100お題 番外編その5 ハロウィンお題「満月が吸い取る正気」
腹を空かせた夢喰い | お題配布サイト
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こちらよりお題を頂戴しました。
お題:「満月が吸い取る正気」
2023年10月23日0:00~10月29日23:59(実際の執筆期間は少しオーバーして10月23日23:00~10月31日15:00頃)
古来より、満月は狂気の象徴とされた。西洋では月の満ち欠けは人間の体調や内面とも相関すると考えられており、満月の夜には犯罪が増えたり狂気に駆られたりするものが増えるとされてきた。悪魔や魑魅魍魎たちも満月の夜に跋扈すると昔の人は考えていたのである。全く、満月からすればこの上なく迷惑な話である。
狼男──あるいはワーウルフ、ウェアウルフが満月の夜に変身するのもこの満月と狂気の関係に端を発する。満月の夜に最高潮に達する月の力が人から獣への変身を促進するのだ。
しかし、当の本人からすれば体質だから仕方ないのだ。
狼男に変身するからワーウルフ。この変身する動物によって呼称は異なる。虎男に変身するからワータイガー、熊男に変身するからワーベアなど実際には狼男以外のライカンスロープ……人獣変身能力を持つ者たちがいる。
野生の強靱さ、獣並みの敏捷性、鋭い爪と牙。人間をしのぐその強さは人々の恐怖の対象になり、彼ら彼女らは迫害されてきた。ゆえに、ライカンスロープらは自分たちの存在を隠し、人間に紛れて生きてきた。しかし、ときとして満月の夜は彼らの正体を暴き出してしまう──
「ちくしょう、まさか都内で獣化しまうとは」
利長はぼやいた。利長はワータイガーだった。獣の顔、牙と爪。そして筋骨隆々の肉体、しかし人間のように話すこともでき、二足歩行も可能である。人間と獣のいいとこ取り、それがライカンスロープだ。
現代日本でライカンスロープの存在は都市伝説と思われているくらいで、その実態はほとんど一般の人間には明らかにはなっていない。その一方で、獣化したときに人に見つかると純粋に野生の獣や動物園から脱走した動物と思われて捕獲や駆除のリスクがあった。
「秋田県内で先月獣化したときにはなんかすぐに駆除班が引き上げたってのに……やっぱり人間も自分たちに被害が降りかかるかもってなったら手のひらを返しやがる」
利長が先月秋田でうっかり満月の夜に虎になってしまったとき、地元では当然ニュースになって猟友会が動く事態になった。しかし、県外から秋田県庁に苦情が殺到したのだ。「野生動物がかわいそうだから殺すな」「麻酔銃を使え」「捕獲して山に戻せ」などと。
しかし、今回は事情が違う。都内である。地方と比べて圧倒的に人の数が多い。加えて、普段は自分の身に火の粉が降りかからないために地方で野生動物が出ても過度な動物愛護を平気で訴えている一部の都会の人間たちも、いざ自分たちの生活圏内で肉食獣が出たら駆除を叫ぶ。まったく、人間というのは勝手なものである。
「くそ、なんで都内なのにこんなに猟銃所持者がいるんだよ……他県から応援でも呼んだのか?」
利長の予想は当たっていた。熊との誤報ではあったが流石に都内で大型肉食獣が跋扈しているとあれば流石に、と周辺の県からも応援が動員されていた。二十三区と違って自然の多い場所とはいえ、熊の移動可能な距離を考えるとそれは当然といえる措置であった。いつ渋谷のセンター街にハチ公の代わりに熊が現れてもおかしくないのである。
まだ満月ではなかったが望月に近い大きな丸い月が夜の森を照らしている。利長は夜の森狩りをしている猟師の一団を撒いて木の陰に隠れていた。しかし、彼は後ろから近付く影に直前まで気づかなかった。その影が彼に銃口を向けた瞬間、利長は気付いて振り返る。
「やめろ! 撃たないでくれ!」
熊に獣化しているとはいえ、とっさに出たのは人間の声だった。すると、猟師が明らかに身じろいだ。
「ん? その声は……」
不意に猟師の男が利長に向けていた銃口を下ろした。そして懐中電灯を利長に向けた。思わずまぶしくて、利長は手で顔を覆った。
「虎男……?」
相手が純粋な虎ではないとはいえ、虎の牙と爪を持つ相手である以上、自殺行為とも言えたが猟師は銃を再度構える様子はなかった。その猟師には虎男の声に、聞き覚えがあったのだ。男は利長に向けて口を開く。
「お前は俺の同級生、深山利長……トシナガことリチョーじゃないか?」
懐かしいあだ名を呼ばれて利長は猟師の顔を仰ぎ見る。間違いない。高校生の頃、一緒の教室で学び、遊び、ふざけ合った同級生。
