100お題 番外編その6 ハロウィンお題「おばけのささやき、ネコのくしゃみ」

腹を空かせた夢喰い | お題配布サイト

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こちらよりお題を頂戴しました。

お題:「おばけのささやき、ネコのくしゃみ」

2023年10月9日0:00~10月15日23:59

※こちらの連絡不備があり、競作ワンライではなく自分だけで書いた作品になりました。

(実際の執筆は他の作品と並行して書いたのでずれこんで~10月31日15:00頃(ハロウィン合わせ))


 北欧神話の巨大な狼を縛り付けるための魔法の鎖、グレイプニル。これには非常にユニークな素材が使われている。


 猫の足音。

 女の髭。

 岩の根。

 熊の腱。

 魚の息。

 鳥の唾液。


 曰く、これらのものはグレイプニルを作るために使用されたためこの世に存在しなくなったと言われている。

 しかし、だ。実際のところ猫の足音が聞こえにくいことや岩には根がないのはともかく他はどうだろうか。女性もうっすら髭が生えて手入れしている人はいる。熊には当然ながら関節があるので腱もある。魚はえら呼吸をするので息自体をしないわけではない。鳥にも当然唾液はある、定義上は消化酵素を含まない唾液なのでどうかは別として唾液腺は存在するし、消化器官も持っている。


 さて、今回はこれだ。

 おばけのささやき。

 ネコのくしゃみ。

 言うまでもなく、ネコはくしゃみする。珍しいとはいえ、グレイプニルの材料にはなり得ないだろう。じゃあ、おばけのささやきは……?


 俺、新道礼人は「みえるひと」だった。何がって? もちろん、幽霊の類いだ。道端、田んぼの畦道、山林の入り口。同級生たちには見えない「人」が立っているのが見えてしまう。極力目を合わせないようにするものの、時々相手に気付かれてついてこられてしまうこともある。見えるだけで除霊ができるわけではない。こういうとき寺生まれだったらよかったのだろうが。

 学校内でもところどころぼんやりと人型の何かが見えることがある。学校というのは往々にして歴史が長く、長い間人々の念が残り続ける場所だと本で読んだ。そういう土壌もあるのだろう。別に自殺者が出たとか校内で死んだ人がいるとか元々学校があった場所はお墓だったとか、そう言うのはない……と思う……ないよな……?

 さて。放課後の補習を終えて教室に帰るとすっかり部屋はもぬけの殻だった。皆が帰ってひっそりとした教室、夕焼けの朱が差し込み、窓からはグラウンドで走り回るサッカー部の声が聞こえる、そんないつもの光景。

 ……いや、違うな。俺の机の中に何かが差し込んである。紙だ。あまり綺麗とも言えない折りたたみ方。見覚えがある。少なくともラブレターの類いではない。

 俺はぺら、と紙を開く。

「女子トイレ右から二番目で待っています」

 そう、汚い字で書かれていた。俺はため息をつきつつも、女子トイレに向かう。

 

 女子トイレは俺の教室のある新校舎の二階の女子トイレではない。旧校舎の一階の古くて汚い女子トイレの方だ。俺は周囲に人目がないことを確認すると女子トイレに足を踏み入れる。何度やったって慣れない感覚だ。男子用の小便器もないのも何か見慣れない感じがするし。

