トライロバイト①

未だにわからない、あのお方はなぜあのようなことをしたのか……。


「――の罪によりメイソン。節足動物に生まれ変わらせてやった、ありがたく思えよ。」

「――の罪によりローガン。節足動物に生まれ変わらせてやった、ありがたく思えよ。」

「――の罪によりルーカス。節足動物に生まれ変わらせてやった、ありがたく思えよ。」

 エンマの甲高い声が室内に響いていた。

「エンマ様。なぜ彼らを同じ動物に転生させたのですかな?」

「転生先のミツガシラという甲虫はな、共食いをする集成を持っているんだ。そう やって一番強い個体を残すようにできている。」

「……はぁ?」

「そして、先ほどの3名はもと海兵だった。それも同族殺しの罪で現世では死刑になって送りこまれているんだ。そんな気の触れた連中だ、蠱毒の中に送り込むのが丁度よいではないか。」

 蠱毒(こどく)とは、複数の毒虫を1つの容器に閉じ込め互いに戦わせ、最後に生き残った1匹が、他の全ての毒虫の毒を吸収し、最も強力な毒虫になるという言い伝えである。

この時エンマは、共食いという行為をこの毒虫の毒に見立ててそう言ったのだった。

「あい変わらず、性格が悪いですなぁ。エンマ様。」

「なんだとッ!!」


N768次元、ガリア地方、ディーフォレスト地区


――とある街。


 その日、街の一角でひとりの男が勇気を振り絞り、食糧庫の重い扉に手をかけた。

 冷たい金属が手のひらにひんやりと触れる。

 彼がその日食糧庫を訪れる理由は、仲間からの通報だった。

 食糧庫から奇妙な音が聞こえるという報告だ。

 それはまるでギチギチという虫の鳴き声のような、微かだが不穏な響きだった。

 彼は恐怖を押しのけ、結局のところ、誰かがやらなくてはならなかった役目を引き受けることにしたのだった。


 男が扉を開けた瞬間、闇が彼の視界を飲み込んだ。

 そして、その闇から2つ、4つ、無数の赤い目が点滅した。

 それらの目は狂気を含んでおり、男を無言で睨みつけていた。

 男の心臓は鼓動を早め、呼吸は乱れる。

 そして、仄暗い食糧庫の奥から、ひときわ大きな赤い目が彼に迫ってくる。


 その目はただならぬ存在感を放ち、一瞬で彼に接近した。

それを見た男は、恐怖に脚を震わせ、「――ウワァアアアアアアッ!! 来るなッ!! 来るなッ!!」と絶叫した。

 その瞬間、巨岩のような甲虫が突如として男に襲い掛かり、その重厚な体で男を地面に叩きつけた。


――とある森。


 深い闇が森を覆い、完全な静寂が広がっていた。

 月明かりが夜空から降り注ぎ、木々の葉っぱを優しく照らし出し、その景色はまるで純銀の絨毯が地面全体を覆っているかのような幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 その中に一人、男が静かに立っていた。

