100お題 番外編その1  夏お題「夏に誘うアサガオ」



腹を空かせた夢喰い | お題配布サイト

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こちらよりお題を頂戴しました。

四季・イベントお題

お題:「夏に誘うアサガオ」

2023年7月31日0:00~8月6日23:59

※夏コミ前なのでワンライ、48時間ではなく1週間で書いております


 夏が来るたび思い出す風景がある。一学期の最終日、それまでに分割して運んでいなかった荷物をまとめて小学校から帰るあの炎天下の千里行。

「若菜、お前今まで何やってたんだよ」

 同級生の秀夫はすでに荷物を分割して持って帰っていたため身軽にランドセルと手提げ袋一つだった。

 私は背中にランドセルを背負い、アサガオの鉢を両手で抱え、給食袋と体操服と習字セットと鍵盤ハーモニカをそれぞれの腕にぶらさげて、肘にかかった負荷で腕がちぎれそうだった。

「もう、少しくらい手伝ってよー」

 私は秀夫に泣きついた。

「少しずつ持って帰らないのがいけないんだぞ」

 秀夫は正論だったがそれが逆に悔しかった。

「秀夫のばかに言われたくないー」

「ばかって言った方がばかなんだぞー」

 そのとき、ひょいと私のアサガオが取り上げられ、私の頭上に浮かぶ。思わず私は見上げた。青空に浮かぶアサガオの鉢、優しい笑顔。

「こんにちは、若菜ちゃん」

 知らないお兄さんが私のアサガオを持っている。

「おうちに運ぶんだろう? 手伝うよ」

 私は一瞬知らない男の人だ、と警戒した。ただどうしてだろう、お兄さんにはどこかすごく懐かしい感じがしたのだ。

「知らない大人だ! 知らない大人について行っちゃいけないんだぞ!」

 秀夫が私とお兄さんの間に遮るように立ちはだかった。

「大丈夫だよ、秀夫。僕が君を知っているから」

 お兄さんは敵意をむき出しにする秀夫にも優しくそう微笑んだ。

「なんだよおじさん、俺も知ってるってことは俺の親戚か?」

「おじ……!」

 容易に警戒を解いた秀夫とショックを受けていそうなお兄さんとが対比的だった。

「……そうだね、おじ……おじさんは君の親戚……のようなものかな」

 お兄さんはそう言って私と秀夫に並んで歩く。

「若菜ちゃんはまとめて運ぶタイプ、秀夫君はこつこつ計画的に運ぶタイプなんだね」

 おにいさんはにこにこ言いながらそう言った。

「そうだよ、こいつ『けーかくせー』がないからな。将来が心配なんだ」

「秀夫に心配されたくないってばー」

「まぁまぁ。みんな大なり小なり大人になれば少しずつ成長していくんだよ」

 お兄さんはそう言って私を励ましてくれた。

 思えば、不思議な体験だった。私と秀夫、知らないお兄さん。炎天下で荷物は重たかったがお兄さんがアサガオの鉢を手伝ってくれていた。そしてずっとそうしていたことで、秀夫も思うところがあったのだろう。

「……ほら、鍵盤ハーモニカと習字セットよこせよ。持ってやるよ」

 そう言って秀夫が私に手を伸ばした。

「いいの?」

「そういえば母ちゃんが言ってた。男なら女の子の荷物持ってやれ、って」

「若菜ちゃん。少し甘えとこう。秀夫も同じ小学一年生でも男の子の分筋肉はあるんだから」

「そうだよ。任せとけって」

 こうして、私の荷物はランドセルと体操服、給食袋だけになった。

「大分楽になった?」

 お兄さんは尋ねる。

「うん! ありがとう、お兄さん、秀夫」

「……いいぜ、こんくらい」

 秀夫は鼻を擦った。

「人生の荷物もときどきそうやって人に預けるんだよ若菜ちゃん」

「よくわかんねーけどなんかそういうの、おっさんくさいぜ?」

「少なくとも君よりはおっさんだからね、秀夫」

 お兄さんと秀夫はそんな話をしていたのを覚えている。

「……そろそろだ」

 そう言うとお兄さんは腕時計を見た。

「秀夫、若菜ちゃんを頼む。若菜ちゃん、秀夫をよろしくな」

  直後、私と秀夫は突然お兄さんに突き飛ばされた。二人同時とはいえ、大人の力だ、思い切り地面に転んで私は背中をしたたかに打ち付け、秀夫はすぐさま起き上がりお兄さんに怒声を浴びせようとした。

「おじさん何を……! ……ッ!」

 突然、車道からトラックが歩道に突っ込んできた。お兄さんにトラックが直撃し、宙を飛ぶアサガオの植木鉢。あの音は生涯忘れることができないだろう。

「お兄さん?!」

 私はそう叫ぶのが精一杯だった。あの頃は小学一年生で、救急車やパトカーを呼ぶなどと言うことすら思いつかないくらい気が動転していた。

「……誰かー! 誰か来てください!」

 秀夫はそう叫んだ。流石にトラックの派手な衝突音が響き渡っていたこともあり、すぐに大人が数人駆けつけてくれた。

「大丈夫か、嬢ちゃん、坊主」

「俺と若菜は大丈夫! だけどお兄さんが……!」

 トラックの運転手はなかなか降りてこなかった。しかし、周囲の大人は幸い機敏に反応してくれた。

「お前、警察に連絡してくれ! 俺は救急車を呼ぶ。誰か家に救急箱があるやついたら持ってきてくれ!」

 まだAEDも普及していない時代だったけれど最初に来てくれた大人のおじさんの一人がてきぱきと周囲に声かけをして、皆善意で動いてくれた。きっと、今ならスマホで動画の撮影をしていた人もいたかもしれない。文明の進化は時に人を残酷にするとあれからいくつかの事件や事故をテレビで見る度に思う。