「?! もしかして袁?! 袁さんなのかお前?!」
利長が訪ねると猟師の男──袁はうなずいた。
「リチョー。お前には深い恩があるからな。たとえお前が猛獣になったとしても、お前を撃つことはできない」
完全に緊張を解き、袁は銃を地面に置くと利長に手を伸ばす。それは級友と再会の握手だった。おそるおそる利長も手を伸ばし返し、しっかりと手を握る。少しごわごわした中に肉球と獣の毛がある利長の手。二人は固く握手を交わした。
「リチョー。お前ずいぶんと毛深くなったな」
袁が冗談を飛ばすと虎の姿のまま利長は目を細めた。
「うるせぇ」
そう言って二人は笑い合った。
袁は帰化した中国人の末裔だった。もう大陸人の血は何世代にもわたって薄まっていてほとんど日本人だったが、その特徴的な名字のせいで袁はよくからかいの対象になった。それをいつもかばってくれるのが利長だった。
「なんでお前は虎になってしまったんだ。高校の頃からそうだったのか?」
「いや、俺は……」
利長は一旦考える。
「虎党だったからかな?」
「いや、多分違う」
袁が呆れて言った。その理屈だと関西圏に大量に虎人間が出るだろうし道頓堀に飛び込む虎が出ていてもおかしくない。
「利長。人間の姿には戻れないのか?」
袁の言葉に利長は答える。
「満月が近くなってこうして獣の姿になると戻れるまでの日数はやや幅がある。早ければ満月を過ぎて二、三日で元に戻れるが遅ければ満月の日から一週間くらいかかる」
袁はそれを聞いて考える。最長の一週間虎の姿でいれば、間違いなく猟友会が黙っていないだろう。
「そうか……近々、ハロウィンだ利長」
袁が口を開く。
「渋谷のセンター街に行くんだ」
「馬鹿言え?! 俺はこんな見た目だ。大騒ぎになるだろ?!」
さらに言えば渋谷は人混みによる懸念や外国人の路上飲み問題などで区をあげてハロウィンの民衆を排除しようとしているのだ。そこに虎ないし虎人間が出れば警察や警備もいるしただ事ではすまない。
しかし、袁は彼の意図を説明する。
「そうだ。だがそこでなんとか誤魔化すんだ。それを『よくできた仮装』だと」
「脱げと言われたらどうするんだよ?!」
「脱げと言われても脱げないが……普通は虎が人語を話すと皆は思わない。おまけに二足歩行だ。満月の夜に変身する虎男が存在する、なんて話より『リアルな着ぐるみの変わった趣味の人』の方が同じお騒がせでも現実味がある」
「……」
袁の説明を利長は黙って聞いていた。確かに一理あるかもしれない、と。
「一旦お前が知名度を得てしまえば、もう人々はお前を着ぐるみの人と恐れなくなる。自作着ぐるみや自作特撮スーツ衣装で地域のご当地キャラになりきる人は多い。お前がそれを着ぐるみと演じ通せれば今後もうお前は隠れずに済む」
「確かにもう隠れ通すのも逃げ回るのも嫌だが……池袋の方がいいんじゃないのか? コスプレの祭典があるとかなんとか」
それは利長がニュースを見ていて言っていた、仮装を重視する人なら酒を飲んで馬鹿騒ぎをする人のいる渋谷より池袋の方に集まるという前情報だった。
「確かによりコスプレを周知するなら池袋の方がいいだろう。だが話題性なら渋谷だ。一旦ニュースになればより多くの人がテレビやネットでお前の虎の姿を見ることになるはずだ」
袁の説明に利長は頷く。そのときだ。
「袁さん! そっちに虎はいるか?!」
別の猟師が落ち葉や枝を踏み分けながら近付いてくるようだった。
「リチョー、行け。もうすぐここには人が来る。渋谷の件、考えといてくれ。三十一日夜なら俺は非番だから俺もセンター街で待機する」
利長は頷き、走り去った。袁は銃を下ろしたまま、その背中を見送った。満月に近い月齢の月は走り去る利長と袁を見守っていた。
果たして、ハロウィンの夜。当日は満月だった。袁と相談した通り、利長はあえて渋谷のセンター街に登場した。途中まで虎の顔の上にかぶり物をかぶり獣の前脚の上に手袋をして、変装した状態で渋谷駅まで向かった後、センター街で自らの虎の顔と爪をむき出しにした。そのあまりにリアルなコスプレに(コスプレではないのだが)辺りは騒然となった。
「至急応援を願います!」
渋谷の交通整備のためのDJポリスが拡声器で叫んだ。
「虎が出ました!」
流石に警察も初動では混乱した。二足歩行の虎などいようはずがないのに、そのあまりにリアルなコスプレに(コスプレではないのだが)本当の動物が渋谷に迷い込んだと勘違いしたのだ。それまで利長のことをコスプレと思い込んでいた人まで本当の虎だと勘違いし、大声を上げて逃げ出す始末である。
