五話
舞は昨年までの事を思い出しながら、家に着いた。
祭りまではもう少し。
今月の参拝はもう済ませた。
祭りが行われれば、シュウの事を、やっと、知れる。
それが嬉しくて、待ち遠しくて仕方がなかった。
それから何日も、学校に行っては帰ってきてを繰り返す。
商店街の七夕飾りは段々と豪華になり、毎年と同じような装いに近付いていった。
ある日、舞はいつもの様に学校に行って、授業を受け、帰り支度をした。
次の休みは、とうとう七夕祭りだ。
浴衣を新調する事は出来なかったが、かわりに綺麗な蜻蛉玉を見つけて、それで新しいアクセサリーを作ってみた。
鷲のシルエットが削り細工で彫られた、綺麗な薄青い色の蜻蛉玉だった。
それを見た瞬間、舞は、シュウの事を考えた。
シュウの、名前と同じ文字の鳥。
シュウを連想させるものが、とても愛おしく思えてつい買ってしまっていた。
「あ、あのー…」
後ろの席から遠慮がちに声をかけられる。
振り返れば、明が本で顔半分を隠しながら話しかけてきた。
それも、口元ではなく目元を本で覆っていて、腕が辛そうだ。
「…えっと…日野寺さん…?」
明と話をしたのは、初めてだ。
同じ中学から入学した、数少ない、同じ最寄り駅を使う生徒の一人。
ただ、明のそばには常に司がいたし、本人が、コミュニケーションをとる事に苦手意識があるのか話しかけられた事は、今まで一度もなかった。
舞もまた、話しかけた事はない。
だから、彼女と話すのはこれが初めてだ。
「えっと…そのー…」
「なあに?」
明を急かさず、舞は明の言葉を待った。
「いやー…頑張ってくださいっす…七夕祭りの日…」
「えっ?!」
舞はドキリとした。
シュウに大事な話をされることを知っているのは、地元の友達だけのはずだ。
その地元の友達も、明と話をするような間柄ではなかった様に記憶している。
明は一体どうやって、その事を知ったのだろうか。
それともただの偶然なのか、あるいは、気合が入っている事を気付かれて、何か大切なイベントがあると思われて、それで声をかけてくれたのだろうか。
明の事はよくわからないが、舞は、目の前で「や、やっぱり何でもないっす!」と慌てる明に、ありがとうと言った。
やはり、意味はよく分からなかったが。
そうして迎えた祭り当日。
舞は、一人で祭り会場に向かった。
地元の友達には、予め事情を説明しておいた。
当然、友人たちはこぞって「とうとう彦星様の正体が知れる」「わ~~!やば!」「頑張って!」とメッセージで盛り上がっていた。
薄緑色の浴衣を着て、下駄を履いて、鷲のシルエットが彫られた蜻蛉玉のアクセサリーを帯につけて。
鳥居のそばまで行くと、既にそこにはシュウがいた。
特に場所の約束はしていない。
もしかしたら今日に限って会えないなんて事もあったかもしれない。
互いに会場になる神社には居ても、他の人に紛れて見つけてもらえなかったかもしれない。
だが、そんな考えは稀有だった。
シュウが、舞に気付いて片手をあげる。
今日もシュウは、薄青い色の浴衣に紺の帯を巻いた、シンプルな恰好だった。
舞が小走りで走り出すよりも前に、シュウが動き出して舞のそばへと向かう。
そしていつからかやりだした様に、今年もまた、手を差し出した。
「はい、どうぞ」
「あ、えっと、あ、あり、がとう…」
さも当然の様に手を差し出された事が嬉しくて、舞は頬を赤らめながら遠慮がちに自分の手を添える。
その瞬間、力強くその手を引かれて指を絡める様に繋がれた。
去年までとは違う、少し強引で、それでいて、よりシュウを意識してしまいそうな仕草に、舞は目を見開いて顔を真っ赤にした。
「ごめんね。誰にも君をとられたくないんだ」
微笑んだシュウの言葉に、舞は、小さく顔を横に振った。
誰かにとられるかもしれないと思ってくれたのだろうか。
もしそうなら、それはとても嬉しい事だ。
大人げないと思うけど、それと同時に、シュウが周りに嫉妬するほど自分の事を好いてくれているのが、嬉しくてたまらない。
二人揃って鳥居をくぐり、階段をあがる。
屋台がずらりと並び、二人で、どのお店をまわろうかと話をした。
