三話
舞にはある習慣があった。
それは舞の祖父母から両親に受け継がれ、時には親子三代で行うものでもあった。
ある年の夏の日も、舞は変わらず、その習慣に基づいて朝早くから神社に居た。
宗教的な信仰ではないが、昔からずっとそうで、毎月最初の日曜日、朝早くから神社にお参りに行く。
親子三代でと言っても、曾祖父母の代でもその習慣はあった様で、もう、相当昔から子供に受け継がれている様だった。
お参りに行くのは、毎年七夕祭りを行う、あの神社だ。
舞は一年、十二か月、つまり毎年十二回、きっちりとお参りをしては、今年もシュウに会えます様にと願った。
そしてその願いが叶った次の月のお参りでは、必ずお礼をする。
それでも無宗教である。
舞は小学校を卒業し、中学生になった。中学は、隣の小学校の頃の隣の学区と合同になった状態で、小学校からの友達がほとんどだ。
舞は自然と中学校生活にも身が入った。
すべては、毎年の七夕祭りのために。
祭りが近づくと、クラス中が賑やかになった。
祭りの季節が近づいたある日の昼休み。
舞は仲のよい友達とご飯を食べながら談笑していた。
「おいおい、誰か日野寺誘ってやれよ~」
「浴衣着たら意外とモテんじゃね?あと眼鏡外せばさ!」
「いやいや、無理っしょ、いつもがあれじゃあな」
クラスの男子が、教室の端で本を読んでいる大人しい生徒を見ながら、ゲラゲラと笑っていた。
本人に聞こえる様なあからさまな態度に、舞も、一緒にご飯を食べていた友達も思わず顔をしかめた。
日野寺――
眼鏡をかけて、長い黒髪を二つに結った、大人しそうな女の子だ。
人とコミュニケーションをとるのが苦手なのか、彼女が誰かと一緒に居るのを、舞は見た事がない。
勉強は出来るし、落とし物を拾ってくれたりと、さりげない気遣いが出来るのだが、それでもすぐに、人と接する事に慌てふためいて、本で顔を隠してしてしまう。
当然、クラスから揶揄われる的になっていた。
「おい」
机に座って明を揶揄う男子たちに、廊下から、低い声が呼びかける。
中学生男子にしては身長が高く、学校の規定を堂々と破った、グレーに染められた髪。
中学生にしてすでに空いたピアスホールと、こちらもまた、絵に描いた様な不良の見た目をした男の子だった。
確か、一つ隣のクラスだったかと、舞は思い出す。
目立つものだから、入学式の次の日には注目の的になっていた生徒だ。
「つまんねぇ事してんな」
突然現れた男の子は、舌打ちをするとずかずかとクラスに入ってきて、本で顔を隠している明のところまで向かうと、細い腕を掴んで立ち上がらせた。
明は顔を真っ赤にして、本を離し、かわりに必死になって前髪で顔を隠そうとしていた。
「めめめめめ、目立ってる!目立ってるっす!やめて!あ、ほんとにやめて!無理無理、目立ってる!」
「いい加減慣れろよ、このタコ」
男の子は明を廊下に連れ出して、そのまま何処かへ行ってしまった。
一部始終を見ていたクラスメイト達は動きを止めて、今、何があったのかを頭の中で整理するのでいっぱいだった。
それは舞も同じである。
一番関わり合いがなさそうな、学年一の絵に描いた様な不良が、これまた絵に描いた様な優等生を、連れだした。
二人は隣の学区の小学校に通っていて、接点があるとすれば、同じ小学校を卒業しているくらいだろうか、と思うが、その時に、何かあったのかもしれない。
明を揶揄っていたクラスの男子は、その日を境に明を揶揄う事はなくなった。
そのかわり、実は二人が付き合っているんじゃないかという噂もたった。
***
その年の七夕祭りにも、舞は参加した。
その年は、中学生に上がった事もあり浴衣も新しいものへと変えた。
薄緑色の生地に、桔梗があしらわれたシンプルなもので、青い帯が印象的なデザインの浴衣だ。
舞は、今年もシュウに会えるだろうかと考える。
そのためか、男の子からの誘いはすべて断り、小学生の頃から付き合いが続いている友達と参加をする事にした。
「今年は来るかな?舞の彦星様~」
「あ~、いいよねぇ、一年に一度しか会えないとか、マジで織姫と彦星じゃん」
「けど名前はワシの一文字で」
「「「シュウくん!」」」
友達がシュウの話題で盛り上がる。
舞は頬を真っ赤にして「もう!揶揄わないで!」と怒ったが、舞の、一年に一度の逢瀬を邪魔するつもりなどない事も、舞には分かっていた。
思春期で他人の色恋に興味を示しながら、自分の色恋を見つけていく年頃ともなれば、そこかしこに落ちている恋の話題とは比べ物にならないほど、舞の色恋沙汰は特殊であり、そしてロマンチックでもあり、どこか、憧れる様なものもあった。
舞の色恋沙汰というのは、友達にとってはそういうものだ。
「けど、マジで何やってんだろうね?どこの学区なんだろう?」
