100お題 番外編その7 冬お題「無知なクリスマスローズ」

2024最初の投稿です。今年もよろしくお願いします。


腹を空かせた夢喰い | お題配布サイト

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こちらよりお題を頂戴しました。

お題:「無知なクリスマスローズ」

2024年1月15日0:00~1月21日23:59


 花屋の店先ですっかり季節外れになってしまった名前のその花を見たのは一月ももう二週間も過ぎた頃だった。松の内までには年賀状の返事を出せればいいやと考えていた僕のもくろみもむなしく、新年の二週間を無為に過ごしてしまい、すでに年賀状のお年玉番号も発表されてしまった今となっては僕は寒中見舞いを返すのも少しおっくうになっていた。

 少し雪がちらついていた金曜日だった。僕は鈍色の空を眺めながらため息をつく。雨ほどは憂鬱ではないとはいえ北海道の粉雪とはほど遠い、みぞれのような溶けかけの雪は僕のコートに当たってはすぐ溶けていた。厳寒の候とは言わずとも頬に触れる空気の冷たさが気になるくらいに空気は澄んでいた。

 市役所での手続きを終えて旧市街地を少しぶらぶらしたくなった僕は一軒の花屋の店先、鉢植えの花に思わず目をとめていた。

「クリスマスローズ」

 思わず僕が店先で足を止め、花の名前を口に出すと店員のお姉さんが声をかけてきた。

「いかがですか? これからの季節が見頃ですよ」

 お姉さんは茶色に染めたとおぼしき髪をポニーテールに結ってピンクのトレーナーに青いスキニージーンズ姿で快活そうな印象を受けた。もちろん、花屋なので服を汚さないようにゴム手袋とアームカバーとエプロンも忘れていない。

「クリスマスローズって名前なのにクリスマス後が旬なんですか?」

 僕が尋ねるとお姉さんは歯を見せて微笑んだ。

「旬だなんて食べ物みたいですね。でも、そうですよ。開花時期は一月から三月なんです。品種内でも少々差はあるんですけどね」

 そう言ってお姉さんは僕の目の前でクリスマスローズの鉢を拾い上げるためにしゃがみ込んだ。しゃがむと少しお姉さんの背中が見えてドキッとして僕はつい視線をそらした。

「はい、よかったら近くで見てみてくださいね。実はこの花に見えている部分は花じゃないんですけど」

 お姉さんが僕の鼻先にクリスマスローズを突き出したので僕はそれをまじまじと見つめた。普通に見る分にはどう見ても花そのものにしか見えない。

「花じゃないってことは……花びらじゃない部分が発達してるってこと?」

 僕が尋ねるとお姉さんはうなずいた。

「そうですっ。厳密には花に見えているところは萼辺、へたの部分ですね。トマトやナスビで言えば実の上にくっついているあの緑の部分ですね。萼片が大きく開いていて花のように見えているんです」

 お姉さんは少し食い気味に説明してくれた。僕は思わずこの人は本当に花が好きなんだろうな、と微笑ましくなった。

「クリスマスに咲かないのにクリスマスローズ。一気に覚えました」

 僕がそう話すとお姉さんは説明してくれた。

「それはヘレボルスの中でもヘレボルス・ニゲルの特徴なんです」

「へれぼるす?」

 あまり聞き慣れない名称に僕はおうむ返しに尋ねた。

「はい、ヘレボルスというのがこの花の正式な名前ですっ。ヘレボルスという種類の花の中でクリスマス時期に咲くものがヘレボルス・ニゲル、いわゆるクリスマスローズなんですがクリスマス過ぎに咲くものに関しても市場でクリスマスローズと呼ばれています」

 なるほど。種の総称としてのクリスマスローズ。バラ、とか、パンジー、とかそういう大きい括りなのだろう。

「花の期間だけでも長く楽しめますけど、お庭に植え替えすることもできますよ」

 お姉さんはそう教えてくれた。あいにくと、うちは一戸建てではないのだけれど。

「花言葉は追憶、私を忘れないで、私の不安をとりのぞいてください、などですね!」

 自分用に買うのに花言葉はあまり関係ないのだがお姉さんは気を利かせてかそういうことも教えてくれた。店先に目を落とすとクリスマスローズ以外にも花々が並んでいる。冬だというのに元気に咲く花もあったものだ。澄み切った冬の空気のような白、目を引くビビッドな赤、まだ少し気の早い春の訪れを告げるようなピンク。