 俺は右から二番目の個室の前に立ち、もう一度周囲に人の気配がないことを確認してノックする。そして取り決めをしておいた声かけをする。

「はーなーこさん! あーそびましょー! ……アホか」

 俺がそう言うとバタン! と勢いよく個室のドアが開く。

「誰がアホよ!」

 上下セーラー服に長い姫カットの黒髪の女がドアが開くと同時に顔を出す。

「アホらしいだろどう見ても。何が『あーそびましょー!』だよ。事案になるぞ」

 俺は出てきた女──花子だ──にジト目を向ける。

「事案? どうしてよ」

「あんた年上だろ。高校生に声をかけてトイレに呼び込んだってなれば事案だろ」

 俺の言葉に花子は納得いかなさそうに憤った。

「はぁっ?! どう見ても花も恥じらう乙女じゃない!」

「その『花子』って名前珍しすぎんだろ。知ってるぞ、そういうの、キラキラネームって言うんだろ?」

「いやいやいや?! アンタのライトって名前の方がキラキラでしょ! 昔は花子の方が普通だったのよ!」

「いや、昔の話だろ? 今は今だし……花子なんて学年に一人もいねーよ」

「んぎぎ……」

 悔しがる花子を尻目にこんなやかましい幽霊いるか? と俺は頭痛を覚える。

 そう。これが「お化けの花子さん」である。我が校にもいたんだな。……ん? いる学校といない学校があるだろうけどそもそもなんで複数人いるんだ? 役職名か何かなのか?

「で、今回は何の用なんだ」

 俺は花子に尋ねる。女子トイレから出てきて廊下を歩いていたこいつを見てしまったのが運の尽きだった。それ以来、ときどき呼び出される。どうやらトイレの内外などで見える、見えないを切り替えられるらしい。ステルス戦闘機かよ。

「世の中ではハロウィン……というものがあるらしいわね」

 花子が言った。

「あるけどお菓子をもらえるのは子供だけだぞ」

 俺が言うと花子は憤慨した。

「ちょっと?! どう見ても子供じゃない!」

「中身もう何歳だよ。昭和から生きてるのっておばあさんだろ」

「はぁ?! 『ロリババァ』には需要があるって聞いたわよ!」

「うわキツ……」

「何よ『うわキツ』って?!」

 俺はキンキンする耳を思わず押さえる。なんてうるさいんだおばけの癖に。おばけのささやきなんて嘘だろ。

「……で、ハロウィンで何をしたいんだよ。うちの高校は仮装の習慣なんてないぞ」

 というかうちの高校じゃなくても仮装の習慣があるところは普通ないだろう。幼稚園とか保育園くらいじゃないだろうか。

「大丈夫、ちゃんと調べてあるわ」

 花子はそう言ってスマホを取り出す。どうやって契約したんだよ。どうやって料金支払ってるんだよ。女子トイレの窓から差し込む夕陽が夕闇に変わりかけている。流石にそろそろ帰らなければと俺は思い始めていた。

「ここ、二十九日。日曜日」

 花子はカレンダーを指さす。

「ハロウィンは三十一日、火曜日だぞ」

 俺が指摘すると花子は首を振る。

「二十九日、学祭でしょ? この学校の」

「ああー……」

 帰宅部の俺は面倒くさかったので半ば忘れていた。なんかやってたな、ホームルームで。

「でも学祭であってハロウィンじゃないぞ?」

「だ・か・ら。アンタのクラス、お化け屋敷をするんでしょ? 出し物で」

「そうだった気もするな……」

 俺は記憶の糸をたぐり寄せる。そんな話だったような気もする。

「ちょうど二十九日は大安! ハロウィンの日取りもいいはずよ!」

 花子がにこにこして言う。

「うっわ。大安とかババくせー……」

 俺が言うとまた花子はムキになる。

「ババくさいとは何よ?! 冠婚葬祭ではいまだに気にするじゃない!」

「ハロウィンは俺の知る限り冠婚葬祭じゃねぇよ」

 俺のツッコミを無視したままウキウキして花子は語り続ける。

「なんてったってハロウィンよ! そんなお祭り出られるの初めてだわ。地縛霊になって以降そんなイベントないし、十月三十一日にここで『トリックオアトリート!』ってしてもみんなお菓子くれる前に逃げちゃうし」

