四話

 気が付けば、高校生になっていた。

 中学までは一緒だった友達とも高校は別になった。

 同じ高校に通っている中学からの知り合いは、明と、事あるごとに明についてまわる不良代表の彼だけだった。

 偏差値は決して低くない高校だが、どうやら不良代表の彼は、頭が悪いわけではないらしい。

 校則には違反しているが、授業にはきちんと出ているし、欠席もしていない事から、教師たちは校則違反の注意に追われていた。

 不思議なことに、学校外で暴力をしただとか、違法なバイトをしているといった噂もない。

 それは、明の存在があるからなのかもしれないが。


 ある月初めの月曜日。

 昼休みに舞の教室にやってきた不良代表は、いつもの様に明のもとへと向かう。

 明は、もはや諦めていた。

 どんなに目立つと言っても来るのをやめてくれないため、半分、自棄になっていると言えばいいか。

 その不良代表は明の前の席に座る舞に視線を向けると、あからさまに嫌悪した顔をした。

 舞は一瞬、体を縮こまらせる。

 何かしてしまっただろうかと考えるものの、思い当たる節がない。

 休みの日に会ったりもしていなければ、何か、明に危害を加える様な事ももちろんしていない。

 だが、絵に描いた様な不良は舞を見下ろし眉を寄せ、嫌そうに顔をしかめている。


「ちっ…鳥くせぇ」


 不良代表の言葉に、舞は目を瞬いた。

 鳥なんて飼っていただろうか?思い出してみても、鳥と縁はなかったはずだ。

 家で動物は飼っていないし、飼育係でもないから飼育小屋の掃除をしたりもしていない。

 当然、登校する際に近寄ってもいないし、今日の授業で飼育小屋に近付く事もなかった。

 まったく心当たりがないのだが、まさか体臭だろうかと、思わず鼻をくんときかせた。

 自分の臭いなんて分かりっこないが、帰りに制汗剤の入ったシートでも買おうかと考える。


「あーわわわわ、き、気にしないでくださいっす!ほら、司くんも謝って!」


 聞いていた明が慌てふためき、舞に必死になってへこへこと頭を下げると、次いで、司と呼ばれた不良代表に顔を向ける。

 言われた当の司は心底面倒くさそうにしながらも、ちらりと舞に視線を向けて、また、嫌そうに眉を寄せた。


「…ちっ…さーせんっした」


 顔と言葉が完全に不一致の状態だ。

 司は明の腕をとると席から立ち上がらせて、そのまま、明を引っ張って連れて行ってしまった。

 最初こそ驚いていたクラスメイトも、今ではすっかり慣れてしまった光景で、静かになる事はなかった。

 舞は近くにいたクラスメイトに、首を傾げながら問いかけた。


「私、鳥臭いのかな」

「え?!いやいや、舞っていい匂いするよ?女の子の私でも時々、ドキッとしちゃうくらい!」


 どんなフォローの仕方なんだと思うが、司が言っていたことは気にしない様にしようと、舞は思った。




   ***




 その年も、七夕祭りは開催された。

 高校がばらばらになった地元の友達と一緒に祭りをまわる。

 浴衣は中学の時から新調はしていないが、商店街の人にお願いして、下駄の鼻緒を挿げ替えてもらった。

 少しでもシュウとお揃いの色が欲しくて、鼻緒は薄青色にしてもらった。

 髪は伸ばさなかったが、かわりに、帯にかんざしを模したクリップをつけて蜻蛉玉で彩った。

 友達からは、気合が入っているともてはやされた。

 恥ずかしさを抱きながらも、中学の時に浴衣を新調した事に気付いてくれたのが嬉しくて、つい浮かれて気合が入ったのは事実だ。

 ただ、約束を覚えているのかと、それだけが心配だった。

 もしかしたら今年は忙しいかもしれない、会えないかもしれないと、毎年のように思う。

 そして、急いてしまう。

 辺りにシュウはいないかと探して目が泳いでしまう。

 友達はすっかりそんな舞にも慣れたどころか「彦星様~、織姫様がお探しですよ~」と面白半分に、シュウを探すのを手伝ってくれた。

 彦星だけど鷲!の降りも忘れずに。


「随分、賑やかだね」


 すっかり低くなった穏やかな声がして、舞は視線を向ける。

 背が高くなり、少し大人に近付いた顔立ちをしているが、青薄い浴衣に紺色の帯を巻いた、シュウだ。

 穏やかな笑みを浮かべて、シュウは舞を見下ろす。

 舞は友達のいる方に顔を向けたが、やはり、毎年のように、影に隠れてサムズアップを決めていた。


「今年も、僕とまわってくれるかい?」


 シュウに手を差し出され、舞は、頬を赤らめながら小さく頷くと、差し出された手に自分の手を乗せる。

 柔く握られた手から、シュウが、段々と大人の男になっていくのを感じた。

 去年より、その前より、手には逞しさが生まれ、しなやかだった指先はより武骨に男らしくなっていく。