「あれ、名前は?」

 自分が尋ねるとお姉さんは元気に答えた。

「はい! ヒヨリです!」

「ヒヨリか、道理で自分が知らない花の名前だ」

 僕がそう答えるとお姉さんは、あ! と声を上げた。

「すみません! お花の名前ですよね! こっちのがアイリス、こっちのがフリージア、こっちのがアマリリスになります」

 お姉さんは照れ隠しなのか、えへへと笑った。店先の花々に負けず劣らず愛らしい笑顔だった。

「あれ、じゃあヒヨリというのは……」

「はい。私の名前です。黒木陽順。太陽の陽に順番の順です」

 花屋のお姉さん、あらため陽順さんはそう言って説明してくれた。

「お兄さんは?」

「はい?」

「名前、なんて言うんですか?」

 陽順さんはまだ僕が花も買っていないのに名前を尋ねてきた。

「サトルです、柏木聡。……自分の名前でよかったんですよね?」

 念のためそう付け加えると陽順さんはくすくす笑った。

「もちろん、ですよ。私がお客さんにお花の名前を聞いたらダメですよ」

 陽順さんがまた微笑むと花屋の店先にまた新たな花が咲いたようだった。花屋の仕事のために服装こそ素朴な感じだったが人なつっこさもあって普段から他人とやや距離を置いていた自分であっても好感を抱いた。

「じゃあもらいます、クリスマスローズ。一鉢ください。あ、こういうの馴れていないので管理の仕方も教えてもらえたら」

 僕が言うと陽順さんは目を輝かせた。

「本当ですか?! ありがとうございます! こっちのが三千円、こっちの鉢が五千円。お好きなのを選んでください」

 陽順さんがそう説明してくれた。僕は悩んでインクプリンタのマゼンタのように濃くて鮮やかなピンクの鉢を選んだ。五千円の出費。素敵とは思いつつも、ついつい平日の昼食何回分だろうか、とついつい換算してしまう。

「五千円、確かに受け取りました。準備しますね。ちょっと待っててくださいね」

 陽順さんは五千円を受け取るとガラス戸を開けたままの店内に消えていく。この季節、花屋とはいえ入り口の開け放しは寒いだろうなと僕は彼女の背中を見つめていた。

 戻ってきた陽順さんはゴム手袋を外して新聞紙とフィルム、ビニール袋を手に持っていた。

「今包んじゃいますね。待っててください」

 朗らかな見た目とは裏腹に陽順さんは手際よく僕のものとなったマゼンタのクリスマスローズを包装してくれた。

「はい、できましたっ。今日は水をやっているので水やり不要です。明日からあげてくださいね」

「どれくらい?」

「そうですね、今は冬なので空気も乾燥していると思うのでしっかり土が湿って表面の土だけではなく鉢の中にもしみこむ位を意識してください。もし、下の水受けに水が漏れてくるくらいだったらやり過ぎなので翌日はそれより控えめを心がけるようにするといいかなって思います」

 陽順さんがそう説明してくれた。

「大丈夫かな、枯らさないか心配です」

 僕が弱音を吐くと陽順さんは大丈夫ですよ、とフォローしてくれた。

「そんなに弱い品種ではないですし、この季節は夏と違って虫やカビに神経質にならなくていい、いい時期なんです。特に、もう開花して花を楽しむだけになっていますからね。柏木さんなら大丈夫です」

 ずっと屋外にいた僕の方には少し雪が積もっていたがもう寒さも気にならなくなっていた。素敵な出会いに感謝、と思いつつ僕は花屋を後にすることにした。

「じゃあまた機会があったらよろしくお願いします。この子、育ててみます」

 僕がそう言って手を上げると陽順さんは手を振ってくれた。

「ありがとうございます! よいお花のある暮らしを!」

 かくして僕の生活にクリスマスローズがやってきた。


 独身男性の殺風景な部屋がクリスマスローズを中心に少し変わっていった。花を置く場所を考え始めると必然と部屋を片付けないといけなくなる。そうすると必然的に僕の部屋はごみごみしていた部分も少しずつ整理され、クリスマスローズの見栄えを気にした配置になり、以前の無機質さが失われていった。

「どうですか、お花」

 お花というのはもちろんクリスマスローズのことだ。陽順さんの問いに僕は胸を張って答える。

「ええ、しおれる前に切り花にしました」

「ちゃんと調べたんですね! 取ってるんですか?」

「はい、ドライフラワーにできないかなって調べてます」

 三月にはそんな風にスムーズに話が弾むようになっていた。流石に話だけして買い物しないと申し訳ないと自分は思いながら花屋に足を運び、その度に何かしら手に取っていたのできっとお店にとってはいい客だったのだと思う。しかし、それを差し引いても陽順さんは自分に仲良く接してくれた。

