4.食
幼い頃から、この食堂の雰囲気が好きだった。常連さんと祖父のいつもの掛け合い。祖母の出そろばんを弾く音。活気溢れるこのお店が私の本当の家であった。私の両親は私が記憶のない頃、既に離婚しており、私は母側に引き取られたのだった。私1人を食べさせていくため朝は私より早く、夜は私よりも遅く、身を削って毎日働いてくれていた。そのため幼い頃から近くの母方の祖父母の家に預けられ面倒を見てもらっていた。祖父母は食堂を営んでおり食事なんかはそっちで摂ることのほうが多かった。
中学のとある時期から急に生活が一変した。母は日中家に居ることが増えた。羽振りも良くなり見た目も生活も派手になっていった。朝に帰ってきてそこから日中ずっと眠り夕方私とすれ違うようにおしゃれをして外へ出ていった。祖父母の家で変わらずお世話になっていたが中学になってからは自分から皿洗いや掃除なども手伝うようになっていた。中学3年の時から祖父母の家から学校に行くことが多くなった。理由は母なら彼氏ができたからだ。その彼氏の視線や言動がすごく気持ち悪かったからだ。その事を母に相談すると母は不機嫌になった。今まで手を挙げられたことはなかったが叩かれたりモノを投げられたりされた。
相談をした時から母は私を邪魔者扱いするようになった。そして家にいると母からは完全に空気扱いされ、彼氏はいやらしい目で見てくる。同じ空間にいなければならないのが苦痛で耐えきれず祖父母のところへ避難していた。
祖父母には相談できなかった。母を悪者にすることができなかったし余計な心配をかけたくなかったからだ。母が不在時に家に来ることが増えてきた母の彼氏。祖父母が町内の旅行で不在のため店がやってない時、私は仕方がなく実家に戻るしかなかった。今考えると計画的だったのであろう。私は無理矢理母の彼に襲われたのだ。抵抗も無意味であった。最初思いっきり顔を殴られてから恐怖で力が入らず後は苦痛と気色の悪さがこみ上げるだけであった。終わった後、走って逃げた。警察に駆け込む前に母に見つかり泣き縋るも捨て台詞のように
「この泥棒猫め、お前がいなければ〜」と罵られた。そこから意識がなくなった。断片的に霧がかった記憶でしか思い出せなかった。医者はショック症状で記憶を封印している状態だと説明してくれた。パッと目を覚ますと祖父母が居た。ここが家でないことは確かだとすぐに確信した。
祖父母は泣いて謝っていた。2ヶ月くらい入院ししばらくは施設と病院の往復であった。実家に戻れたのは1年後経ったあたりである。もうそこには家も母もクズもいなかった。
私は祖父母に着いて行き、大事な話があるとこれまで起きたことの経緯を、全て聞かされた。嫌な記憶が蘇り頭がガンガンしたし吐き気もした。私はどこか夢を見ていた気がしたがどうやらそういうことではないと現実を突きつけられた。祖父は全て話終わると2人してまた謝り始めた。しかしここが私にとって唯一安寧の地であること、祖父母には何の罪もないことは変わることのない揺るがない事実であった。そのため私は祖父母と一緒に暮らすことを選択した。腫れ物に触るような態度もなく、今まで以上に優しく私なら接してくれたし私も存分に甘えていたと思う。少し遅れてだが調理師専門の学校に入りたいと祖父母にお願いをした。それは祖父母の結婚記念日にサプライズで見よう見まねの手料理を振る舞い泣いて喜んでくれた姿を見てから決めたことだった。こんな私でも人を喜ばすことができるのかと胸が熱くなり私まで涙が止まらなくなったからだった。目標は祖父母のお店を継ぐこと。青春にも目もくれず一心不乱に食の知識と料理の技術を取得していった。就職はせずにそのまま祖父母のお店を手伝わせてもらうこととなった。
男性と話すことはもちろん接することはまだ克服しきれていなかった。超高齢に近づいている祖父母の負担を減らそうと仕込みや買い出し、開店閉店の準備、洗物、ドリンクとひたすら裏方作業に徹していた。男性と話す時は目を見れなかったし簡単な会話が限界で特に大声や横柄な態度はフラッシュバックして固まってしまう状態であった。
近所の畑の祖父母と同じくらい高齢のおばちゃんが毎回入れ替わりでお店を手伝ってくれていた。このおばちゃん達とも大の仲良しである。余計なことを詮索しないで私に優しく温かく接してくれている。そして何より祖父も祖母もおばちゃんたちも高齢を感じない手際の良さとリピートのお客様が絶えない味のレベルの高さ。漬物とか超大好きだ。ランチは11:30〜14:00で夜は17:30から20:30の日曜定休日での営業。手伝ってくれるおばちゃん達は不定期で来てくれる。週末や晴れている日などは決まって来てくれるのだが何ヶ月かに一回ポツンと祖父母と私だけの営業日がある。大抵そういう時は忙しくないので私が表に出ることはないのだがたまに配膳のためお客さんの前に出ると常連さんなんかは珍しがった目でこちらを見ていた。
