結局は正解なんて誰にも分からん。そもそも『予知夢』関係なく清水しみずさんが傷付いた可能性だってある」

「そりゃあそうだけど」

「重要なのは諦めない心、だろ?」


 僕を鼓舞するように明人あきとが自身の左胸を拳で叩く。


明人あきとらしくないな。精神論は嫌いじゃなかったか?」

「『予知夢』なんて非現実なものを知ったら、精神論も案じたくなる」


 「ほら、教室に戻るぞ」という声に合わせて仕方なく体を持ち上げる。これは明人あきとなりの慰めなのだろうか。


 ただ、こっちの方が安心する。お前のせいじゃない! と言われるよりは最終的な選択を僕に任せられたほうが居心地がいい。


 今回は失敗した。なら次だ。どんな些細な予知夢でもいい。一度でもいいから抗ってみせる。

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