11話 赤い満月の夜に

 夜の闇が深まり、雨が降りしきる中、ハンクはゾフにエマの捜索隊結成を依頼し、自身は森の入口付近にある中継小屋へと足を運んだ。

 この小屋は浅い森の中にひっそりと佇む、素朴な木造の家だった。

 周囲には木々が密集し、前方には草地が広がっていた。

 小屋は木の骨組みが露出しており、窓と扉は粗削りながらも手作りの温かみを感じさせた。

 小屋の入り口は、岩山の側面に作られた窪みにあり、木製の扉が設置されていた。

 しかし、夜の闇と雨の影響で、小屋は一層荒涼とした雰囲気を醸し出していた。


 小屋の内部は、外観通りの素朴さを保ちつつ、部屋の隅々には厳しい生活の痕跡が刻まれていた。

 部屋の中央には滑車と鎖があり、それは狩猟で得た獲物を解体するための装置だった。

 部屋の奥には簡素なテーブルがあり、そこからランタンを手に取るとランタンに油を注いだ。

 そして、テーブルの上にあった火打石を使って、ランタンに火をつけた。


 この森に食べ物を持ち込むことは厳しかった。

 この地方特有の長雨とその影響で食べ物がすぐにかびてしまうためだ。

 森に食べ物を持ち込めば、すぐにびしょ濡れになってしまうし、固く焼いたパンを小屋に置いていっても翌日には白いカビの化物へと変貌してしまう。

 そんなものを食べればひとたまりもない。

 そのため、森へは食べ物を持ち込むことができなかった。

 エマの旦那が病気で倒れたあの日、ハンクはリリーに昼ごはんの配達を頼むことにした。

 ハンクの朝は早く、エマが店を構える前に森へ入るため、リリーには昼時に間に合うようにエマの雑貨店に寄って、パンを買って森に運ばせていたのだ。


 ハンクはそのことを酷く後悔していた。

 もしリリーが森へ来なければ、リリーが誘い名を聞くことも、その存在に興味を持つこともなかったはずだ。

 それに、あの忌々しい狼が、リリーの匂いをおって、ゾフの診療所へやってくることもなかったのだ。


 ハンクはランタンの明かりを頼りに、その重さが彼の手に安心感を与える猟銃を携え、森へと入って行った。

 いつしか、長雨が止んでおり、夜空に浮かぶ雲の切れ目から、赤い満月が顔を見せていた。

「リリィッ!! どこにいるんだッ!! 返事をしろッ!!」

 遠い過去の思い出がハンクの心を蝕んでいた。

 それは、あの日、あの悲劇の日のことだった。


――ハンク、リリーが高熱を出して寝込んでしまったわ

 彼女の声は、心配と不安で震えていた。

――マリー、ゾフのところへ行ってみてくれ。彼ならきっと何か手立てを見つけてくれるはずだ。

 ハンクのその言葉は、動揺で揺らいでいた。

 この街の病のことをよく知っていたからだ。

 ハンクは仕事でゾフの診療所に通っていた。

 それは ”星岩苔” という薬草を採取し彼に届ける仕事だった。

 猟師として活動するハンクだったが、この土地の瘦せ細った動物たちを狩るよりも、副業として始めた薬草採取の方が確実に収入を得られることから、いつしか薬草採取が彼の本業となっていた。

 そして、リリーが熱を出したのは、今日の分の採取が終わった後のことだった。


――もう一度森へ入る。

 マリーはその言葉に耳を疑った、この森の伝承のことを知っていたし、時刻も夕暮れ時を迎えていたからだ。

――1人で行かないで、1人で森に入るのは危険だわ。

――心配ないさ、森の入口付近で ”星岩苔” を見た。それを取ってくるだけさ。

 正直、そんな言葉は嘘だった。

 入口付近に生えているのであれば、今日の分と合わせて採取していたからだ。

 ハンクは、マリーの言葉も聞かずに、1人で森の中へと戻っていった。

 あの日は珍しく、レインズベールの雨が止んでおり、空に浮かぶ半月が不気味に赤く輝く夜だった。

 日暮れということもあり、薬草はなかなか探し出せなかった。

 いつしかハンクの手は泥だらけで、雨に打たれた時のように、汗で顔が濡れていた。

 しかし、ハンクは諦めずにランタンの明かりを頼りに何とか半人分の薬草を見つけることが出来たのだ。

 ハンクは急いで、妻の待つであろう診療所へと急いだ。

 そして、診療所のドアを叩く。

 その音に呼ばれるように、診療所の扉は開き、中からゾフが顔を見せた。

――ゾフッ!! 薬草を持ってきた、どうかこれでリリーを頼む。

――おお、それは良いんじゃが。マリーはどこじゃ? リリーをワシに預けたあと、お前さんのことが心配になったんじゃろう、橋の傍で待ってると言って出ていったわい。

――橋の傍だってッ!! 俺はあの橋を越えて来たんだッ!!、マリーはどこにもいなかった。

 その瞬間、ハンクの心は恐怖で凍りついた。

 マリーが森に入ったかもしれないという事実が、彼の心に深い恐怖を植え付けたのだ。


 ハンクは再び、森へと向かうことを決意した。

 彼の足元には、ランタンの明かりが揺らめき、その光が周囲の地面を照らし出していた。

 森はまだ遠く、ただハンクの足音が急ぎ足を告げていた。

 彼の心は、マリーの安否を案じ、その声を求めていた。


――ハンクッ!!


 彼が橋を越え、森への入り口に近づいたあたりで、突然、ハンクは聞き覚えのある声を聞いた。

 それは、マリーがハンクを呼ぶ声に他ならなかった。

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