男性の来店比率が多い食堂のため祖父も気を遣って以前から出なくていいと言ってくれていた。しかし私も力になりたかったのでこういう機会を使って積極的に接客の練習をしていったのだった。しばらくして手伝いのおばちゃんから言われたことだったが料理やお店絡みのこととなると問題なく男性とも話せることが最近発覚した。
たしかに、自分でも思い当たる節はあった。日替わりの説明をするときやメニューの質問は スラスラとさらにはおすすめはこれですなど付け加えるくらいには話せるようになっていた。時間はかかったが常連さんに至ってはたわいもない冗談まで言い合えるよになっていた。
工事現場関係の人、近くの郵便局員、市役所勤めの人いろんな人が来る。その中で最近気になるお客さんがいる。その人は毎回席に座ってこちらがおしぼりとお冷を持っていくタイミングで
「日替わり定食とで唐揚げ、ライスは大盛りでお願いします」
と優しくスマートに注文をする。そしてこちらの接客を見てタイミングを見計らい「ライス大盛りお願いします」
とだけ発する。それも2回。計3杯大盛りライスを頼む。たくさん食べる人はいるがほとんど毎日昼と夜通ってくれているためすぐに覚えてしまった。常連さんを追い抜かすくらい通ってくれているのだ。いつもスラックスに、半袖白ポロシャツ。体がとにかく大きい。太っているというよりかはとにかく分厚い。店の茶碗は大きいほうだがあの人が持つと子供用に見えてくる。年齢は私と同い年くらいの男の人。この人はちゃんといただきますとごちそうさまを言う。食事中はケータイも触れずただ食事を楽しんで満腹になって帰っていく。こちらもあまりの食べっぷりに気持ち良さすら感じるし、作り手としてあの満足顔を見れることはとても嬉しかった。最近ここらへんに越してきたのか素性はよくわからない。常連さんとも呼べる存在なのだがこの人からはオーダーといただきますとおかわりとごちそうさま意外聞いたことがないのだ。他の人であれば常連さん同士世間話をしたり店側に話しかけたりするものだが全くそういうことはなかった。
祖父母と一緒に働いて12年が経つ。私も30歳を超えた。もちろん独り身だし将来のことはあまり深く考えていなかった。12年で祖父から技と味を盗み今や厨房は私に任せてくれるようにもなった。
最近はネット普及の影響か口コミやらで離れた地方の人も足を運んでくれるようになり老舗の人気店とSNS上で取り上げられることが多くなった。お店は大繁盛しているが元は街の食堂の一つであり手広くやるつもりはさらさらなかった。私はただこれからも地域のみんなに愛される店を継承していきたいだけなのだ。繁盛していくことはありがたいが一方で店の雰囲気が変わっていくことが受け入れられずにいた。
平日も連日どこぞのバイク乗り達が駐車場外にたくさんバイクを止め店を占拠したり、土曜日はマナーのなっていない大学生や平気で残して去っていく若者たち。並ぶことと落ち着かない雰囲気になったからか常連さんは昼時に来なくなった。夜にぽつりと来たり来なかったりの頻度になった。新しい客達の特に若い人達は気が極端に短いように感じる。平気で"遅い"、"まだ?"、"ファミレスならとっくに食べてる"、"年寄りだからとろいんだろ"と心の痛む言葉を発してくる。祖父が美味しいものを届けようという気持ちとかこの人達は想像にとっては関係のないことなのだろう。心が痛んだ。
もっと酷いのは"あの若めの店員だったら全然ヤレる"とかそういうくだらない吐き気がする言葉だ。遠い昔を思い出し厨房に隠れたくなる。
また、大声で祖母やおばちゃんたちにあたる人も散見され、居心地はあまり良いものではななくなっていた。私は祖父母に一旦店を閉じないかと提案した。祖父母もここ最近の変化に戸惑いが出ており賛同をしてくれた。心残りだったのはこんな環境でも通い続けてくれていたあの男性のことであった。あの人だけは変わらず幸せそうに昼も夜も通い続けてくれていた。時には周りの常識知らずから"どんだけ食うんだよww"など揶揄されていたが気にせず自分の世界を堪能していた。
しばらく店を休む旨告知してから客足がさらに増した。常連の方達は心配してくれたが事情を察してか惜しみつつも賛同してくれた。
私の大切な店で信じがたい出来事が起きた。
それは臨時閉業1カ月前、食堂のシャッターを開けようとすると様子がいつもと違うことに気がついた。店には酷い落書き、辺りにはゴミなどが散乱していたのだった。ここまで何年もやってきてこんなことは初めてであった。祖父母や他のおばちゃん達が見たら嫌な気持ちになると思いすぐに片付けたが、落書きは消すことができなかった。明くる日もゴミが散乱しており、怒りが込み上げた。同時にみんなの同様が明らかであった。なぜ、私の大好きな環境が壊されなきゃ行けないのだろう。誰のせいなんだ。畜生。そんな嫌な気持ちでいると常連さんからこいつらじゃないかという動画配信サイトの一部を見せられた。