「してたのかよ一人ハロウィン……」

「仕方ないでしょ、地縛霊なんだから学校は出られないんだし」

「お菓子もらっても便所飯じゃん……」

「便所飯言うな?!」

 そんなやりとりを繰り返しながらも少しだけ花子に同情する。俺だったら嫌だぞ、ずっとトイレに棲むの。せめて普通の教室にしてほしいし。

「じゃあ、来んの? 学祭。大丈夫なの、昼間に出てきて。溶けたり灰になったりしないの?」

 花子が笑う。

「溶けるとか非科学的だわ」

「いや、お前の存在が一番非科学的だろ……」

 俺が本日何回目かのジト目を向けるが花子は気にした様子はない。

「じゃ、迎えに来てね? 二十九日の朝八時くらいで」

 花子がスマホを閉じると女子トイレはかなり暗くなった。薄暗闇の中、花子が手を振っているのがうっすらと見えた。


「あれ、礼人珍しいな。お前こういうイベント嫌いなのかと思ってた」

 悪友の田所が意外そうに言った。学祭まで二週間、俺も自主的に準備に加わったのだ。何って? お化け屋敷の内装や飾り付けの準備だ。

「いや、ちょっとな。知り合いが学祭来ることになってな……」

 知り合い……知り合い……? 間違ってはいないか。

「なんだよ、カノジョか?」

 田所がニヤニヤして言ったので少しムカついて俺は言ってやった。

「ああ、カノジョだよ」

 俺の言葉に田所の目が点になる。釘を打っていた、金槌を持った手の動きも思わず止まっている。

「はぁ?! お前カノジョいたの?!」

「なんだよ、いたら悪いか」

 俺は田所の隣に座り、奴のやりかけていた仕事を引き受ける。

「いや、悪いというか……お前みたいな陰キャにもできるんだなって……」

「陰キャはお互い様だろ」

 俺も田所もそんなにクラスの主要メンバーではない、と言えるだろう。かろうじてつまはじきになっていないだけでクラスの中心人物やグループとは一線を置いている感じだ。

「それで。どこ高? どこ中? もしかして……小学生か?!」

 田所が一人で盛り上がってるが俺はこともなげに言う。

「うちの高校生だよ」

「なんて名前?」

「花子」

「いたっけ、そんなやつ……?」

 いないよ。

「まぁいろんな事情があるんだ。で、花子が学祭に出たいみたいでさ。とにかく来るんだよ」

「そっか。花子だからお化け屋敷にはいいかもな、トイレの花子さんみたいで!」

 田所がつまらないことを言うがまさにその張本人だから困る。

「ま、まぁな。クラスメイトじゃないけどちょっと脅かし役で出たいらしいんだよ。その……花子が」

「いいのか? そういうのうるさいんじゃないか教員が」

 俺たちはいつの間にか声を潜めて相談していた。田所もこういうとき理解が早くて助かる。俺は周囲を気にしながら説明する。

「教員はどうせ学祭当日は放任主義だ。どっちかというとクラスメイトの理解の方が大事なんだよ」

「そうだな……女子とかそういうのうるさいかもしんねーしな」

「そう、男子はバカだからとりあえず女子が増えれば喜ぶか気にしないかどっちかなんだよ。女子は和を尊ぶから部外者を嫌がると思う……そこでだ」

 俺は手を合わせて田所に頼み込む。

「頼む! 女子に頼んできてくれ!」

「何で俺なんだよ!」

「一生のお願いだから!」

「もうお前一生のお願い何度使い切ったよ?!」

「お願い、またソシャゲのリセマラ手伝うから!」

 俺は奥の手を使う。金や物品を出せないなら労力を差し出す。交渉の基本だ。すると田所は仕方なさそうに口を開く。

「しゃーねぇな……事前登録も頼むぜ?」

 そう言うと田所は引き受けてくれそうだった。幸いというか、帰宅部の俺と違って田所は部活絡みで女子へのパイプがある。少なくとも俺よりは交渉の余地がある。

