シンキング・イン・ザ・ナイト
黒沢が触れたがる時、たいてい私は大人しくしていた。それは、黒沢が巨大なさみしさの中に、たった一人で浮かんでいるような印象を受けたからかもしれない。そして、そういうところが、私と似ていると思ったからかもしれない。私たちの心に海のように満ちて、底知れない恐怖と孤独を感じさせる何かを追いやるように、黒沢は丁寧に私の頭からつま先までをなぞっていく。優しくあることに細心の注意を払ったその手つきが好きだ。
室内は静かで、私が空気を吸い込む引きつった音や、黒沢が着ている綿のスウェットが擦れる音だけが耳についた。昼間、たくさんの光を受けた部屋のカーテンは閉まっている。青とも緑ともつかない、黒沢らしい色のカーテン。未だに緊張の抜けない沈黙が、触れ合う部分からどんどん溢れ出して、夜の密度が増していくのを感じる。脇腹を滑る優しい指や、首筋にかかる吐息にばかり神経が向いてしまいそうで、私はいつも黒沢の部屋にあるものの色や形状のことを熱心に考える。黒沢はそれがあまり好きではない。
「白野、どこ見てるの」
「……カーテン」
「僕のことは見てくれないの」
私の額に黒沢の額が触れる。少し癖のある黒髪がはらはらと頬に落ちてくる。私は口を塞いでいた両腕を広げて、そっと黒沢の首に回した。
「見てるよ」
丸い頭を撫でると、黒沢は「誤魔化さないで」と大して気にもしてなさそうな声音で言った。
「あ、あ」
自分の意思とは関係なく弾んだ声が出て、私は慌てて口を押さえた。薄く笑う気配がする。わかりやすく快楽を与える指。上がった息。スウェットを脱ぎ捨てた黒沢の肌はしっとりと汗ばんでいる。鼻腔に滑り込む生き物の匂い。
「かわいい」
無意識に溢れたような言葉に、私は気まずさを感じて顔をそらす。ずっと寄り添い、寝そべるようにしていた黒沢は、少し乱暴な動作で私の腹に跨った。熱い手のひらが頬を挟む。きれいな仕草で腰が折られ、さっぱりとした顔が近づいてくる。キスをされる。私の胸の中はどんどんあたたかいもので満たされていく。幸せすぎてこわい。黒沢とキスをするのにもずいぶん慣れたけれど、この幸せに慣れることはない。こんなに幸福な時間があるはずがないと、私は繰り返し自分の正気を疑っている。
今朝シリアルを砕いた歯が柔く鎖骨を噛んで、注がれたミルクを味わった舌が皮膚を這う。腰や内腿まで自由気ままに滑っていった唇が戻ってきて、甘えるように擦り寄ってくる。
「どうしたの」
「ずっとこうしてたい」
素足を絡めて、胸を寄せて、細い腕で私を抱きしめて、いつも同じことを言う黒沢をかわいそうだと思った。ずっと、という言葉に含まれた諦めに似た響きを、今この時だけでも消し去ることができればいいと、私は黒沢の背に手を回した。
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