「え、陽順さんって別に代々花屋とかじゃないんですか? お父さんたちのお店だったとか」

「ぜんぜん。私の代で立ち上げたお店です」

 そんな会話もするようになっていた。

「高校生くらいかな。そのときにはもうこの仕事したかったから、大学時代とOL時代にお金貯めてたんです」

「OL時代の陽順さん。見てみたかったな」

「あ、想像しちゃダメですよ?!」

 店員と客の距離感ではあるのだろうが、僕たちは次第に仲良くなっていった。マゼンタのクリスマスローズの花の観賞期間が終わり、春を過ぎ初夏を迎えても自分はまた花屋に行き、何かしら買って陽順さんと話していた。


 鈴虫が鳴く頃、僕は市内の文化ホールでフラワーアレンジメントの展覧会が行われることを知った。すっかり花に興味を持っていた僕はチケットを二枚買っていた。買った後で、どうしよう、と逡巡する結果になった。

 誘う相手はもちろん陽順さんしかいない。しかし、店員と客という立場にありながらそういう風に声をかけていいだろうか、と当然悩んだ。フラワーアレンジメント好きかもわからないし。

 しかし、自然と自分の足は花屋に向かっていた。その日は仕事の後に花屋を訪れていたのでもう町は夕闇がかっていた。店の近くまで行ったところで自分は他の客の気配に気付き、足を止めた。

 男性の客のようだった。陽順さんとその人はやけに親しげに感じた。自分と陽順三以上かもしれない。そうすると僕は自分の行いがひどく馬鹿げていて愚かしいことに感じた。

 そうだよな。あんなにかわいくて人当たりがいいから彼氏の一人がいたっておかしくない。自分はそこで踵を返して駐車場へと引き返した。


 一人の部屋に戻ってきて、僕はクリスマスローズを見つめた。幸い、陽順さんのアドバイスのお陰もあって今年も花を見られるかもしれない。だが当然ながら僕の気持ちは晴れなかった。ヘレボルスの花言葉の『追憶』、『私を忘れないで』、『私の不安をとりのぞいてください』という言葉が脳裏をぐるぐると回っていた。

 僕とクリスマスローズはどこまでも無知だった。いや、逆にこの花は最初から知っていたのかな。これから花を見るたびに陽順さんを思い出すと思うとひどく切なかった。


 それは吐く息がすっかり白くなった十二月のことだった。僕はあれからホームセンターに行くようにして陽順さんの店に行くのを避けていたがその日はなんとはなしに近隣に寄ったので店に向かってみた。フラワーアレンジメントの展覧会が近いのもあってダメ元で、という気持ちもあったのかもしれない。

「あっ!」

 自分を見るなり陽順さんは少し大きな声を出した。声と一緒に白い息が花屋の店先に流れていく。

「聡さん!」

 久しぶりに名前を呼ばれて、心の奥底をこじ開けられるような感触がした。

「もう会えないかと思っていました……!」

 自分がお店に歩み寄るのよりやや勢いよく陽順さんが自分に駆け寄ってきた。

「あ……いえ。ちょっとしばらく忙しくて」

 自分が気まずさにしらばくれると陽順さんは服のポケットをごそごそといじり、何かを取り出した。

「あの……!」

 緊張からか陽順さんの声が一瞬裏返る。彼女のポケットの中で少しくしゃくしゃになった何かの紙。

「こ、今度フラワーアレンジメントの展覧会があるんですっ! よ、よかったら私と一緒に……!」

「えっ?!」

 陽順さんが取り出したのは僕が持っているのと同じ、展覧会のチケット二枚だった。自分が誘うどころか、陽順さんからのまさかのデートのお誘いに僕は仰天してしまった。

「でも、付き合っている人がいるんじゃ……? ほら、いつか店先で親しく話していた男性が……」

「男性……?」

 陽順さんが一瞬怪訝そうに眉をひそめて考え始める。そのあと、気付いたようにぽんと手を打った。

「ああ! もしかして先月兄が来てくれてたけどもしかして見てたんですか……?」

「えっ、お兄さん?!」

 今度は僕が頓狂な声を上げた。そりゃ親しげなはずだ。僕は後顧の憂いがなくなり、ポケットから取り出した。彼女が取り出したのと同じ紙を二枚。

「自分も陽順さんと行きたくて、二枚買ったんです……!」

 チケットを見せる。僕たちは顔を見合わせて笑う。お互いに無自覚だったのだ。相手の思いに。


 無知なのはクリスマスローズだったか、それとも僕たちの方だったか。結局陽順さんと僕は二回展覧会に一緒に行った。この冬もまたクリスマスローズが咲いてくれた。去年のように。

 開いたその萼片の鮮やかさはまるで笑っているみたいだった。


<了>

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腹を空かせた夢喰い 100のお題ワンライ <牙と鎖> @kivatokusari

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