去年よりも更に背が伸びたシュウを、舞はすっかり見上げる形になっていた。
手も大きくなり、そして去年よりも、より逞しくなった様に感じる。
一年の、会えないうちの変化に一つ気付く度、舞は胸が高鳴って、頬が熱くなった。
屋台を一通り見て周った。
そしてシュウは、舞を、誘う様に手を引いて御神木のそばへと導いた。
あまりにも自然な行動だ。
女性をエスコートする事に慣れているのだろうかと思ったが、舞が見上げたシュウの顔は、真っ赤だった。
「ああ、その、あんまり見ないで。こういう事は、慣れてないんだ…」
顔を赤くしながら口元を片手で覆うシュウに、舞もつられて顔を赤くして、顔を横に振る。
エスコートに慣れているのかと思えばそうではなく、けれど、手を差し出して引いてくれるシュウはとてもさまになっている。
自分のためにそうしてくれたのだと思うと、恥ずかしさと嬉しさでどうにかなりそうだった。
「良いかな、僕の事を、話しても」
まるで、これから一世一代の告白でもするかの様な、緊張した面持ちでシュウは舞に告げる。
赤みの引かない頬をして、真剣な目で、舞を見る。
舞は頷いて、絡められた指先で、シュウの手を握りなおした。
「僕の本当の名前は、
そう言って、シュウはおどけて笑う。
けれど舞は、初めて聞いたシュウのフルネームを、噛み締める様に呟いた。
まるでその響きを、自分の体の隅々まで巡らせるように。
シュウは舞の様子に、小さく笑みを浮かべた。
「舞ちゃん、あそこに何か見えるのがわかるかい?」
シュウがおもむろに指をさす。
それは神社の御社殿の、ちょうどてっぺんだった。
舞が目を凝らす。
月に一度、必ずお参りをしているこの神社で、いまさら見た事ないものがあるのだろうかと思いつつ。
ぼんやりとだが、普段は見えないはずのシルエットが見えた。
「…カラス…?にしては、おっきい…鳥…?でも、あんな所に鳥の置物なんてなかったと思うけど…あれは何?」
素直にシュウに問いかけると、シュウは一瞬目を丸くし、そして、口元に小さく笑みを浮かべた。
「あれは僕の師匠だ。普通の人には、見えていないよ」
「師匠…?普通の人には見えていない?」
どういう事?と聞く舞に、シュウは「おいで」と、繋いだ手を引いて、神社のさらに奥へと歩き出す。
神社の奥には森があり、その森を越えると大きな道路に出たはずだと、舞は記憶している。
森の大きさもそこまで大きなものではないため、ほとんど、神社のすぐ裏手に道路があると言っても良い状態だった。
だが、シュウに手を引かれ歩いていくと、次第にあたりが薄黄色の霧に包まれていく。
迷いなく、そしてしっかりと舞の手を繋いで、シュウは歩く。
舞は、シュウが自分をどこへ連れて行こうとしているのか分からず、迷子にならない様にシュウの手を握った。
シュウは舞のペースに合わせて先導していく。
「その蜻蛉玉…鷲の形に削られてるのかい?」
唐突に、舞の帯につけられた蜻蛉玉を指さしてシュウが聞く。
舞は頷いて、空いている手でそっと蜻蛉玉をなぞった。
「あの…ガラスが、鷲の形に削られてて…その…」
シュウの事を思い出して、買った。
舞はそこまで口にすることは出来なかった。
舞が心細さを感じないように、話題を振ってくれたのだろう。
だが、蜻蛉玉の事に気が付いてくれた嬉しさと、そして、本人を前にして、あなたの事を考えて気が付いたら買っていました、なんて言えない程の恥ずかしさで顔が真っ赤になった。
シュウはそんな舞に、柔らかく笑んで、舞の手をしっかりと握った。
霧の中を歩く事少し。
薄黄色の霧が晴れた場所は、神社の御社殿の様な造りの建物がいくつも立ち並ぶ不思議な空間だった。
狐面をつけて顔を隠して歩いている人や、猫、犬、馬、烏、それ以外にも様々な動物と人間の姿をした何かが居る。
異様だったのは、さっきまで森だったはずの場所が、そうでなくなっていた事だ。
上を見ても夜空がなく、先ほどまで見えていたはずの七夕飾りもない。
薄黄色の世界に賑やかな存在がたくさんいる。
「は?てめえ…」
後ろから聞き覚えのある声がして、舞が振り返る。
そこには、制服姿のままの司が立っていた。
