本編

第1話 嘘だらけ

 誰かに見られているんじゃないか? なんて思うことがある。


 この世界はフラスコの中に作られた実験場で、高度な文明を持った生物が僕たちを観察している……なんて。イデア論や世界五分前仮説、水槽の脳など様々な哲学が存在しているからか、そんな妄想をしてしまう。


 もっと言うのであれば、今歩いている高校の通学路。ここでトラックに轢かれたら異世界に行けるとか、過去にタイムスリップできるか、なんて考えている自分がいた。もし異世界に行けるならチート能力でハーレム生活を送りたい。


 ……これはラノベの見すぎだな。今ではテンプレ、当たり前のようにみんなが知ってる展開だけど、初めてこの設定を生んだ人はどうやって思いついたのだろうか。趣味でweb小説を書く身として興味がある。


 十一月の肌寒さに負けた手をポケットに突っ込むと、突然妄想を中断させられた。


「――おいおい、ちゃんと前見て歩けよ」


 襟ぐりごと体を後ろに引っ張られ、思わず足を止める。急いで振り返ると僕より数センチ身長の高い男が立っていた。山中やまなか 明人あきと。中学も同じで、今も一番の友人として頼りにさせてもらってる。


 頼りにはしているのだが、もっと優しい呼びかけ方があったはずだ。未だに俺の襟ぐりを持つ明人あきとの手をどかした。


「危ないんだが」

「いやいや、俺が止めなかったら電柱にぶつかってたぞ」


 視界の隅で電柱を確認すると、明人あきとが楽しそうに笑みを浮かべる。その目は「ほらな」と語っているような気がした。


明人あきとが言わなくても気付いてたよ」

「嘘つけ。さっき電柱の位置確認してたじゃねえか。それともなんだ? でこの場面も確認済みか?」


 僕の些細な抵抗など無に帰すように、言葉をまくし立てられる。頭がいいやつはこういう時、非常に面倒くさい。詰め将棋のように先回りされ、反撃できる言葉を潰されるせいで黙るしかなくなった。


 小さな口論は中学の頃から行っているが、高校生になった今でも一度だって勝てたことがない。というより、明人あきとが本気で医学部受験を目指す様になってから、こういった会話も久々だった。


 決して『勉強ができる=頭がいい』とは考えないが、こいつに至っては昔から頭の出来が違う。


 もはや癖になっているため息をこぼし、両手を軽く上げた。


「降参だ。許してくれ」

「いや、許すもなにもないけどさ、朝っぱらから何考えてたんだ? 今日の席替えの結果なら智也ともやは知ってるんだろ?」

「まあな。僕は『窓側最後列』になるから楽しみだ」

「ちなみに清水しみずさんは?」


 こいつ、絶対わざと聞いてきたな。


 もちろん覚えているが、思い出すように数秒間考える仕草をしてから答える。


「隣だったな」

「そんなに考えて隣かよ。別に思い出す演技しなくていいのに」

「そんなわけじゃ……」

「まぁ、頑張れよ」


 僕の話を最後まで聞かないでポンポンと肩を叩かれる。人を馬鹿にする態度に腹は立つが、不思議と心地いい。中高の四年半で築かれた仲の賜物だろう。おかげで僕もの愚痴を吐ける。


「またテスト問題が見えないかなぁ」

「お前の頭なら、ちょっとの努力で八割取れるだろ」

明人あきとと違って、その努力すら僕には面倒くさくてやる気が起きないんだ」

「俺も努力は嫌いだけどな。それより、共通テストの問題を『未来視』で見てくれないか?」

「そんなピンポイントで見れたら苦労しない」

「それもそっか」


 そう、見たいものを自在に見られたら苦労しない。『未来視』なんて言えば聞こえはいいが、実際のところは抑えのきかない『予知夢』が僕こと、柏木かしわぎ 智也ともやの悩みだった。


 不定期に現れ、見ている間は普通の夢のようにそれが夢だと気付かない。『予知夢』だと分かるのは起床後である。


 今では普通の夢すら見なくなり、眠ると何も見ずに目覚めるか『予知夢』を見るかの二択になっていた。その内容もほとんどはただの日常会話や今日の夕食など、見ても何一つ利益のないものばかり。テスト内容みたいに有益な予知夢など、月に一回見れたらいい方だろう。


 そして――『予知夢』は必ず的中する。


 朝のホームルームにて、席替えの結果が発表された。『予知夢』で見た通り僕は窓際最後列。その隣が……。


「あ、一番後ろだ。ラッキー」


 黒板付近から透き通った声が耳に届く。その声の正体はクラスの人気者である清水しみず 未来みらいだ。艶のある黒のロングヘアー。聞く人を魅了する高い声色。男子からの人気は凄まじく、僕が隣の席と知るや否や、嫉妬の視線が飛んできて席を譲るように交渉を持ちかけられる。


