15話 威を借りる者

雨が止み、赤い月が空を染める中、ハンクは再び森の深くを進んでいた。

 彼の心はリリーの安否を案じ、焦る気持ちを足に伝え、乏しい視界の中を微かなランタンの光を頼りに、森の中を歩いていく。

 彼の手には、黒色に輝く二連の猟銃が握られていた。

 その銃は、彼がかつて妻の死を目の当たりにしたときと同じものだった。


 森の深部にある道は、まるでうねる蛇のように複雑だった。

 ハンクは、"誘い名"の主から発せられた声と、その方向から聞こえてくる土砂が崩れ落ちる音に耳を傾けながら、森を探索していた。

 足元は滑りやすく、視界は限られていたが、彼は一瞬たりとも立ち止まることなく前進し続けた。

 その結果、ついに開けた場所に出た。視界が広がり、赤い月の光が地面を照らす。その先には、壮大な岸壁がそびえ立っていた。


 彼の目の前に広がるのは、赤い月が照らし出す森と、その中で静かに横たわるリリーの姿だった。

 彼女は無意識のまま、静かに息をしていた。

 その傍らには、狼の姿に戻ったラットが座り込んでいた。


 その光景は、彼がかつて妻の死を目の当たりにしたときと酷似していた。

 猟銃を持つハンクの手に力が籠る。

 だが、ハンクは知っていたのだ、リリーの胴体に顎を乗せ、半分伏せたような体制で静かに見守る小さな狼が、最も世話をやいてくれていた相手を襲うなどありえないと。

 何処か動かなくなった主人の身を案じているかのようなその姿勢を見て、ハンクは静かにラットの方へ駆け寄るとハンクはゆっくりと手を伸ばした。

「狼、リリーは無事なのか?」

 ハンクは不安げな瞳を浮かべるラットに声をかける。

 正直ラットにもリリーが無事化などわからなかったのだ。

 ただ、彼女の側にいて、彼女が目覚めるのを待つしかなかった。


 そんな時だった、リリーがゆっくりと目を開けたのだ。

 彼女の目はまだ霞んでいたが、彼女が意識を取り戻したことは明らかだった。

 彼女は周囲を見渡し、やがて父親であるハンクの姿を見つけると、一筋の涙を流すのだった。

「おと……うさん……。」

「ばかやろう、心配かけさせやがって」

「あのね……。おかあさん、見つからなかったよ……。」

「……ああ。」

 その言葉はハンクの心をきつく締め付けた。

 自分がマリーの死をしっかりと伝えなかったばっかりに、娘を危険な目にあわせてしまったのだと。

「俺が全て悪かったんだ。帰ったら母さんのことを教えてやる。今は帰ることだけを考えよう。」

 ハンクは心配そうにリリーに問いかけた。

 リリーはゆっくりと頷いたが、リリーが体を起こそうとすると、痛みに顔を歪めた。

 彼女の体は、森での出来事による疲労と痛みで満たされていたのだ。

「リリー、無理をしなくてもいい。ゾフがそろそろ街の連中を連れて探しに来てくれるころだ。」

 その時、ハンクの耳に岩が動くような音が届いた。

 ハンクは驚き、その方向へ視線を移し、地面に座り込みながら、リリーは岸壁の影を指さした。

「お父さん、向こう、何かいるの……?」


 視界は暗く、ランプの明かりだけでは確認できる範囲は限られていたのだ。

 ハンクが、その音がした方向へランプを向けると、岩壁の影に何かが倒れているのが見えた。

 ハンクは警戒しながらランプの明かりをさらにその方向へと向けた。

 そして、その光が照らし出したのは、獰猛な猛禽の頭を持った熊のような怪物だった。

「――ヒッ!!」

 その姿にリリーの顔は引きつり、ラットは牙をむき出しにして威嚇する。

「お前たち、下がっていろ。」

 その巨体がランプの灯りに驚き、ゆっくりと起き上がった。

 その山のような姿は、ハンクを圧倒し、ハンクは片手に持っていたランプを地面に置くと、猟銃を両手でしっかりと構え、その怪物の方へ銃口を向けたるのだった。


「なんだ、この化け物は」

 ハンクは声を震わせながら言った。

「こんな……。はずでは……。なかったのだ……。あの童さえいなければ……。食えたのに。」

 その巨大な獣は、人間の言葉を話すことができるようだった。

 ”誘い名”の主は静かに息を整え、さらに言葉続ける。

「お前たち狼どもも、獣のくせに人をかばうなどと……。いまいましい……。」

 その時ハンクは悟ったのだ。

「人の言葉を真似る怪物、キサマが”誘い名”の主かッ!!」

 森の怪異も、そして愛する妻の命を奪った犯人も、目の前にいるこの巨大な獣によって引き起こされたことだったのだと理解した。

 そこに容赦などなかった。

 ハンクは深く息を吸い込み、そして引き金を引いた。

 その瞬間、森は静寂につつまれ、唯一の音はハンクの猟銃の鳴り響く音だった。

 だが、”誘い名”の主はその銃声に呼応するように、背中を向け何かをかばうようなしぐさを見せていた。

 そして、森に響く銃声の反響音が消え去ると同時に、ハンクをにらみつけ、耳を震わせるような強烈な声を上げたのだ。

「なにッ!! 効いていないのか?」

 ハンクが微かな焦りの表情を浮かべるなか、”誘い名”の主が次にみせた行動は、あまりにも意外なものだった。

 巨大な獣の身体が一瞬で気が抜けてしぼんだ布袋のように細くなった。

 それはまるで、森の中に生える一本の細枝のようだった。

 その行動は一種の猛禽が強敵と出会った際にみせる擬態の技だった。

「……きさま。……だった、……のヵ。」

 だが、”誘い名”の主はその細枝のような姿を一瞬でとくと、何かを抱きかかえるようなしぐさを見せた後に、弾むようにして、空高くジャンプした。

 その動きは、烈風を呼び猛禽が空に舞い上がるよに、そして、月夜にきえていった。

 夜の赤い月に消える巨体を見つめ、ハンクは怒声を鳴らした。

「おいっ、逃げるのかッ!!」

 だが、ハンクは知る由もなかった、ハンクの後ろ、さらにリリーの後方から、圧倒的な殺気を放つ存在に。

 その強大な殺気は、人間の感覚では捉えられない。

 しかし、それは巨大な敵を包み込む、無形の力として存在していた。

 その殺気は、まるで闇夜から現れた死神のように周囲を圧倒し、その存在感は森の中で最も強大な獣でさえも震え上がらせるほどのものだった。

 ラットは睨みつけていたのだ。

 鋭い眼光を”誘い名”の主に向けて。


――これは警告だ!!

――――この者たちに、危害を加えるなら、今度こそおまえの喉元を引き裂いてやるッ!!


 故に、”誘い名”の主、猛禽の頭と巨大な熊の身体をもつ怪物は一瞬で縮み上がり、尾を巻いてその場から立ち去ったのだ。

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