「わかった。あ、あとカノジョってのは……」

「ああ、伏せておく。お前の従姉妹か妹あたりでどうだ?」

「それで頼む。恩に着る」

「いいってことよ」

 そう言うと田所は作業に戻った。


「じゃあ、文化祭参加はできるようになったのね?」

 花子が俺に尋ねる。俺が花子に紙パックの苺牛乳を手渡すと彼女は上機嫌で受け取った。

「ああ。田所って言う俺の悪友がやってくれた。なんかお礼でもしてやってくれ」

「任せて。トイレに引きずり込むのと、赤いちゃんちゃんこ着せるの、どっちがいいかしら」

「多分、どっちもお礼にならないんじゃないかな……」

 チューチューとストローで苺牛乳を吸う花子を見ると言っている内容はともかく普通の高校生にしか見えない。ここが女子トイレでなければな……!

「じゃ、迎えに来るから口裏を合わせてくれよ、頼むから。なかなか部外者学祭に入れるのって厳しいんだぞ」

「分かってるってば。それより驚かせたらお菓子はもらえるんでしょうね?」

「ちゃんとそれもお願いしといたから。いいのか? 血糖値とか」

 俺が心配するとまた花子は憤慨した。

「年寄り扱いするんじゃないわよ?!」

「だって、高齢者は労れって習ったし……」

「だ・か・ら! 高齢者でもないわよ!」

 そんなやりとりをしていると、トイレの表の方から声がした。

「誰かいるのかー?」

 おそらく見回りをしていたのだろう、学校教育補助員の人の声だった。

「やべぇ?! 花子、隠れてろ!」

 俺は花子を個室に押し込むとなんと言い訳したものかと慌てて女子トイレの外に出た。


「男子……?」

 教育補助員の方は見る限り、もう定年間近の男性の方だった。当然のごとく、男子トイレからではなく女子トイレから俺が出てきたのでいぶかしげに見ている。

「あの! 自分は別に、その……!」

 思わず声が上ずる。何と言い訳したものかどうか。ご時世がご時世だ。監視カメラとか設置したと思われるとまずい。

 しかし、その年配の教育補助員の方は言った。

「もしかして……女の子が見えるのかね?」

「え……?」


 教育補助員の方は尾藤さんと名乗った。

「まだ私たちの仕事が用務員と呼ばれていた頃の昔の話さ」

 そう言って尾藤さんは口を開く。

「花子さんは普通の高校生だった。当時は別に花子という名前も珍しくない頃でね。彼女は幽霊でも何もない、確か私の二学年上だったかな」

 尾藤さんは俺の反応を見ながらゆっくりと続けた。

「ただ、彼女はいじめられっ子だった」

「えっ。あのキャラで?」

「あのキャラで、とは……?」

「ううん、こっちの話です。それで?」

 尾藤さんの説明を聞くとそれは壮絶なものだった。

 花子はいじめられっ子で、上履きを隠される、鞄の中身をゴミ箱に捨てられる、そんな者は序の口だった。まだ学校ごとに焼却炉があった時代、彼女の持ち物を燃やすなんていじめどころかもう器物損壊になるいじめもあったそうだ。

 そしてある日、女子トイレの右から二番目に追い詰められ、彼女が中から鍵を閉めて閉じこもっているとトイレの個室の上からバケツで水をかけられたらしい。

「ひどい……」

 俺が言うと尾藤さんは首を振った。

「いや、まだ続きがある」

 その後、塩素系漂白剤とアルカリ系洗剤を個室の屋根越しに中に注がれて花子さんはトイレの個室で窒息死してしまったのだという。

「いや、もうそれ殺人罪じゃないですか?!」

 俺が憤ると尾藤さんはうなずく。

「ああ。だがいじめっ子たちは誰も法的には裁かれなかった。そんな時代だ。今みたいにいじめに弁護士が介入する時代でもなければ、検死結果とは別に事なかれ主義の当時の教員たちはただの偶発的な心臓麻痺ということで処理してしまった教育委員会の悪いところも重なった事件だった」

