第1話
少女はしゃがみこむ形で男を見ていた。周囲に馬車なんかは見当たらない。徒歩でこの辺りに来たとしか思えない。ここは街から遙かに離れた草原の真ん中の道ばたであるのに。
「死にかけてんのかお前」
少女はケラケラ笑いながら言う。
普段なら不愉快極まりないところだったが男には最早怒る気力さえなかった。
「だったら悪いか」
ぶっきらぼうに返す以外のことは出来なかった。
「悪くはないけど面白いな」
少女はまた笑った。
「なんで死にかけてるんだ? お前は物乞いか?」
「半分はそうだが、半分は違う。働いてたとこから逃げてきたんだ」
「逃げる? なんで逃げる。仕事がないと金が手に入らないだろうが」
「クソみてぇな仕事だったからだ。毎日脅されて、殴られて。いい加減に死にそうだったから死に場所探して逃げだした」
「へぇ、それはまた」
なにを思っているのか少女はニヤニヤしながらそれを聞いている。バカにしているようにも見えた。
「それでこれから死のうってわけか」
「ああ、どうせなんにもない人生だったんだ。ここで死のうが関係ない」
「怖くないのか?」
「怖い。怖いな。でももうどうしようもない」
男はぼそぼそとそんな事を言った。実際もうどうしようもない。どうしようもないまま生きてきて、その果てがこれなのだ。だから、もう受け容れるしかなかったのだ。
そして、ここまで話してなんでこんな見ず知らずの女にこんなこと話さなくてはならないんだと気付いた。
しかし、やけに話しやすい女なのは確かだった。
「お前はなんなんだ」
「魔族だ。さっき言っただろう。人間じゃないのさ」
「なんで人間じゃないヤツが野垂れ死にそうな人間に声をかける」
「死にかけで惨めなヤツは見ていて面白いからだ」
「最悪な理由だな」
聞かなくて良かったと男は思った。
人間じゃないやつがこの世の中に居るというのはなにも珍しい話でもない。エルフや獣耳が生えた亜人は街に普通に歩いているし、吸血鬼だの狼男だのも世の中には居ると聞いたことがある。
だが、魔族というのは初めて見た。
そういえばここは十字路だった。十字路には良くない悪魔が現れると大昔に誰かに聞いたような気がした。この少女もその類なのかもしれないと男は思った。
「いたいた!!! ここまで逃げてやがったぞ!!!」
「ぎゃはははは!」
汚い声が2人分響いてきた。男には聞き馴染みの声だった。そっちに顔を向ける気力さえなかったが誰が来たのかはすぐに分かった。
「なんか来たぞ」
「仕事場の雇われの用心棒どもだ。俺を殴りつけるのが趣味のやつらさ。良く金も巻き上げられた。大方逃げだした俺を連れ戻すように言われて来たんだろう」
汚い笑い声はすぐに男の背後までやってきた。
「おいおいおいおい。つれないじゃねぇか。俺達の仲だってのお別れの挨拶もなしに出て行くとはよ」
男は答えない。答える気も気力もなかった。
「でもまぁ、気にはしないさ。これからたっぷり楽しませてもらうからよ」
「ここは街から遠くの原っぱの真ん中だ。つまり何が起きても分からねぇってわけだ」
男の頭にみしりと声の片方の足が置かれた。顎が地面に沈む。しかし、言い返すことはない。強きには従うしかない。弱者にはなにも出来ない。男はそれを知っていた。
「旦那にはお前は抵抗したからやむを得ず、って伝えとく。元々見せしめのために連れ帰るように言われてたんだ。お前が生きて帰ろうが、首だけで帰ろうが旦那様は何も言わない」
「たっぷり楽しませてもらうぜ。ぎゃはは! 良い感じに泣きわめいてくれよぉ!!!」
2人は男達の上で実に楽しそうだった。
しかし、そこで男達の様子に違和感があるのに気付いた。だって、少女は今も地面に顎をめり込ませている男の目と鼻の先にしゃがみこんでいるのだ。
「見えてないのか?」
「そりゃあそうだ。私は上級魔族様なんだから」
少女はケラケラ笑って立ち上がった。
「さて」
少女が言った途端だった。
「な! なんだてめぇ!!!!」
「どこから出やがった!!!!」
言葉と同時に男達が剣を抜いたのが分かった。
少女の姿がようやく見えたらしかった。突然の部外者の登場に2人は少し慌てた様子だった。しかし、
「どうする?」
「関係ない、一緒にやっちまおう。どうせ、こんなところじゃ誰にも分からねえさ」
「そうか、そうだな。イヒヒヒ、それにこの娘なかなか良い体してやがるしな」
戦うしか能の無い連中の思考回路は単純明快だった。突然現れた、やけに人間離れした不気味な少女に警戒というものはあまりないらしい。楽しみの相手が一人増えたと喜ぶほどだった。
「おとなしくしてねぇ、お嬢ちゃん」
一人が下卑た声を出しながら一歩少女に歩み寄った音がした。
その時だった。
―ミシ
鈍い音が聞こえた。そして、なにか重たいものが地面を跳ねる音が続く。
「な、なんだ!?」
―ゴキリ
また鈍い音。そして、重いものがまた地面を跳ねた音がした。
そして、男の後方からはなんの話し声も聞こえなくなった。
「え?」
男は突然の状況の変化に思わず顔を上げて後を見た。なけなしの気力を振り絞ってだ。
そこには、男が良く知る二人のゲスが離れた地面に倒れて痙攣している景色があった。
そして、その手前では少女がパンパンと一仕事終えたというように手を叩き合わせていた。
「な......お前がやったのか?」
そして、この状況から理解出来るただひとつの答えを口にした。
しかし、少女は質問には答えなかった。
代わりに言った。
「決めた。お前、私の下僕になれ」
男の心情とは正反対のこの清々しい草原に、またひとつ穏やかな風が吹き抜けた。
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