利長は卓越した身体能力ですばやくDJポリスの乗る警察車両の上まで跳ね上がる。
「すみません、拡声器貸してください!」
虎の姿に震え上がって動けないDJポリスから拡声器を受け取り、利長は叫ぶ。
「皆さん、落ち着いてください! 虎は出ていません! 虎のコスプレです!」
周囲に響き渡るれっきとした人間の声。皆の視線が警察車両に向くがそこには人語を発する虎男の姿がある。
「驚かせてごめんなさい! でもこれはコスプレです! 本物の虎は出ていません!」
利長はやぐらの上で大仰なポーズをとってアピールする。ざわざわと騒ぎはやや収束していく。なんだただのコスプレか、驚かせやがって……と言いながら安心する者も出ているようだった。利長は重ねてコスプレ(コスプレではないのだが)を強調した。
これだけ注目されればニュースで知名度上昇も間違いないだろう。DJポリスに頭を下げて拡声器を返し、利長が警察車両のやぐらの上から降りようとしたそのときだった。
「認められるものか!」
ふと民衆の一人が叫んだ。正体がばれたのかと利長は身構えた。しかし、予想外の罵声が飛んできた。
「東京に虎の着ぐるみなんて邪道だ! ここは巨人と燕の土地だ! 虎は関西に帰れ!」
利長は固まった。確かに、宗教、政治、野球の話は人にするなと言われる。また、関西では試合直後の電車であっても皆オレンジ色の車両を避けるのは有名な話だった。
「そうだそうだ! 十八年ぶりかなんだか知らないが優勝しやがって!」
別の野球ファンからも罵声が飛ぶ。野球の恨みは恐ろしい。
「虎は帰れ!」
「そうだ! 虎は森に帰れ!」
「関西に帰れ!」
どんどん野球ファンたちからの野次が大きくなり、利長はやぐらの上から降りるに降りられなくなった。
……万事休すか。利長が諦めた瞬間、人混みの中から別の声が飛ぶ。
「おい! 虎党の皆! 悪から虎を皆で守るんや!」
また別の声が上がる。
「大阪から離れても虎党で団結せなあかん!」
警備をする警察の列をかいくぐってパトカーの、利長の周りに人の輪ができる。そこにこっそり袁の姿もあった。
「虎が東京におって何があかんのや!」
「故郷を離れて頑張ってる虎党でトラッキーを守ったる!」
「いや、俺はトラッキーではないんですけども……」
擁護はありがたいが宗教戦争になりそうで思わず利長が焦っていたところ、袁が同じく警察車両に上がってきた。
「すみません、拡声器借りますね」
またしても置いてきぼりを食らっているDJポリスから拡声器を受け取り、袁が叫ぶ。
「皆さん! 数日前に都内で熊が出たと報道がありました! それはこの俺の友人、リチョーを本物の動物と見間違えての通報だったんです!」
流石に初動の騒ぎからすでにマスコミが現地入りしていたため、袁の拡声器での演説はそのまますっぱ抜かれた。
「こいつは虎党過ぎて虎になったわけではないんです! 臆病な自尊心と尊大な羞恥心故に大騒ぎになった以上、数日前の騒ぎは俺のコスプレでした、と言い出せなかったんです!」
皆がやぐらの方を向きながらあぁ……と納得する。誰にでも理解できる心理であった。自分のしでかしたことがふとしたことで大騒ぎになって、言い出すに言い出せないという状況。誰しもが人生で一度は経験があった虎という相手を威嚇するに足る威風堂々とした外見とは裏腹の、言い出せない小心者の心。
「警察の皆さん、渋谷の皆さん、ご迷惑をおかけしました! ハッピーハロウィン!」
そう言って袁は利長の手を取って万歳させた。虎党を中心に拍手が上がり、やがて雑踏の皆が拍手をして口々にハッピーハロウィン、と隣の人と声を掛け合っていた。
満月の下。虎を殺せ、という民衆の恐れや攻撃性、凶器は月に吸われるように雲散霧消していった。……虎党に救われたと言うべきであろうか。
もちろん、後から利長と袁はこっぴどく警察に絞られたが最後まで利長の虎の姿はコスプレ(コスプレではないのだが)で貫き通すことができた。少なくとも利長の姿について広報して今後見かけられても騒ぎにならないようにする、という目的は達成されたのだ。
こうして、利長は「満月の度に現れるリアルな虎コスプレの人」の地位を得てもう逃げも隠れもしなくなっていった。彼の存在がまだこの国での少数派、ライカンスロープの地位向上と知名度普及に繋がっていったのはまた後の話である。
<了>
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