 お兄さんは身元不明で結局、どこの誰かも判別がつかなかったらしい。歯形の照合も近所の歯医者ではどこにも該当する人はいなかったそうだ。地元の新聞は子供を救った名もなき英雄を讃える記事を大々的に載せたが、私と秀夫と双方の家族以外からは、お兄さんの記憶は早々に薄れてしまっていくのだった。


 私と秀夫が付き合いだしたのは高校に入学してからだった。

「お前、本当にアサガオ好きだな」

 今年もプランターに植えた伸びかけのアサガオを見て秀夫はそう笑っていた。

「お前以外同級生で今も植えてるやついないよ」

 それはそうだと思った。秀夫の言葉は間違いない。

「好きなことをするのに周りがどう思うかは関係ないでしょ。おうちで植物を植えるのなんて余興中の余興なんだし」

 秀夫は私の言葉にわずかに眉毛を動かして反応した。どの部分にだったのかは分からないけれど。

「確かにそうだな。好き……なら関係ないもんな」

「なんでもじもじしてんのよ。秀夫のくせに気持ち悪い」

「お前も言うようになったなぁ……!」

 秀夫は苦笑する。すっかり腐れ縁のまま高校までこうして一緒にいる私たち二人。家が近いし、家同士の接点も多いので思春期特有のからかいを経ても私たちはずっと一緒にいた。

「あのさ……」

 秀夫はこんなことを言った。

「これからは毎年、俺が一緒にアサガオの世話をしたら……駄目かな?」

 私はきっと微妙な表情をしていたのだろう。秀夫が困った顔になった。

「おい、なんとか言えよ……!」

 私は耐えきれず吹き出していた。

「あは、あははははっ! だって秀夫、それもうプロポーズじゃん……! あははははっ!」

「わ、悪いかよ……! だってそれくらいの覚悟の言葉なんだから……!」

「えっ、じゃあ秀夫……」

 どきり、とした。単にアサガオが好きなだけだと思ったのだ。つまり、秀夫が好きな方は……。

「若菜、好きだ。付き合って欲しい」

 それは私が待っていた言葉だったからだ。

「……うん、いいよ」

 そう言って私は目を閉じた。閉じた瞼の向こう側からも秀夫の動揺が伝わってくるようで、キス待ちのまま、私は吹き出しそうになった。

 それでも、秀夫はちゃんと応えてくれた。

 重なった唇、アサガオだけが見てるファーストキス。


 恋人の秀夫が失踪してからもう一週間が経つ。私が夜勤明けで帰ってくると秀夫は入れ替わりに出かけるところだった。

「若菜、お疲れ。ちょっと飲み物買ってくるよ。なんか欲しいものある?」

 そう言って秀夫は私にも希望を聞いてくれる。

「うーん、特に思いつかないかな。ありがと。あれ、スマホは?」

 私はテーブルの上の秀夫のスマホを指さした。

「自販機行くだけだからスマホと財布は置いてく。小銭入れだけあれば十分だろ。五分、十分くらいで戻るから」

 そう言って秀夫は小銭入れをポケットに入れた後、私のところへと歩いてきた。

「どっか他の女の人のところへ行ったりしない?」

「まさか。まだ今年のアサガオを見ていないだろ?」

「えー?! 私じゃなくてアサガオ?!」

「両方だよ」

 秀夫はそう言って私の額に優しくキスをしてくれた。

「好きなことをするのに周りがどう思うかは関係ないんだろ。俺はまたお前が植えたアサガオ、見たいよ」

 そう言って出て行ったっきり、秀夫は帰らない。


 あれからさらに十年が経つ。秀夫が失踪して七年以上が経ったので秀夫は死亡者扱いになった。書類の上での死亡、と言われてもいまだにぴんと来ない。ふらっと出て行った秀夫がふらっと戻ってきそうな、そんな気は今でもするのだ。

 結局、籍を入れる前だったのがよかったのか、悪かったのか。でもアサガオの蔓を象ったようなこの婚約指輪の光る薬指をみるたび、前に進もうとは思っても他に言い寄ってくる誰かに身を任せようとは思えなかった。

 私は今年もアサガオを植える。お兄さんのためか、秀夫のためか、それとも一人になった自分のためか。寂しい気持ちがないと言えば嘘ではないがなぜだろう、今年もグリーンカーテンいっぱいに蔓を伸ばし、咲き誇るアサガオを見るとあの日お兄さんが紡いでくれて秀夫と過ごせた三十余年ばかりの年月に感謝したくなるのだ。

 また今年も夏が来る。


<了>

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