第2話 誰か

キキっと音を立てて、車が止まった。私が横倒しになっている後部座席も大きく揺れる。うう、めまいがする。というか、止まるまでに何回もカーブを曲がったせいで私は乗り物酔いをしてしまっていた。


「ついたわよ。降りて頂戴。…ああ、足も縛ってたかしら。これじゃ歩けないわね、今外してあげるわ。体、起こせる?起こせたら自分で起きて欲しいけど。」


「んん。んんんッ、ん」


後ろ手に縛られている手で座席を目いっぱい押して、どうにかこうにか体を起こした。力が変な風にかかったのか、手首が少し痛い。


「あら、自分で起きたのね。いい子だわ。とりあえず、手と足のテープはそれぞれ、足かせと手かせに代えてあげる。それから、お話しできないのは寂しいから、口のテープもとっちゃうわよ。…んっと。はい、じゃあついでに目隠しもとってあげるわよ。」


お姉さんは一人で楽しそうに話しながら、私の拘束具を取り換えていく。かちゃん、かちゃんという音とともに、金属のヒヤリとした感触が手首足首に伝わる。これはド〇キとかで売ってるようなチープな奴じゃない。本当に人を拘束するためのガチのやつだ。そう思うと、薄れていた恐怖がぶり返してくる。そのあとテープははがされて、ちょっとひりひりしたけど、私の手足はある程度の自由度が増えた。さらに口のテープも勢いよくはがされる。これはめっちゃ痛かった。最後にお姉さんに目隠しをとってもらうと、蛍光灯の明かりが一つだけのくらい建物が見える。


「お姉さん、ここって…」


「そう、だーれもいない、ふるーい山小屋。叫ぼうが何しようが、助けなんて来ないから、安心していいわよ。あと、逃げようなんて思っても無駄だから。流石に縛られてるのに逃げるおバカさんだとは、思ってないけどね?」


私の問いかけに、お姉さんは無邪気にくすくす笑いながら答える。その時私は不思議と、恐怖が薄らいでいくのを感じた。殺される気配も、暴力をふるう素振りもない。目の前にいるのは、真っ黒い闇にとける黒いワンピースを着た綺麗な女性。悪魔だと呪ってもおかしくないその人は、あまりに無邪気で無垢だった。思い返せば、私はこの時からおかしかったかもしれない。


「ねえ、お姉さん。私はあとどのくらい、ここにいるの?」


思わず口をついて出てしまった。、そんな心の内を投影したような私の質問。私の心の中を覗いているように、お姉さんは笑みを深めて答えた。


「貴方が望む限り、私の罪が見つからない限り、ずうっと、いつまでもよ。」


ああ、やっぱり。このお姉さんは、私を帰す気はないんだ。そう思うと、なぜか安心した。ああ、もう帰らなくていい。もうあんなところにいなくてもいい。ここで暮らせば、一生籠の鳥でいればいいだけ。


「お姉さん、私を攫ってくれて、ありがとう。」


「あら、急にどうしたの?うふ、もう素直になったのね。いい子だわ。」


「えへへ、そうかな?」


お姉さんの柔らかい手が、私の頭を優しくなでる。その感触は、もう十年以上忘れていた。なんだか無性に嬉しくなって、子供みたいな返しをして、お姉さんに甘えるように寄り添った。


「ほら、山の夜は冷えるわ。早く入って。」


「うん。」


お姉さんに手を引かれるまま、私は山小屋の中に入った。中は少しだけ暖房がついているみたいで、あたたかい。入ってきた玄関のドアは、厳重な二重ロック。外側からのカギでしかあかないそれは、私を閉じ込めるためのものだとすぐに分かった。それでも私は、ここから出る気はない。もう帰らなくていい、それだけで私はここにいるから。


「あなたの居住スペースは二階よ。そっちに服とかも用意してあるわ。ほしいものがあったら、携帯から連絡して頂戴。お金が許せば買ってあげるわ。ご飯は一週間分を毎週末に届けに来るから。あと、一応だけど監視カメラもあるわよ。」


お姉さんはいろいろと教えてくれて、その日はそのまま山小屋に泊まっていくと言った。二階にはお姉さんが言った通り、私の部屋がしっかり用意してあった。服は可愛いのも大人っぽいのも、下着でさえもクローゼットにしっかりと入っている。一階にはキッチンもお風呂もトイレもちゃんとあって、どれも全部ちゃんと使えた。私は縛られていたこともあってなのか、疲れていたのでそのまま寝た。お姉さんはなぜか寂しそうに私の横で、私が眠るのをじっと見つめていた。


翌日。


「んんん…」


私、起床。枕元に備え付けてあった時計を見ると、七時半。いつも起きている時間だった。ねぼけたまま下へと降りると、お姉さんがキッチンに立っていた。


「おはよう。アラームより先に起きるなんていい子だわ。朝ごはん作ったから、食べてね。あと、ここにいると暇だろうから、大学までの勉強の参考書とゲーム、漫画、小説も持ってきてあるわ。私が帰ってくるまで、イイ子で待っててね。ここにいる限りは、私以外のだれかと話しちゃだめよ。」


それだけ言って、お姉さんは山小屋を出ていった。私はねぼけ眼のまま、机の上に置かれた朝ごはんを見下ろす。お皿にオムレツと、千切りキャベツ。コンソメっぽい色のスープに、食パンが一枚。いたって普通の、イメージ通りのご飯だった。


「いただきます。」


手を合わせ、食べ始める。見た目通りの、あたたかくておいしいご飯。


「ご馳走様でした。」


あっという間に食べ終わる、こんなご飯は、いつぶりだろう。しばらくおいしさの余韻に浸ろうと、椅子の背もたれに身を預けた、その瞬間に。


ドン!ドンドン!!!ドン!


不規則に大きな音で、ドアがノックされる。こんな叩き方、お姉さんじゃない!そう思った。なんとなくだけど。


「どうしよう…」


なにか、この状況を打破できるもの。あたりを見回すと、不自然に半開きの小さいキャビネットが目に留まる。ほかの棚とかは全部きっちりしまっているのに、これだけ半開きなんて変だ。


「お願い、なんか武器とかない?」


思わず縋るように独り言をつぶやきながら、キャビネットを大きく開く。


「なに。これ…」


そこに入っていたのは。スタンガン、包丁。多種多様なナイフ。合法な武器がこれでもかとあった。


「これで、どうにか…」


小ぶりなナイフとスタンガンを手に取り、ドアから離れるように二階に逃げた。私がこうしている間にも、ドアは依然として強く不規則に叩かれている。そのうえ、


「開けろよ!誰かいんだろ!」


「早くぶっ壊せよ!」


と叫ぶ男の声が何人分も聞こえる。


「お姉さん、助けて…」


お姉さんが昨日のうちにくれた携帯から、メールを出す。ドア越しの罵声は止まず、私は震えを抑えるようにベッドにもぐりこんで、耳をふさいだ。


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