第7話 試験時間だよ

(お姉さん、引っかかってくれたかな?今頃、真っ青な顔でこっちに来てるはず)


私は森の中をのんびりと歩きながら、想像する。あのすましたお姉さんが、焦って取り乱しているところ。中々にレアな気がする、誰も(もしかしたらお姉さんが好きだった人も)見たことがないかもしれない。そう考えると、結構な特別感だ。


(ひっかかってくれてれば、あれも見てるはず。というか、監視カメラもわかりやすいんだよね、武器の位置も。あんなのすぐばれちゃうよって、帰ったら教えてあげなくちゃ。まずお姉さんが私を探してくれなきゃ困るんだけど。)


引き続きとりとめのないことを考えながら、私は笑う。


お姉さんはどう考えても、メンヘラなだけの普通の人。私の知っている狂人ははには遠く及ばない。


監視カメラは隠したいのがバレバレな、わかりやすい物陰。小型のものを使うだけじゃ、私にはすぐわかっちゃう。狂人はははもっと巧妙だった。窓の向こうからもガラス越しに監視していた。贈られた持ち物には全て、監視のための何かが仕込まれていた。一番驚いたのは、壁紙を変えた時に壁をくりぬき、サーモグラフィーセンサーを仕込んでいたこと。使えるものすべてをフル活用して、私を「春陽」に仕立て上げた。


苦々しく思って顔をゆがめる。あんな場所、反吐が出る。だから私は、逃げた。


でも逃げた先の場所でも、同じようなことがあったら本末転倒だ。お姉さんは一人に入れ込むタイプみたいだし、一度思い込んだらそうと決めて変えなさそうなところがある。これじゃあなにかあったとき、私がまた「春香として」いられなくなるかもしれない。そんなのは困る。


だから私は、お姉さんを試すことにした。本当に「春香」として私を求めてくれるかを、確かめるために。


そして試験だっそうを始めてから、約4時間半。お姉さんが私に追いついた。


お姉さんは見たことないほどに憔悴していた。


乱れた髪、荒い息、血の気の引いた顔。余裕なんてない。


それを確認して、私はにっこりと笑った。ここまでは前座。本当のテストは、ここからだから。合格するのを願ってるよ、お姉さん。


「遅かったね。」


髪をかき上げて、優しく微笑む。幼いころから10年以上演じ続けた、「春陽」の仕草で。笑い方も、話し方も。「春陽」として私は、そこにいた。


気づくかな?気づけたら、及第点。まあ、合格かな。会ってまだ1週間もたってないから、気づけただけでも、上々だと思う。


「あなたは、誰?」


お姉さんが、私に言った。その顔は訝し気で、どこか混乱しているみたいだった。すごい、気づいたんだ。


「私?春香だよ、お姉さん。名前、忘れちゃったの?やだなあ、もう。」


少し控えめに、柔らかく。声色も優しく優しく、ほだされるように。聞いた人が春のひだまりを思い浮かべるような、そんな「春陽」を演じる。


「ねえ、冗談はやめて。あの子にすごく似てるの。やめて、お願い。」


今にも泣きそうに涙をこらえて、お姉さんが言う。声も震えてて、演技とは思えないから多分本心。


「どうだっていいでしょ、そんなこと。ほら、もう帰ろう。ごめん、逃げたりなんかして。もうしないね。」


ほら、欲しい言葉をあげるよ。お姉さん、あなたはすごくわかりやすいの。安心したい、愛されたい、必要としてほしい。そんな言葉に埋め尽くされてる。すごくすごくわかりやすいの、子供みたいに。


「ええ。帰りましょう。もうこんなことしないで頂戴ね。私、心臓が止まったかと思ったわよ。」


「ふふ。ごめんってば。」


やっぱりお姉さんも、どうでもいいのか。私が私じゃなくたって、誰でもいいのか。自分だけの物になってくれれば。ちょっとがっかりだな。


そう思って、顔には出さずに落胆していたその時、お姉さんが唐突に話し出す。


「私ね、はじめは誰でもよかったのよ。わたしのことだけ考えてくれる、好きだった人に似た、生きたお人形がほしかったの。それだけだったはずなの。」


「わあ、だいぶすごいこと言うね、お姉さん。生きたお人形、って私のことでしょ?大丈夫だよ、私はもう、どこにもいかないから。大丈夫。」


「あら、嬉しいわ、ありがとう。でもね、今は少し違うのよ。今はね、春香ちゃんが欲しいの。生きたお人形じゃ味気ないわ。それじゃあ私には足りない。私のことを選んでくれて、欲してくれた、春香ちゃんが良いの。」


だからね、とお姉さんは無邪気に笑った。


「春香ちゃんじゃない、あなたはいらないわ。もう一度聞くわよ。あなたは、誰?」


そして私に向かって、スタンガンを構えた。こちらを向いたその顔は、先ほどまでの無邪気な笑顔など浮かべていなかった。どこまでも無機質で、なんの興味も持っていない、冷たい無表情な顔だった。


(ああ、私はお姉さんを見くびっていた。私じゃないことに気づいたばかりか、私がいい、って言ってくれるなんて。嗚呼、ゾクゾクする。求められるのって、こんなに気持ちいいんだ。いいなあ、春陽。こんな感覚をずっと、味わっていたなんて。ずるいよ、ほんと。でも、これからは春陽なんてもう、演じてやるもんか。)


考えが顔にでたのか、私の顔は知らないうちに歪んだ笑みを浮かべていた。


お姉さんが笑う。


「そう、春香ちゃんが良いの。だから、もう誰かになったりしないで。」


私も笑う。


「うん、ごめんねお姉さん。合格だよ、おめでとう。」


意味深な言葉に小首を傾げて、お姉さんは笑みを深めた。


「やっと春香ちゃんが見つかったわ。ほら、帰りましょう。逃げたことはたっぷりお説教してあげるから、覚悟して頂戴。」


「うわ、忘れてた。お手柔らかにオネガイシマス。」


「保証しかねるわね。」


そう言ったお姉さんに、日付が変わるまでこってり絞られた。もう冗談でも逃げないようにしようと、私は心に決めた。




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