「ひでぇ……」

 文字通り、花子は地縛霊だったのだ。あの右から二番目のトイレの個室の中で死んで。

「数年に一回くらい、君のように花子さんが見える学生が出るよ。しかしいかんせん旧校舎だからね、取り壊しをしていないとはいえ耐震の問題なんかもあるし、こうして声をかけさせてもらっていたんだ」

 尾藤さんの説明に俺はうなずく。

「あの……本当に自分は覗きとかじゃなくて……あいつが、花子の頼みを聞いて出入りしてるんです。ちょっと学校管理上問題があるでしょうが学祭までは見逃していただけないでしょうか」

 俺は思いきり頭を下げる。あいつは学園生活に未練があったのだ。少しでも花子の力になりたいという思いが今度は本気で湧き始めていた。

「いいよ。私以外には見つからないようにね」

 少しだけいたずらっぽく尾藤さんはOKしてくれた。


 約束通り、俺は二十九日の朝八時──学祭当日の朝である──旧校舎の女子トイレに花子を迎えに行った。

「おはよっ。時間通りなんて殊勝な心がけね?」

 花子が少し上から目線で言うが俺はもうそんな物言いは気にならなくなっていた。尾藤さんから聞いたこいつの過去。それを考えたら少しでも楽しく過ごせるように、と願うのが普通の神経だろう。

「まぁな。せっかくの行事の日だしな」

 俺はそう言うと、花子に名札を差し出した。

「名札?」

「学校関係者の印だよ。付けてたら勝手に教師や警備員からつまみ出されることなく過ごせるから」

「へぇ、最近は便利なのね! ううん、むしろ警備に気を遣ってるって言うべきかしら」

 ジェネレーションギャップのような台詞を言いながらもにこにこして花子は名札を安全ピンで制服の胸の部分に留めた。

「これでいいのかしら?」

「ああ。じゃあ行こうか。とりあえずクラスの奴らには俺の従姉妹ってことで話を通してるからその辺よろしく頼む」

 俺は花子に説明するがウキウキしている花子は上機嫌でちゃんと聞いていないかもしれない。俺はため息をつこうとして思いとどまった。せっかくの晴れの日だし、たまにはいいかと。大安だしな。


「花子ちゃんこんにちはー! 初めましてー!」

「うわ、髪めちゃ長。めちゃ綺麗! いいじゃんいいじゃん、きっとお化け屋敷にバエるよこれ!」

 俺にとっては予想外ではあったのだが意外と女子への花子の受けは悪くなかった。当初俺が予想していた「グループ外の女子への忌避感・排他性」は少なくとも見た目上は全然感じない。

「こいつがお化け屋敷に参加したいってのと、あとハロウィンやりたいんだってんで。俺もお菓子を持参したし存分に頼む」

 その辺りは田所にも根回しをお願いしていたおかげか、通りもよかった。女子のリーダー、濱地はうんうんとうなずいた。

「お化け屋敷は普通にやって、その後にハロウィンのやろっか」

「お化け屋敷と別に……? いいのか?」

 俺が尋ねると濱地は笑った。

「ウチらも一緒に遊べるしね。新道の従姉妹さんの話したら担任の及川先生をはじめ何人かがさせてくれるって。ハロウィン」

「マジか。濱地、恩に着る」

 俺が再度頭を下げるとほかの女子たちと一緒に濱地はにっと歯を見せて笑った。


 兼ねて話していた通り、学祭の出し物はお化け屋敷だ。俺も大道具・小道具の方でしっかり手伝いをやった。おそらくは田所の根回しに加えて、俺がしっかりそちらを手伝ったのも少しは女子が協力的になってくれたのにも影響があるかもしれない。