 それに応じることなく席替えが終了し、隣の未来みらいへ二人の女子が近づいてきた。クラスでよく話している七瀬ななせさんと姫里ひめざとさんだ。盗み聞く気はなかったが、どうやら放課後にどこかの遊びへ誘われているらしい。未来みらいは二人が楽しそうに話すのを聞き、静かに笑って了承している。


 ……嫌なら断ればいいのに。


 意識を未来みらいに向けていると前方から声が聞こえてきた。


「にしても、お前はいい席取れたな」


 またこの話か。さっきから同じようなことしか言われなくてため息が零れる。話しかけてきた友達の一人、唐沢からさわ 翔真しょうまも例外ではなかったらしい。流石に聞き飽きた言葉を適当にあしらう。


「暇な授業の時に外見れるのはラッキーだな」

「お前、もっと見るべきものがあるだろ」


 僕の隣の席を一瞥した翔真しょうまが興奮気味に話しだす。


「可愛くて、物静かで、成績もいい。それに俺らみたいなラノベ好き陰キャにも気さくに話しかけてくれる清水しみずさんが隣なんだぞ! まさに完璧な存在! ソシャゲの最高レアの比じゃない!」

「そうか? 普通だぞ。普通」


 世の中完璧な人間など存在しない。先生やプロのスポーツ選手、アイドルだってそうだ。人間誰しも欠点は持っているもの。それを上手く嘘を付いたり隠しているだけ。実際に翔真しょうまが見ている未来みらいの姿なんて、ほんの一部分に過ぎない。


「幼馴染ってやつは目が霞んじまうのか? 愛想だけじゃない。水泳の時も凄かったが、服の上からでもわかるあのスタイルが……」

「あのさ、本人の近くでよく言えるな」


 これ以上は危ないので翔真しょうまの言葉を堰き止める。そこで我に返ったのか、急いで未来みらいへ顔を向けた。その視線を辿ってみると二人の女子生徒から汚物を見るような視線が飛んでくる。


「男子ってほんと気持ち悪い」

「そういう話しかできないわけ?」

「僕は止めたぞ」

「どうせ柏原かしわぎくんも同じようなこと思ってたんでしょ」


 そんなこと思ってない、と言えば嘘になる。健全な男子高校生の頭の中なんて四六時中ピンクな要素が頭に潜んでいる。思春期だもの。仕方ない。それを公共の場で発言するのはどうかと思うが。


 僕が否定しようとすると未来みらいが言葉を発した。


「そ、そういうのは恥ずかしい……かな」


 恥ずかしそうに両手で口元を隠し、上目遣いをこちらに向けている。不覚にもドキッとしてしまった。可愛い子の上目遣いに照れ顔の破壊力は段違いだ。翔真しょうまはその顔でノックアウトされたのか、頬を赤らめていた。


「ご、ごめん。智也ともやが始めた話につい夢中になっちゃって」

「おい、さらっと嘘付くな」

「あはは、もう大丈夫だから気にしないで。」


 未来みらい翔真しょうまをフォローするように微笑んだところでチャイムが鳴った。立っていた生徒は各々の席に戻り、僕もカバンから教科書とノートを取り出す。そこでカバンの中のスマホが震えた。


 ついでに確認しようと画面を見て、思わず隣へ視線を向ける。


『嘘つき。智也ともやも変態なんだね』


 メッセージの内容を実際に読み上げているように呆れた顔の未来みらいがそこにいた。クラスメイトには絶対に見せない顔。昔から未来みらいを知っている僕だけに見せる顔だった。


『言いたいことがあるなら、口で言えよ』

『嫌だ。私のイメージを崩してほしくないし』

『あっそ。無理はし過ぎるなよ。一度誘いに断ったところで友達じゃなくなるわけじゃないし』

『大丈夫』


 すぐにメッセージを打とうとするが、先生が教室に入ってきたのを見てスマホをカバンに仕舞う。点呼の声に耳を傾けながら窓の外を見つめた。


 この世界は嘘で溢れている。面白くないのに笑い、真剣に聞いていないのに分かったように頷き、無理をしているのに「大丈夫」と言う。本当だと思っていることすら、実は嘘の可能性があるのもこの世界。


 しかしそれが悪いことだとは思わない。『しない善よりやる偽善』なんて詭弁があるぐらいだ。嘘は人を騙し陥れることはできるが、人を救う力も持っている。なんでも使い方次第。そんなものは挙げればキリがない。


 盗み見るように隣へ目が行く。日に日に秀麗さが増していくその横顔に、心臓が反応した。


 もし、嘘で本当の笑顔を浮かべられない好きな人がいるなら……。


 僕は未来が好きに笑える世界で過ごしたいと思った。

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