 同じくらいの大きさだったはずが、気付けば、舞の手を包めるほど大きくなっていた。

 その事に気が付いて、舞は心臓が高鳴る。

 毎年の様に、心臓を高鳴らせては想いを募らせる。

 それでも、想いを告げるにはあまりにも、シュウの事を知らなさ過ぎた。

 一年に、たった一度の逢瀬。

 連絡先も、普段忙しいというその内容も、歳も詳しくは知らない。

 小さい頃に迷子になった自分を見つけてくれてから、一年に一度だけ会い、こうして一緒に周る。

 別れ際には、頬にキスまでされる。

 それでも、実際のところシュウが舞をどう思っているか、舞は全く知らないのだ。

 優しい人だから、きっと、舞だけでなく別の誰かにも、同じように優しいのかもしれないと思えてしまう。

 それが舞の胸の内を苦しめた。

 苦いのに、同じくらい、シュウの事を考えられる事に甘さを感じてしまう。

 そんな表裏の感情をいっぺんに、舞は感じた。


「下駄の鼻緒を新しくしたんだね」

「え?あ、うん」

「凄く似合っているよ。それから、その蜻蛉玉のアクセサリーも」


 シュウが、珍しく微かに頬を赤らめて舞に言葉をかける。

 下駄の鼻緒を変えた事も、蜻蛉玉のアクセサリーをつけた事も、すべてはシュウのためだけど、気が付かないかもしれないとも思っていた。

 けれどシュウはそんな小さな変化にも気が付いて、似合っているとまで言ってくれる。

 それも、頬を微かに赤らめて。


「そ、そんな事…あの、ありがとう、褒めてくれて」


 期待しちゃうよ。

 その言葉を呑み込んで、恥ずかしさから俯いた。

 期待してしまうと言ってはいけない様な気がした。

 迷惑に思われてしまうかもしれない、もしかしたら、来年以降は会えなくなってしまうかもしれないと、そんな不安を感じた。

 シュウだって、舞の知らない人間関係の中で生きているはずで、もしかしたら、他に好い人が居るかもしれない。

 それでも、毎年舞が祭りに参加してシュウを探している事を、シュウは知っているから、優しさから、一緒に居てくれるだけかもしれない。

 多くを知らないことが、こんなに不安をあおる事を、舞は初めて知ったような気がした。


「舞ちゃん」


 そんな不安をすくいあげるかのように、シュウが、握った手に少し力を入れて、名前を呼ぶ。

 呼ばれた舞は、ふと顔をあげる。

 穏やかな顔をしたシュウと目が合うと、互いに頬を赤くした。


「おいで」


 そして誘われる様に手を引かれて、神社の御社殿のそばにある御神木までゆっくりと歩いた。

 シュウは、毎年の様に舞の歩幅に合わせて歩く。

 それは今年も変わらず、舞の様子を気遣い、足元にも気を使った。

 それが舞にもわかっているからこそ、嬉しく思うと当時に、やはり、不安にも思ってしまう。

 一年に一度だけ会えれば良いと思っていたはずが、どんどん欲張りになっていく自分に、少し、嫌気がした。


 御神木のそばまで行くと、シュウは舞の手を離すことなく七夕飾りを眺める。

 その横顔は穏やかなものではなく、どこか、覚悟を決めた様な険しい顔をしていた。


「あの…シュウくん?」


 どうしたのかと聞く。

 もしかしたら、もう今年で最後にしようと言われるのかもしれないと思って、考えただけで、胸が締め付けられて泣きそうになった。

 迷惑はかけられないと分かっていながらも、欲張りにならない様に頑張るから、と、心の中で思えてしまって、悲鳴をあげそうだった。

 せっかく着飾って、それをシュウが褒めてくれた嬉しさも、今は押しやられてしまった様だった。


「来年。来年になったら、僕のすべてを、話すよ」

「え?」


 舞の予想に反して、シュウは突然そんな事を言い出す。

 自分の事を教えると言っているだけなのに、どこか、緊張した面持ちで。

 そして、こう続けた。


「きみは僕の事を好いているし、僕も君の事を好いている。だから――」


 どうか、来年も来て欲しい。


 そう言ったシュウは、苦しそうに眉をひそめ、泣き出しそうな顔をしていた。

 好きだと言われた事に舞い上がって良いのか、目の前の苦しそうなシュウを心配したらいいのか分からなくなりそうだった。

 どう声をかけていいか分からない舞に、シュウの顔が迫る。

 そして、いつもは頬にされる口付けが、今日は額に落とされた。

 まるで割れ物でも扱うかのような、優しい、ふんわりとした口付けだった。

 シュウの顔が離れると、舞は今度こそ、頬を真っ赤にして何度も頷いた。

 来年も絶対に来よう。

 そしてシュウの事を少しでも知れたら、それはきっと嬉しい事に違いないとさえ思えた。

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