 彼の名はアオ。


 アオは、考えごとに頭を深くかかえている哲学者のように、または、獲物を待ち構える狩人のように、静かにその場に座り続けていた。

 彼の深遠な眼差しは周囲の静寂と完全に調和し、時間が止まったかのような静けさを生み出していた。


 そのとき、森の奥深くから何かがそっと動き出す音が、静寂を優しく切り裂いた。

 それは草木を分けて進む微かな足音だった。

 その音の源をたどって目の前に現れたのは、まだ肌がつやつやとした若い少年だった。


 彼の身体は未熟ながらも力強さを秘めており、その堂々とした態度は周囲に威風を醸し出していた。

 その姿は、育ち盛りの野生動物のように、未来への大きな可能性を感じさせた。

 その腰には、木の葉の間から月明かりに反射して光るナイフがしっかりと収められていた。


 その少年はアオの近くに落ち着いて座り込み、彼を心配そうに見つめた。

「おじさん、大丈夫か?」

 少年は穏やかな声で問いかけた。

 その問いにアオは、まるで雷に打たれたかのような驚きの表情を見せた。

「……なにッ!? おじさんだと?」

 アオは驚きながらも、少年を見つめていた。

 その表情は半分は戸惑い、半分は軽い苦笑いで満たされていた。


 そして、その顔から少しだけ、いつもの落ち着いた笑顔が戻ってきた。

「何処へ行っていたのですかな、えっと確か……。」

 アオは少年と面識があったのだ。

 そしてその名前を思い出すように指先を額に置いて、トントンと何度もたたくのだった。

「なんだ忘れちゃったのか。俺の名前はマグナだぜ。おっさんお腹空いてるだろ?   青い顔してるもんなあ、だから取ってきてやったんだ。」


 そう言って、マグナは、腰に隠していた手を開いて見せた。

 そこには、人の顔ほどに大きい甲虫が握られていた。

 その甲虫はまるでダンゴムシに似ていたが、その大きさは比べ物にならなかった。

「こいつはミツガシラって言ってな、焼いて食うとうまいんだぜ。」


「なるほど、少年。食料を取るために森へ入っていたというわけか。ただ、残念だが、ここに火を起こす道具など見当たらないがね。」

 アオはそう呟いた。

「何を言っているんだよ、おっさん。魔法があるじゃねぇか。」

「……魔法?」

 聞きなれない言葉に、アオは顔をしかめた。

 マグナは近くの森から幾つかの枯れ木を手際良く集め、1か所に積み上げると、地面に転がっていた小さな石を手に取り、じっと枯れ木を見つめた。

 そして、深い呼吸を一つ吐いた後、マグナはその石を握った手をゆっくりと木の方へ向ける。

 その瞬間、マグナの身体を包むように、数えきれないほどの黄金色の粒子が浮かび上がり、星屑のような光を放ち始める。

「イグニッション!!」

 マグナがそう叫んだ瞬間、黄金色の粒子は石に集積し、石の表面で小さな爆発が起こった。

「……石が吹飛びましたな。」

 粉々に砕けた石ころを見つめ、アオは、そうつぶやいた。


「やっぱりだめか、爆裂系の魔法じゃ火がつかねえや。」

 頭をかきながら、マグナは言った。

「でも大丈夫、きっと今の音を聞いて、仲間が来てくれるから。」

 その言葉が終わると、森の奥から白い光が近づいてくるのが見えた。

 その光は次第に強く、大きくなり、最後には二人の少女となって現れた。


「あっ、いたいた。ちょっとレディーを置いてどこ行っていたのよ。」

「マグナ君さがしたのよ。」

 マグナは嬉しそうな表情を浮かべ、二人の少女を指差した。

「おじさん、これが俺の仲間のユリカとヴァレリアだ。」


 マグナの紹介を受けて、アオはユリカとヴァレリアを見つめた。


 ユリカと言われる少女は、純白の魔法使いの服装に身を包んでいて、身長と同じくらいの長さの素朴な木製の杖を手に持っていた。

 純粋で明るい彼女の魔法使いらしさが、どこか異国の姫君を彷彿とさせ、その澄んだ瞳は人々を魅了する。

 彼女の笑顔は、誰もが心を奪われるほどの輝きを放っていた。


 ヴァレリアは、黒を基調とした魔法使いの服装に身を包んでおり、彼女の手には短めの杖が握られていた。

 その杖は彼女の謎めいた美しさと鋭い直感を引き立て、その姿は月明かりに輝く黒猫のように、幼いながらも独特の色気を放っていた。


 その後、マグナはヴァレリアの後ろに回り込んだ。

 マグナの手が少女の背中に軽く触れると、ヴァレリアは少し驚いたように体を硬くした。

「ちょっと、バカッ!! 気安く触らないでよッ!!」

「まぁ、そういうなって」

 マグナはそう言って、優しく、彼女を前に押し出した。

「おい、ヴァレリア。枯れ木に火をつけてくれ。俺の爆裂系統の魔法じゃ駄目だったんだ。」

 マグナが悔しそうにそう言うと、ヴァレリアは少し戸惑った表情を浮かべながら口を開く。

「あなた、また失敗したの? 仕方ないわねぇ。見てなさい。火はこうやって起こすのよッ!!」

「ヴァレリアちゃん頑張って」

 彼女の目の前には、丁度マグナが集めてきた枯れ木の束が置いてあった。

 彼女は深呼吸をし、手に持っていた杖を枯れ木へ向ける。

「炎竜の息吹よ、この漆黒の闇に、希望の煌めきを与えよ」

