第3話

「これが私の屋敷だ」

 マディがパンを食べ、さらに出てきたスープとお茶を飲み終えたころだった。

 草原の真ん中に小高い丘が現れ、その上に大きな屋敷が立っていた。やたらに古めかしく、陰鬱な印象を受けた。

 それが青空の草原の中に立っているのはなにかアンバランスだった。

 屋敷には道も通じていなかった。

 本当に丘のてっぺんにどんと立っていた。

「こんな平原の真ん中にこんな屋敷があったとはな」

「バカか下僕。ここは普通は人間が入れない場所だ。上級魔族の屋敷が普通の人間と同じ界域に立ってるわけがないだろうが」

「何言ってるか良く分からんが」

 なにを言ってるのか良く分からなかったがこのお屋敷に普通の人間はたどり着けないらしかった。風景は今までと変わらないが異世界のような場所なのかもしれない。

 魔族の住処らしく尋常の建造物ではないらしい。

 アリカはそのままマディと共に屋敷の入り口に降り立った。周りを飛んでいたおびただしいコウモリの群れはバタバタ羽音を立てながら屋敷の裏に飛んでいってそれきりだった。

「さて、今日からここがお前の仕事場だ。こき使うから怯えていろ」

 そんな風に脅迫めいたセリフをはさみつつアリカが指を鳴らすと玄関の大きな扉が開いた。

 中は外の陰鬱な雰囲気とは対照的に明るい照明が灯り、大きな窓から日射しを取り込んで明るかった。装飾品や調度品も嫌味がないのにどこか品があり、ずっと貧しい暮らしをしてきたマディでさえ不思議と落ちついた気分になった。魔族とかいう恐ろしい種族の家にしては随分暖かな雰囲気の屋敷だった。

「なんか良い感じだな」

「へぇ、主を敬う姿勢は関心だな。もっと褒めろ。この屋敷のものは全部私が作ったんだからな」

 上機嫌でそう言いながらアリカは屋敷の中に入っていった。

 自分で作ったとは多分魔術かなにかだろう。この屋敷そのものがアリカの魔術で造られたものなのかもしれなかった。

 マディはこの屋敷に良い印象を抱いていた。

 今まで自分を奴隷のように扱った金持ちたちの家にあったような下品さがまるでなかった。

 どう見ても良い身分の存在の住居なのに、貧乏人をのけ者にするような空気がないような感じがマディには感じられた。

「その階段の下がお前の部屋だ。見とけ」

 アリカが指さした部屋は階段の下に無理矢理作ったようなこじんまりした、というかみすぼらしい雰囲気の部屋だった。

 マディは言われるままにその部屋まで行きドアを開ける。

 中は小さな照明が灯り、ベッドがひとつと机がひとつという質素なもので、気休めのように本棚もあった。壁ははがれ、床もボロい。

「どうだ、みすぼらしくて驚いたか」

「いや、今までに比べたからかなり上等な部屋で驚いた」

「なんだ、つまらん」

 マディにすれば、今まで牛小屋の床で寝させられていたのに比べればベッドがあるというだけでそれは天国だった。そもそも一人部屋をあてがわれたのは初めてだった。心なしかマディはワクワクするのを感じていた。

「なんだなんだ。むしろ楽しそうじゃないか」

「そ、そんなことはない」

「これでそんなに楽しそうにされてもな。今までどんな生活してきたんだまったく」

「まぁ、それなりだ」

 ここでアリカに自分の身の上を話したところでなにがどうなるわけでもない。

 それに、マディとしてはこの部屋は素晴らしい贈り物だったが、アリカとしては嫌がらせのつもりだったようだ。

 油断ならない相手なのは間違いない。結局ろくでもない目に合うのは間違いないのだろうから。

 なので無駄話は必要なかった。

「お? なにか手紙が来たな」

 その時だった。

 ガランガラン。鐘の音がした。それは屋敷の奥の部屋からだった。

 アリカはそっちに行ってしまう。

「手紙なら玄関じゃないのか?」

「バカが。人間と私達を同じにするな。魔術で部屋の紙に直接筆記されるんだよ」

「便利だな」

「人間には出来ない技術だからな。つーか、お前私に馴れ馴れしすぎなんだよ。もうちょっと言葉遣いに気をつけろ。私はお前の主で、お前は私の下僕だろうが。敬語を使え敬語を」

 なにやら喚きながらアリカは奥の部屋に行ってしまった。

 敬語なら嫌と言うほど使ってきたが上手く使う自信は無かった。マディは学がない自覚があった。頭を使うようなことは出来ないのだ。言葉遣いというやつもそのひとつだった。それにあの魔族には簡単に気を許したくないような気分があった。

 そもそも勝手に下僕にされたのだ。まだ納得はしていない。

 流れでこの屋敷に来て、部屋を渡されたがマディは別に下僕になることを承諾はしていない。

 しかし、逃げたら苦痛の後に殺されるというのだからとりあえずは従うしかない。

 隙を見て逃げだす以外にはないのかもしれなかった。

 しかし、なにはともあれ。

「こんなまともなベッドがあるのなんてずっと昔以来だ」

 マディはベッドに座ってみた。ボロいように見えたが意外にふかふかしていた。

 マディは服を見る。上着は泥だらけだったので脱いでベッドの脇に置いた。ズボンも同様。シャツと下着だけになった。

 汗臭くて迷ったが、どうせこれは自分のベッドなんだし、という結論に至った。

 そして、マディはゆっくりベッドに寝転んだ。

 背中から尻、そして足がベッドに沈んだ。実に良い心地だった。

 少し体を揺らしてマディはベッドの感触を確かめる。

 どこも痛くならない。きっとぐっすり眠れるだろう。

 ドアにも鍵があって、ちゃんと照明もあって、とてもちゃんとした部屋だった。

 普通に生きている人には分からないのだろう。しかし、今のマディの心はとても満ち満ちていた。こんなまともなねぐらは本当に久々だったのだから。

「はぁああ」

 深く息を吐き出すマディ。そして、そのまま眠気がやってきた。

 あまりに心地が良かったのだ。本当に今まで味わったことがないくらいに。

 眠気と一緒にマディには大昔の景色が脳裏をよぎっていた。

 暖かな印象を与える女性が、ベッドに寝ているマディの頭を撫でている景色。

 そうか、ベッドはそういえばあれ以来か、とマディが思った時だった。

「主が離れた途端に居眠りとは良い身分だなお前」

 その声ではっと目が覚めた。

 見ればドアを開けてアリカが立っていた。

 魔術の手紙を確認して戻ってきたらしい。

「ああ、すまん。ベッドに感動してた」

「何言ってんだお前は。仕方のないやつだ。そんなことより」

 アリカはすっと手に持っていたものをマディの前に突き出す。手紙だ。これが魔術で書かれたというやつらしい。

「仕事だ下僕。たっぷり働いてもらうぞ」

 アリカはニヤリと口の端をつり上げながら言った。

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