第8話 私のお母さん

お姉さんに日付が変わるまでめちゃくちゃ怒られた後。普段のように談笑していると、お姉さんがぽつりと言った。


「ねえ、春香ちゃん。どうして私が置いたカメラの位置が分かったの?ちゃんと物陰とかに置いていたし、小型のものを使ったからわからないはずだって思ったんだけどね。どうしてばれちゃったのかしら。」


私はただ、静かに答えた。


「それはね、私のお母さんが狂人だったからだよ、お姉さん。」


「どういうこと?」


怪訝そうに顔をゆがめるお姉さんに応えて、私は昔話を始めた。


長いようで短い、狂った親子の物語。





私はね、双子なの。私が春香で、お姉ちゃんが春陽。それぞれ、春を告げるような優しい子とか、春を思わせる穏やかな子とか、そういう意味があるんだって。


私にとってはどうでもいいけど。


お姉ちゃんの春陽はね、すごい人だったの。私より何でもできて、明るくて、友達もたくさんいて。一方の私は、苦手なものはとことんできないし、根暗で、いつも一人だった。だからかな、私はだんだん、「空気」として扱われるようになったんだ。


四歳のころには、私と春陽の間には明確な差があった。周囲からの評価も、親からの視線も。春陽はいつだって、たくさんの笑顔と愛情に囲まれてた。私の周りにあったのは、一人ぼっちの寂しい空間と比べるような視線ばっかり。


私はますます、放っておかれるばかりになった。両親と春陽、その三人だけが家族で、私はおまけの何かって感じ。褒められるのは春陽だけ、認めてもらえて認識してもらえるのも春陽だけ。幼稚園の先生がほめてくれたマフラーも、私の方が綺麗にできていたけど、両親がほめたのは春陽だけだったな。


そんなこんなで、私は一人ぼっちで過ごした。家でも、外でも。いつしかそれが、普通になった。一人でいるのも、誰かの冷めた視線も、当たり前。春陽が光なら、私は影。そんなふうな歪んでいるけど安定した環境だった。


それが崩れたのは、六歳の夏だった。


春陽は死んだ、通り魔に襲われて。病院に運ばれた時にはもう手遅れで、冷たい春陽が救急車から運び出されたの。


そこから家族はバラバラになったんだ。結局通り魔はお父さんだったし、春陽はいなくなってしまったし。歪んだ普通は、針でつついたような小さな波紋から、瞬く間に崩れてしまった。お母さんは毎日毎日、呪うみたいに私を睨んだ。


『どうしてあんたじゃないのよ…どうしてあの子なの…』


『あの人が狂ったのだってアンタのせいだわ…』


『アンタさえ、アンタさえイナケレバ…』


だんだんだんだんお母さんは狂っていった。私の首を掴んで激しく揺さぶった。私が気絶するまで殴りつけた。私が声も出せなくなるまで冷凍庫に閉じ込めた。血が出ようとお構いなしに、私をナイフで痛めつけた。


それだけじゃ終わらなかった。お母さんは次第に、私を「春陽」だと信じるようになった。きっと、私しかいないということが耐えられなかったんだと思う。


だってお母さんが愛していた家庭には、お父さんと春陽さえいればよかったから。


はるかはるひにする「教育」が始まった。春陽の笑い方、話し方。好きな色や食べ物の好み、字の癖や寝相。全部を「春陽」に作り替えられた。少しでも春陽と違えば、激しく厳しい折檻が待ち受けていて、私は必死に「春陽」になろうって頑張ったの。それで、八歳になるころには、私は春陽になったんだ。


それでも、その時はまだよかった。学校に行けば、私は春香でいてもよかったから。ずっと春陽じゃなくてもよかったから。


それすら取り上げられたのが、十歳の時。


突然、お母さんに手を引かれて、私は市役所に行ったの。何が起こるかもわからない私は、ただ春陽になりきって大人しくしていた。お母さんは窓口で職員さんと書類を書いていて、その日は不気味なくらい上機嫌だった。私が何度か、春陽とは違うことをしても気づかないくらいに。


次の日。学校に行ったら、クラスメイトに取り囲まれた。


「春香ちゃん、ほんとは春陽ちゃんだったんだ!」


「春香ちゃんがこんなに明るいわけないもんね。」


「ねえ春陽ちゃん、つらかったけど立ち直れてよかったね!」


口々に降りかかる、祝いの言葉。私は訳が分からず、あいまいにうなずいた。担任の先生が教室に入ってきて、わざわざ残酷な答えを言うように、クラスメイトに説明していた。


「皆さん、今までは春香ちゃんでしたが、実は春陽ちゃんだったのです。六歳の時、亡くなったのは春香ちゃんの方でしたが、そのことに耐え切れず、春陽ちゃんが春香ちゃんになりきっていたそうです。でもやっと、立ち直れて、春陽ちゃんに戻ることにしたそうですよ。春陽ちゃん、よかったね。」


私は目の前が真っ暗になった。私はもう、「春香」としては暮らせないんだ。そのあとこっそり覗き見た出席簿には、私の名前はもうなかった。「春香」の字に黒のボールペンで二重線が引かれていて、「春陽」と書き直されていた。


そうして今までの人生のほとんどを、私は春陽になりきって過ごしてきたの。抵抗する私を監視するために、巧妙に監視カメラで見張られた。GPSもつけられた。自由なんてどこにもありはしなかった。


だからね、お姉さん。


あんなわかりやすいカメラもGPSも、私にはすぐわかるんだよ?


私の話に時折相槌を打っていたお姉さんは、私の一言に妖艶に微笑んだ。


「そうね、それならわかっちゃうわね。」


ただそれだけ言って、私の頭をやさしくなでた。


「それなら次は、もう逃げたくないくらい、私が欲しくてたまらないようにしてあげるわ。」

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