第16話 つきのひかり

 月明かりが静かに夜の闇を照らす。


 現れたのは巨大な存在。

 形としての秩序が完全に崩れ去った、この世界のどこにもない新しい形の生命。


 その身体は、人間の三倍ほどの大きさで、クラゲのようなものとも言える形状を持っていた。


 身体から生えた無数の触手の先には魚のような口と鋭い爪。

 半透明な身体の中心部で、鼓動する心臓のようなものが内部から輝きを放つ。


 各所に点在した目は、それぞれが星のように輝き、中心に位置する口は開けば暗黒の穴のようで、混沌の海への入り口のようでもあった。



「海獣、、、」



 呆然とし動けないアリアを突き飛ばすようにシェルターの中に押し込み、僕も転げるように後を追う。


 扉を閉めようと操作するが、追うように伸びてきた数本の触手がそれを拒む。


 自動で閉まろうとする重たい扉と、こじ開けようとする触手。

 二つの力がせめぎ合う。



「アリア、ベッド横の救急セットをお願い!」



 声をかけつつ、太ももに刺さった針を引き抜く。

 血があふれ、ズボンを赤く濡らす。

 熱い痛みが、傷口を焼く。



「ヴィクトル!」



 アリアから救急セット受け取ると、ガーゼを取り出し傷口に詰めた。

 地底都市で学んだ、負傷時の対処。

 止血帯を巻き固定し、対処する。



――― よし、これでしばらくは......



 扉から押し入る触手が増えているのが見えた。



「アリア、非常口だ!」



 そう声をかけ、脚を引きずりながら海岸へとつながる避難経路へと彼女を連れ出した。



  ・

  ・

  ・



 こっちをつくと、あっちでる

 まえとおなじで、もんだいない

 へやのおくから、ぬけてでた

 まえとおなじで、もんだいない



  ・

  ・

  ・



 避難路を抜けると、私の足元に感じたのは砂の感触だった。


 ああ、これはあの場所、ヴィクトルと私が将来を誓ったあの浜辺。

 月明かりの中で、その記憶が心によみがえる。


 

――― でも、どこに逃げれば......

――― もうシェルターは使えない。早くあの海獣から離れなきゃ。



 そんな時、ヴィクトルから力が抜ける。

 体がぐらついて、私たちはつんのめるように砂浜に倒れた。



「ごめん、ヴィクトル大丈夫!?今、肩を貸すから...」



 焦りながら、私は彼に手を差し伸べた。

 彼が私の肩をつかんだ。



「アリア...僕を宝石にしてくれないかな。」



 荒い息で、彼がそう伝えた。



――― 何?何を言っているの?こんなときに?



「何言っているの?一緒にお祖母様のお家に帰るって約束してくれたじゃない。

 一緒に生きたいって、そう言ってくれたじゃない!


 私の手料理、たくさん食べるんでしょ?

 たくさんお話して、おじいさんとおばあさんになるまで、たくさん笑い合うんだよね?


 そんな弱気なことを言っていないで、早く逃げるわよ。

 だからお願い立って、お願いだから、立ってよ!」



 知らず、涙があふれてくる。

 私の声は慌てていたが、心の中では理解できない感情が渦巻いていた。



「雪だって、まだ見せてないんだから......」



 彼に肩を貸し、立ち上がろうとする。

 でも、彼の身体に力が入らず、再び転ぶ。

 血を吸ったズボンはてらてらと光っていた。



「僕を宝石にして、アリア。そうすれば僕の記憶は君に「想い」として引き継がれ、君の中で僕は生きられるんだ。」



――― 人魚と人間が一つになる時、人間の記憶を引き継ぐ話はしたかのう。



 お祖母様の声が頭の中で蘇る。



「でも、そうしたら...そうしたら、貴方が消えちゃう。また一人で生きろって言うの?」



 遠く追いやったはずの孤独と絶望が頭をもたげる。

 心は混乱し、悲しみに満ちた。



「お願いだよ、アリア。僕は君に生きていてほしい。でも、この足の怪我じゃ、二人とも海獣の餌だ。僕を吸収して、宝石にして、その力で生き延びてほしい。」



「嫌よ、絶対に嫌。あなたは、ヴィクトルは私と一緒に暮らすの、じゃないと許さないんだから!」



 涙が溢れた。

 この事態が信じられず、心の中で混沌とした感情が巻き起こっていた。


 月の光が二人を照らす。

 恋人の誓いと恐怖の選択が、この砂浜で交錯した。


 私の心は葛藤と矛盾で満ちていた。

 彼の願いと私の望み、その間で揺れる心。


 今、何をすればいいのか、私にはわからなかった。



  ・

  ・

  ・



 海の波音が耳に届く。


 彼の瞳は私に真剣に訴えかけ、その顔には真摯な愛と決意が刻まれていた。

 彼の手と触れた時、その冷たさが心に突き刺さった。

 心臓が痛いほどに。



「アリア、思い出して。一緒に過ごした日々、互いの笑顔、約束した未来。

 それらは全部、偽りじゃない。だから、僕を信じて。」



 その言葉は、心に沁みる調べを奏でていた。

 まるで遠く過去の懐かしい歌のように。


 声にこめられた、死を前にしても変わらない愛情。

 その声が私の中で心を揺さぶった。



「でもヴィクトル、あなたがいなくなるなんて、どう耐えればいいの?

 私たちの約束、一緒に過ごす未来を諦めるなんて、私にはできない。」



 私の心の中で、理性と感情がぶつかり合っていた。

 ヴィクトルの言葉は理にかなっている。

 だけど、彼を失う恐怖が私を締めつけるのだ。


 彼が再び私の手を取る。



「僕は君と永遠に一緒にいたい。だから、この身を宝石に変えて、君の中で生き続ける。君が笑顔でいられるなら、それでいいんだ。君が幸せなら、僕も幸せだよ。」



 彼の微笑み、その笑顔が真剣な愛を証明していた。

 心の中で何かが溶け、受け入れる勇気が湧いてきた。

 彼の愛は偽りではない。

 私たちの愛は、これからも永遠に続く。



「わかったわ、、ヴィクトル。」



 深い森のように美しい、彼の瞳を見つめる。

 続けようとして、涙が頬を伝う。



「私たちはずっと一緒だもんね。」



 彼に向けた、精いっぱいの笑顔。



「私があなたを、食べてあげる。」



――― 本当はね、深く互いに愛し合った二人がお互いに合意した上でするの。



 お祖母様の家でアイザックと交わした言葉が頭をよぎった。



「だって私たち、もう愛しあっているんだから。」



 堪えきれない涙が、頬を伝う。

 彼の上に跨ると、私はボタンに手をかけた。


=====

エ様『・・・ハッピーエンドってなんじゃ?』

門東『それはこれから訪れる事態のことですよ!』

エ様『ここから?』

門東『あと、10話くらい続けたところでハッピーエンドにつながる予定です。とりあえずは海獣ボコしましょう!伸びたらごめんなさい。』

エ様『それはアリアに言え。』

門東『ごもっとも!』

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