 そして、彼女の杖から細かな光が放たれた。

 そのきらめきは空中を蛇のようにうねり、ゆっくりと枯れ木に向かって舞っていった。

 やがて、ヴァレリアの放った光が枯れ木に触れると、ほのかに赤く燃え上がった。

 その炎は小さく、ひそかに燃え続け、やがて枯れ木全体を照らし出した。

「なんと……。」

 アオは驚愕の声をあげた。

 彼の表情は、初めて魔法を見た子供のように純粋な驚きで満ちていた。

 一方、マグナは満足げにヴァレリアを見つめていた。

「さすが、ヴァレリアだぜ。」

 そう言って、彼は彼女の肩を軽くたたいた。

「だから、気安く触らないでって!!」

 ヴァレリアは少し恥ずかしそうに微笑みならがそういった。

 炎が枯れ木を揺らめかせ、その光が夜の森を描き出す。

 やがて四人は、燃え上がる火を中心に円座を組んでいた。

「さて、焼き始めるとしようかな。」

 マグナはそう言って、ミツガシラを炎へ差し出した。

 その身体は硬い外骨格に覆われ、火の光を反射して赤く輝いた。

「ヴァレリア、いい香りだね。」

 ユリカが微笑みながら言うと、ヴァレリアが頬を染めながらうなずいた。

「もうそろそろいいかな。」

「ダメダメッ!! 焼きが浅いとお腹壊すわよ。」

 じっくりと炎に焼かれるミツガシラ。炎が甲虫の身体を焦がし、それが放つ香ばしい香りが空気を満たす。

 アオはこの匂いを知っていた、カニが焼ける香ばしい匂いだ。

 その匂いにアオの腹が、グルグルと動き出す。


 一通り全身が赤くなり、岩のように丸くなったミツガシラを見て、マグナはナイフを取り出すと、ミツガシラをきれいに四等分してみせた。

 そして、その中の1つを手に取ると小さく「いただきます」とつぶやき、口の中に放り入れた。

 それを見て、ユリカ、ヴァレリアが順に続く。

 最後に残ったアオ。

 先ほどまでダンゴムシを思わせる動きで微動だにしなかった甲虫、その姿からは想像もつかないほど誘惑的な香りを漂わせる甲虫。

 それに手を伸ばすことに、アオはどこか躊躇していた。

 しかし、隣で甲虫を口に運ぶ彼らの喜びに満ちた顔を見て、ついに誘惑の魔の手に負け、アオは一切れのミツガシラをそっと手に取り口へと運ぶ。

 その瞬間、口の中に広がったのは、予想を遥かに超える柔らかさと深い旨みだった。

「やっぱりこれ、すごく美味しいね!」

 ユリカが口元に残るミツガシラの旨味を噛みしめながら言った。

 そして、その言葉に呼応するようにアオが口を開く。

「――なかなかに美味。陸上の生物でこれほど旨いものを食べられるとはな。」

「おじさん、海のことを知っているのか。うらやましいぜ。」

「確かに、ここら辺は山ばかりだもんね。」

「ところでさぁ、マグナと親しくしてたから、特に突っ込まなかったんだけどさ。このおじさん誰?」

 ヴァレリアの問いは至極当然のものだった。

「さぁ、知らない。道に迷ってたから、手助けしてただけさ。」

「手助けって、具体的になんですか?」

「それがよくわからないんだよな。探している、探しているっていうから。きっと仲間とはぐれたんじゃない。」

「おじさんは、誰を探しているんですか?」

 ユリカが無邪気に問いかけた。

 アオはその質問への返答に困っていた。

 彼らに対して、冥界の事情である、悪性化した転生者の討伐と説明しても理解してもらえるとは思えない。

 そんな思いから、アオはさまざまな選択肢を考慮した末、3人にこう言った。

「ちょっとしたトラブルでね。3人組を探しているんだ。」

「あー、もう。それじゃあ何もわからないわよ!」

「落ち着け、ヴァレリア。」

「あんたも、よくこんな得たいのしれない格好のおじさんを拾ってこれるわね。」

 ヴァレリアは漆黒のフォーマルなスーツ姿のアオを指さしながらそう言った。

「……不審者とな?」

「大丈夫だって、見た目も盗賊じゃなさそうだしさ。きっと大道芸人かなんかで仲間を探しているだけだと思うんだよね。」

「……芸人……だと。」

 自分の服装を揶揄されたことはショックだったが、アオは彼らの素性に興味を持ち、こう問い返した。

「君たちは何故こんな夜中に森を歩き回っているのかね?」

「おじさん、見ての通りだろ。俺たちは冒険者なんだぜ!!」

「まだ駆け出しですけどね。」

 ユリカが微笑みながら言った。

 どうやら、このN768次元というところには冒険者という職業が存在するようだ。

 冒険者とは密林を彷徨い、未知のダンジョンを探索し、モンスターと戦う。

 一部ではただの好奇心から始めた者もいれば、名声や富を追い求める者、または単純に冒険という名の下で刺激を求める者もいる。

 彼らは自由に生き、自由に死ぬ。そして何より、彼らは人々から尊敬と羨望の眼差しを浴びる存在だ。

 そして、奇異なことに、彼らを冒険者たらしめる強力な魔法が存在する。

 その事実はアオを驚嘆させていた。

 どうやらこの次元には冥界とは別の何かの力が働いているようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る