覚えてるこいつら。大声で馬鹿騒ぎしたり店内で動画を許可なく回していて度がすぎていたため祖父から注意を受けるも反論し、出ていかした奴らだ。祖父があんなに強く、人に言うことも珍しかったため特に覚えていた。
常連さん曰くこいつらの手口はいつも同じようで店に失礼な態度で振る舞いどこまで怒られずにいられるかを張り合うといったいわゆる炎上商法に近い動画内容だそうだ。とても理解し難かった。そして今回の報復のようなものはこいつらの信者だったりがするらしい。常連さんは警察に相談を打診してきたし私もそれを望んだ。警察は事態をきちんと受け止めてくれたが今すぐに対策して検挙することはできないと告げられた。一応パトロールを増やす対策、こちらでも証拠集めをするようにと指示を受け帰宅することとなった。
長い一日の終わりに珍しく1番遅い時間にあの人が来店された。「遅くにすいません、ラストオーダー終わってしまいましたか?」といつもじゃないセリフが開口1番に聞こえてきた。
数分超えていたが祖父母も私もこの人が常連の域を越していることは周知の事実のため快く受け入れた。
「すいません、じゃー」といつものセットを頼んで席にに座った。この人以外店にはお客さんはもうおらず、厨房の掃除をしながら彼の相変わらず食べっぷりを眺めていた。最近のいざこざやストレスが一気に和らいだ。一足先に祖母は上がったためお会計の際は私が対応した。彼から
「シャッターの、落書きとか許せないです。こういうことがあるから閉めちゃうんですか?」と急に質問を受けた。男性だとまだ伏目がちでボソボソと話すことが多いのだが「えぇ。それもあるし、ちょっと手広くなりすぎちゃってついていけてなくて」と自然と話すことができた。
「そうですかぁ。すごく残念です。ここの飯、あっごめんなさい食事何食べても美味しくてそんなに高くないし量もあるし多分ほぼ毎日通ってます。はぁ。悔しいっす。俺が悔しがるのも変ですけどね。」ほんとに悔しさ混じりに出した言葉のように感じた。そしていつものように御馳走様でしたと言って店を後にした。
数日後の朝、警察から連絡があった。そしてあの情報をくれた常連さんからも連絡があった。
それは迷惑系動画配信者のアカウントが消されたことと、店に嫌がらせ行為を働いていたそいつらのメインの信者達が一斉に捕まったという内容であった。アカウント削除に関してはよくわからなかったが、信者達の逮捕は証拠集めはこちらでもまだ何もやっていないので驚いた、さらに店のシャッターや外壁が綺麗になっていた。一体どこの誰がと不思議に思ったが、それよりもみんなの安堵が勝った。祖父母と他の手伝ってくれる方、私を含め臨時閉業まで気持ちよく安心して営業することができたのだった。
最終日、あの夜会話した以来来てなかった彼が来てくれた。私は勇気を出して
「最近見かけなかったですね、お忙しかったんですか?」と声をかけた。すると顔あげ、優しい目で私を見ながら「ちょっと、色々立て込んで来れなかったんです。おかげで食いそびれました笑。最終日は絶対行こうと決めてました。それによかったです、皆さんがお元気そうで。」と返してくれた。
ご馳走様と帰る際、
「オープン再開したら連絡しますのでれ、れん連絡先を教えていただけますか?」と顔真っ赤にして問いかけた。「えっ!それは嬉しい!早く再開してかださいね」と笑顔で連絡先をくれた。もちろん再開の連絡のことは他の常連さんにもアナウンスしていたが、この人に関してはだいぶ熱い私情が挟まってしまったようで恥ずかしさが倍増したのだった。
無意識で彼を目で追っていた日々、あの照れ具合で察しがつくよう、完全に彼の虜になっていた。あの優しい目、紳士な中にもワンパクな少年のような食べっぷり、いい大人なのに、クスッかわいすぎる。あんな素敵な人だものきっと彼女とか、奥さんが、、でもそしたら夜は来ないよね?あっ単身赴任とか?気になる。どんな生活しているのかあの人のことをもっと知りたい。彼にだったら抱きしめられたい。彼はきっと優しく抱擁し私なんかひょいと持ち上げてしまうのだろう。そのギャップも堪らない。あんなに顔見知りなのに知っていることは彼の胃袋の大きさと好みと礼儀正しさだけ、最近だもんなぁ、話すことができたの。。。しらばく見れないのかぁ。朝ごはんとかも作ってあげたいな。美味しい美味しい言って笑顔で食べてくれるかなぁ。他のご飯でも美味しいって言ってるのかな、それは許せないな。
続く。
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