面倒くさそうな表情で、顔をしかめている。
そしてそのそばには、片手に狐面を持ったクラスメイトの明がいた。
「通りで鳥くせえと思ったんだよ、てめぇ」
「鳥臭いとは…それは僕の事かな?太陽の金魚の糞くん。あ、太陽フレアと呼んだ方が良いかな?」
くすくすと笑いながら司を挑発するシュウに、舞は目を見開いた。
いつも穏やかで大人の立ち振る舞いをするシュウでも、相手を煽ったり、相手の言葉に喧嘩腰で答えたりすることがある事に、驚きを隠せない。
「うーわわわわわ、巻き沿いごめんっす…」
後ろに立っている明が心底嫌そうに、手にしていた狐面をつける。
「自分、帰っていいっすか…」
「あ?てめぇ帰ったら学校こねぇだろ」
「引きこもり万歳。あとで師匠に、岩戸に入れてもらえないか聞く…」
「やーめろバカ!このタコ!」
歩き出した明を、司は慌てて追いかけていく。
とても騒がしかったが、シュウは二人の事を知っている様だった。
明が舞に頑張れと言ったのは、シュウと知り合いで、何かをすると知っていたからだろう。
それにしても、ここは一体何処なのか。
「僕の家は、少し特殊な家系でね。何代かに一人、子供を神様の弟子にやるんだ。彼女の家系もそうで、彼女は、
「…神様の、弟子?」
そんな神話の様な話があるのだろうかと考えるが、この場所が、神社でも、裏手の道路でもなく、空もない場所なのを見て、嘘ではないのだろうと思えてしまった。
「僕の代が、たまたまそうだった。だから修業が終わるまで、七夕の日以外は
「…現世…?」
舞が言葉を返すと「舞ちゃん達が普段住んでいる世界の事だよ」と、シュウが伝えた。
「ここは現世と
現世、常世、狭間。
聞き慣れない、どんな意味を成しているのかが分からない単語が、シュウの口から次々と出てくる。
だが、天照大神の事は、舞でも聞いたことがあった。
日本神話に出てくる神様の名前で、同じ神である須佐之男命の乱暴なふるまいに、怒って閉じこもってしまった神様だ。
明がそんな神様の弟子?近くに司が居て大丈夫なのだろうかと、考えてしまう。
シュウは、舞が何を考えているのか分かったのか、くすりと笑みを浮かべた。
「あの
「…え?」
「日本神話に書かれた出来事の一部は事実として起こっているけど、脚色されている事が実はほとんどなんだ。それに、性格なんかは全然違う」
面白いだろう?と笑うシュウの感覚に、舞は、ついていけない。
ここが現世と常世の狭間で、シュウは神様の弟子で、クラスメイトの明もそうで、そして天照大神はとんだ引き籠り…
情報量が多すぎてついていけないが、嘘は言っていない事だけは確かだ。
「おいで。もう少し歩こう」
「あ、う、うん…」
夢でも見ているのだろうか。
それとも、気を失っている?実は意識は別の場所にある?
色んな事を考えるが、うまい事、ぜんぶを呑み込めそうにはなかった。
シュウが舞の手を引いてゆっくりと歩き出す。
その感覚だけは本物だ。
舞の手のひらに伝わるシュウの体温だけは。
暫く歩いていると、可愛らしい女の子がシュウと舞を見て小さく笑った。
彼女は淡い桃色の着物を着て御社殿から出てくると、シュウと舞をじっと、順番に見つめる。
その眼もまた、不思議なことに桃色をしていた。
シュウは緊張した面持ちで、彼女の行動を眺めている。
偉い神様なのかな?
シュウの様子に、舞はそんな事を考えて、シュウと彼女の間で視線を彷徨わせた。
彼女が満足そうに頷く。
「吉兆。お外でも元気でね。たまには、彼女を連れてこちらへおいでなさい?」
ころころとした可愛らしい声で、しかし、はっきりと告げる。
シュウはほっと胸を撫でおろし「ありがとうございます」と頭を下げた。
やはり、シュウや明、司と違って神様なのだろう。
舞も慌てて頭を下げる。
彼女が立ち去った後、シュウは、再び舞の手を引いて歩き出した。
次第に薄黄色の霧が立ち込めていく。
「さあ、帰ろうか。僕たちの場所へ」
どうやら、現世に帰ると言っているらしい。
舞は結局、全てを理解しきれないまま、シュウに手を引かれた。
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