 花子は段ボールで作った女子トイレの個室から飛び出すという普段からやっているような役目を仰せつかっていた。

「大丈夫か? ちゃんとやれるか?」

「アンタね。アタシが何年これをやっていると思っているのかしら?」

 そう言って自慢げに花子が笑う。そこ、誇るところじゃねぇだろ。まぁでも男子はほとんどがモブのガイコツやゾンビ、フランケンシュタインなのでそれなりに華がある役どころかもしれない。

「本職の実力を見せてやるわ!」

「仕事じゃねぇだろ」

 そう言いながらも俺は笑った。


 実際、俺たちのお化け屋敷は後から聞くところ好評だったらしい。舞台セットも手を抜かなかったし、メイクも普段から化粧を取り締まられる側の女子が遠慮なく気合いを入れた特殊メイクのレベルのものだった。何より花子の迫真の演技は後々俺たちの学年が卒業するまでの間語り草になったという。

 後夜祭の前に少し待機時間があり、ハロウィンのイベントをすることになった。濱地が言っていた例のやつだ。事前に担任の及川を含めて何人かの教師と当日お化け屋敷で仮装予定の生徒から参加希望者を募って実施された。

 学祭が行われた新校舎の方ではなく、旧校舎の教室ひとつにそれぞれ一人ずつ教師が待機して仮装した生徒がハロウィンで家々を練り歩くのさながら、教室を練り歩き、トリックオアトリートと言いながらお菓子をねだって回る。少しでもハロウィン気分を学内で、と言うことで田所が出してくれたアイディアらしい。

「トリックオアトリート!」

 教室のドアにノックをして花子が飛び込んでいく。花子に関しては制服のままだし、ほとんどノーメイクだが昼の彼女の迫真の演技を観ていれば花子さんのコスプレだと言われても説得力抜群だろう。

「じゃあトリートの方で。あまり食べ過ぎるなよ」

 そう言って及川先生は俺たちにお菓子のアソートパックをくれた。次の教室に行くと地理の臼井先生が、その次の教室に行くと政治経済の空知先生が、その次の教室には物理の森先生が、というように教室ごとに先生たちが皆違うお菓子を持って待機してくれていた。

 最後の教室に行くと、待っていたのは尾藤さんだった。

「トリックオアトリート!」

 花子が歓声を上げると尾藤さんは優しく笑った。

「はい、お嬢さん、お菓子をどうぞ」

 尾藤さんが年配だからか、チョイスが少し渋かった。べっこう飴だった。しかし、逆に花子はとても喜んだ。

「あら? べっこう飴じゃない? いい選択ね。ありがとう、ハッピーハロウィン!」

 そう言って花子が手を振ると尾藤さんも花子に手を振り返した。長くここにいる尾藤さんなりに何か花子に思うところがあるのだろう。

「わざわざすみません。尾藤さん教員じゃなくて教育補助員なのに」

 俺がそう言うと尾藤さんは首を振った。

「ううん。彼女のこともそうだが学内の大人全員が生徒に対して責任を持たないといけないからね」

 尾藤さんの言い分が理想論なのかそうあるべき真理なのかは今の俺にはわからない。ただ、尾藤さんのように考える大人がいてくれるからこそ、きっと今日、この日の花子の幸せがあるのだろう、と俺は思った。


「……花火を観るのにもっといい場所だったあるだろうが……」

「何言ってるのよ?! 穴場なのよ?!」

「穴場つーか、他に誰も来ないつーか……」

 後夜祭の花火の間、俺は花子に連れられてまた旧校舎の女子トイレに来ていた。

「ここの窓から綺麗に見えるんだってば!」

「この状態を人から見つかったらどうしようと言うことばかり気になって花火が頭に入らない」

 俺はそう言いつつも、花子のことを考えた。きっと、地縛霊になってから何年も何年もの間、こいつはここから学祭の後夜祭の花火を見上げたんだろうな、と。今まで誰かが一緒に花火を観てくれたかは知らない。だが少なくとも今の花子は一人だ。俺が一緒にいてもいいかもしれない。

