第4話 ドラム式トラベラー

「ここは変わりませんね」

 僕はスツールに座ったまま、天井や壁を見渡す。桜坂さんの連絡先を知ってから今日まで、ずいぶん時間が掛かってしまった。何が起こっていたのか、考えるべきこと、納得いかないことが多すぎて。

「変わったことといえば、このスツールが低くなったくらいです」

「それはヒロ君が大きくなったからだよ。こんなんだったよね」

 桜坂さんは手を自分の胸くらいにかざした。

「自分の小学生の頃の身長って、覚えていますか」

「ええと、いや、覚えていないかも」

「僕もです」

 何センチ身長が伸びたのか数えようと思ったが、思い出せなくてやめた。あの頃、そんなものに頭を使う余裕はなかった。マサシより大きいか小さいか、マサシの取り巻きの下級生を払いのけられるかどうか、そんな基準でしか考えられなかった。

「でもやっぱり、あまりにも変わりません。僕たちが最後に会ったのは十年前です。十年あれば、建物ってボロくなると思うんですよね」

 本棚を見た。

「このコミック、懐かしいな。ストーリーは全然覚えていないけど。そう、一巻が無いんだ。だから、そもそもの前提がわからないまま読み進めるしかなかった」

「言っておくけど、私が持って行ったんじゃないからね」

 僕の隣のスツールに腰掛ける桜坂さんは、記憶の中より小さかった。これも、僕が大きくなったためだろう。当時は見えなかった旋毛が見える。

「桜坂さんも変わりませんね」

「そりゃあね。ねえ、いつまでそんな他人行儀な呼び方をするの? もういろいろ察しがついているでしょう」

 僕は後頭部をぼりぼりと掻いた。長い時間考えたが、実はそれほどわかっていない。考える起点は掴んでいると思うのだが。

「どうしてあのとき、気づかなかったんでしょうね」

「子供だったからでしょ」

 そう言われると返す言葉もない。頭がいいつもりだったが、結局のところ、僕の知能は所詮子供レベルだった。

「それに、本当に何よりも、精神的余裕が無かったしね、私たち」

 桜坂さんはあの頃と同じ顔で笑う。また同じように抱きしめてもらえるのだろうか。

「まったくだ。マナ、喋るの、上手くなったな」

 マナの面影を持って、彼女は微笑む。

「お陰様でね。ヒロ君は格好良くなったね」

 服装以外、僕の記憶と寸分違わない風貌で桜坂マナは懐かしそうに微笑む。肌に、表情に、着る物のセンスに、十年分のギャップはない。

「教えてくれ、マナ。一体何がどうなっているんだ。どうして桜坂さんがマナで、十年前の僕は今のマナと会っていたんだ」

 僕はカウンターテーブルに手を置き、天井を仰いだ。

 この数週間考えてきた仮説を口に出す。

「あれはテレポートなんかじゃなかった。未来に繋ぐ能力だったんだ。僕は十年前の華やぎ館と、今のここを繋いでいた。だから、記憶の中にある桜坂さんと、今のマナの姿が同じなんだ。そうとしか考えられない」

 マナは微笑み、頷いた。

「そうだね。ヒロ君からすれば十年ぶり。私からすれば、数日振りだよ」

 やはりそうだったのか。でも、それはそれでわからないことがある。

「本当に、どうして気づかなかったんだ。ナイフを貰ったあの日、このコインランドリーに来たのはマサシだ。大人になったマサシだ。あいつはあの日、死んだはずなのに。僕がこの手で殺したはずなのに」

 僕は考え、やがて一つの現実味がない仮説に辿り着いた。

「マナ、お前、過去を変えたのか?」

 おっと、という小さく驚いた顔をマナはした。

「よくわかったね」

 やっぱりか。

「こっちも大人の知能になったんでね。僕が初めて乾燥機から出て来たとき、マナは過去と繋がっていることを悟った。しかもほとんど毎日、過去の僕と会える関係になった。そして過去を変えた。多分、本来、あの日の火事は違う結果になったんだ」

 マナは自然体で微笑んでいる。火事を起こした日とはまた違うが、何かの覚悟が決まった顔だ。

「正解。どうして過去を変えたと思う?」

「正直、わからなかった。本当に過去が変わっているのだとしたら、僕に調べようはない。最初に考えたのは、本来、マナ一人で火を点けるつもりだったんじゃないかって説だった。だけど僕が生き残ってしまい、警察と消防に、マナの放火だと告発した。その後、過去を変えるチャンスを得たマナは、僕をあの火事の共犯にすることで、二人で警察を欺く協力関係を築いた。これが正しければ、過去を変える前のマナは放火、小学生だから正確には前科はつかないけど、そういう経歴を持ち、今のマナは清廉潔白な経歴に変わっていることになる」

「当時のヒロ君は、私を告発したのかな」

 少し悲しげになった。僕は首を振る。

「多分、しない。僕はわかっていてもマナを庇ったと思う。華やぎ館が燃えて溜飲が下がったのは僕も同じだっただろうから」

「うん、そうだと思っていた」

 今度は口元だけで笑う。そう、桜坂さんはこんな風に、少し陰がある人だった。

 それに惹かれていた、当時の気持ちが少し思い出される。

「それじゃあ、証拠は無いけど、本命の仮説を披露するよ」

「待っていました」

 鼻から大きく息を吸う。合っていたら嬉しい反面、確かめるのが恐ろしい。

「あの火事で、本来、僕は死んでいた。何があったのかわからないが、僕を生かすためにマサシを殺す必要があった。マナ、お前は僕が生きる未来にするために、過去を変えたんじゃないのか」

 言いようによっては、僕を生かすため、僕に罪を犯させた。マサシが過去で間違いなく死に、代わりに僕を生かすため、子供であった僕を操った。

 僕はほとんど睨むように視線をむけたが、マナは顔の前で×をつくった。

「ブー。不正解です」

 マナはスツールから降り、一台の乾燥機の蓋を開けた。

「来て」

 言われるがまま近づき、驚愕した。乾燥機の奥に、別の空間が広がっている。

 蓋を閉めると、ただの乾燥機の金属シリンダーに戻った。

「これはヒロ君の能力じゃなくて、私の能力。未来に繋げるんじゃなく、過去に繋げる」

 ああ、ああ。

 僕は大前提から間違えていた。

「全部説明するね。私に起こったこと、私がやったこと、そして、ヒロ君の身に起こったこと、全て」


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