「……学祭、楽しかったね」

「……ああ」

「ハロウィン、初めて経験できた! 楽しかった!」

 そう言って花子が微笑む。

「……よかったな」

 今まで面倒くさいと思っていたこいつのお願いだが、こいつの境遇を知ってから今回一緒に学祭とハロウィンを楽しめて本当によかった、と思った。

「花火、綺麗?」

 花子が尋ねた。

「まぁまぁだな」

 どうしても場所が気になったし、小さい女子トイレの窓から観る花火がいまいち綺麗には思えなかった。だがそれを悪く言うことは地縛霊の花子に悪いと思った。

「私は──」

 花子が言った。

「今年の花火が一番、綺麗だったよ」

「……花子?」

 暗がりの中、光っていたのは花子のスマホではなかった。ぼうっと人魂のように明るくなり、光の粒になり始めているのは花子自身だった。

「おい、待て──」

 なんと声をかけていいかわからなかった。成仏するな、とも言うわけにはいかないし。俺が迷いあぐねていると、花子が長くて黒い髪をわずかに揺らして俺の耳元に顔を寄せてささやいた。

「ありがとう」

 そういうと、もう一度淡く光ると花子は光の粒になって消えていった。

「……馬鹿野郎」

 俺は思わずつぶやいていた。

「まだまだ生きてたら楽しいことがいろいろあるってのに、人を置いて成仏するやつがあるかよ……」

 すっかり人の気配がなくなった、旧校舎の女子トイレ、右から二番目の個室。あいつは天国に行けたんだろうか。……行けたんだろうな。そう、祈らざるを得ない。

 最後のあいつのささやき。それは地縛霊の身から解放されたあいつとは対照的に、いつまでも俺を縛り続ける鎖……そう、ちょうど魔狼を縛り付けたグレイプニルのようだった。


 しかし、それから数日後。

 俺は旧校舎の裏で野良猫を餌付けしていた人影を見かけた。今のうちの高校の制服じゃない、古い型の制服。そして黒くて長い髪。

「おい」

 思わず俺は声をかける。嬉しさより先に驚きが勝った。

「なんでいるんだよ」

「なんで? 別にこの子に餌をあげているだけよ?」

 何で生きてるんだとか、生きてたら戸籍はどうなってるんだとか、一瞬頭をよぎったが無駄なことだと思った。そもそも、こいつがスマホを契約していた時点でそういうことを気にしても無粋だと。

「……あんな、昭和と違って今は野良猫に餌をやっちゃいけないことになってるんだよ」

 本当は昭和だったらOKではなく昭和でもNGなのだがこいつはそういう言い方の違いをとがめてくるタイプじゃないのはわかっていた。

「流石現代にアップデートできてないだけあるな」

 俺が言うと案の定、黒くて長い髪を揺らしてこいつは憤った。

「何よ! 困ってる動物は助けてあげなきゃだめでしょ!」

「だ・か・ら・なー、今は里親を探して、避妊手術を受けさせてあげて、外飼いじゃなく家の中で可愛がるのが当たり前なんだよ」

「じゃ、じゃあ……あんたの家で引き取りなさいよ!」

「う、うちはカーチャンが猫アレルギーなんだよ!」

「なら……どうしたらいいのよ!」

「わかんねぇよ! でも……俺たちでも一緒に里親探すくらいはできるだろ!」

 俺が言うとあいつはそう、と微笑んだ。

「なら、早速行くわよ! この子の里親捜し!」

 そう言うとあいつは俺の手を握って駆けだそうとする。学祭の時のように。

「おい、ちょっと待てって!」

「善は急げよ! こんな人気のない場所でじっとしてる場合じゃないわよ!」

 騒がしく走り出す俺たちの横で、野良猫は小さくくしゃみするのだった。


<了>

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