「ほんとそれ。私らの可愛い可愛い舞を預けて良いものか…」
「ちょ、ちょっと、勝手に盛り上がらないでよ…」
友人たちが盛り上がる中、舞の顔は変わらず真っ赤だった。
舞たちは、出店を見て回った。
毎年ラインナップは代わり映えのしないものだったが、それでも、一年に一度、この時期だけだと思うと、なぜか飽きが来ることはなかった。
綿あめを買ったり、かき氷を買ったり、輪投げをしたり、射的をしたり…
楽しい時間はあっという間に過ぎる。
それでも舞の頭の中には、シュウの事があった。
すれ違う人を確認しては、目がシュウを探すのだ。
そうしている間に、屋台をまわり切ってしまった。
今年は、会えないのかな。
そんな事を舞は考えた。
忙しくてこの時期にしか外に出られないと言っていた。
今年は、なおの事忙しくて祭りどころではなくなってしまったのかもしれない。
そう、考える。
もしかしたら忘れてしまったのかとは、考えたくなかった。
祭りの事を忘れたと言われたら、それはまるで、舞自身の事を忘れたと言われている様な気がしてしまうから。
舞の視線が落ちる。
今年は、会えないかもしれない。
「ああ、いた。舞ちゃん」
その瞬間、弾かれた様に舞は顔をあげた。
薄青い浴衣に紺の帯、身長に合わせて毎年変えているのだろうが、それでもデザインが変わらない浴衣を着たシュウが、舞に声をかけていた。
声変わりの時期なのか、去年よりも少し声が低くなった様に思う。
だが、舞にはそんな事は関係がない。
シュウが、自分の事を探してくれていたのかと思うと途端に嬉しくなって、頬が熱くなった。
「良かった、今年は来てないのかと思ったよ」
「そ、そんな事…シュウくんこそ、忙しいのかなって、思って…」
「僕を探してくれたのかい?ありがとう」
シュウが、ふんわりとした笑みを舞に向ける。
舞は後ろに振り返り、友達に、シュウと回ってきていいか声をかけようと思った。
が、流石に毎年同じパターンともなれば、友達も気が利かないわけがない。
初めて舞が友達と一緒に祭りに参加した時と同じように、友人たちは物陰に隠れて、舞を応援するジェスチャーをしていた。
「せっかくご学友がお膳立てをしてくれたんだ、あと少ししかないけど、一緒にどうかな」
スマートな動きで差し出されたシュウの手を、舞は一瞬眺めた。
心臓が小さく音を立てる。
少しだけ痺れるような、高揚している様な。
緊張しているのとも違う胸の高鳴りに、舞は抗う事なく、差し出された手に自分の手を乗せた。
「じゃあ、行こう」
握られた手が熱い。
心臓が音を立てている。
それでも舞は、そんな状態が心地良いとさえ思えてしまう。
舞の歩幅に合わせるようにして、シュウがゆっくりと歩く。
一周した屋台をもう一度見て、そして、射的や輪投げゲームで一緒に遊んだ。
舞の年頃ともなると、この行動が何を意味するのか、意識してしまう。
これは夏祭りデートというものではないだろうかと考えて、一人、浮かれてしまった。
シュウとは年に一度しか会えないし、結局名前しか知らない。
歳は同い年か少し上か、同年代ではあるかもしれないが、それぐらいしかシュウの事を知らない。
それでも、その一年のうちの一日、そのうちのほんの少しの時間を過ごすだけでも、舞にとっては大切な時間だった。
シュウの事を知れる、一緒に過ごせる、大切な時間。
大切に、長い年月をかけて暖める様な、そんな感覚になる。
結局二周目も、縁日の景品はとれなかったが、一緒に過ごせる事が、ただ、楽しかった。
一通りシュウと出店を見て回った後、いつかと同じように、神社の御社殿のそばにある木の下で休むことにした。
今年も滞りなく、七夕祭りが終わろうとしている。
それが妙に寂しく感じ、もう少しだけ一緒に居たいと思ってしまう。
シュウは忙しいだろうから、そんなわがままを言うもんじゃないと分かっている。
だからこそ、舞は、その寂しさのようなものを呑み込んで、御社殿の屋根から下がる、ライトアップされた七夕飾りをじっと眺めた。
「綺麗だね」
シュウが隣で呟く。
舞は一瞬、自分の事を言われているのかと、心臓を高鳴らせた。
年に一度、普段は着ない浴衣でめかし込んでいるのは、シュウに会えるから。
浴衣を新調したのも、少しは大人っぽく見えるかと思っての事。
けれど、シュウが言っているのは恐らくライトアップされた七夕飾りだろう。
どんなに美しい女の子でも、あの七夕飾りには負けてしまうだろうなと、舞は苦笑いを浮かべた。
「うん、凄く綺麗」
シュウの言葉に同調すると、シュウは、目を瞬く。
そして次には、はは、と笑い声をあげた。
「違うよ、七夕飾りも綺麗だけど、舞ちゃんの事だよ。浴衣、新しくしただろう?」
「えっ…?あ、あの、う、うん」
ふふ、と笑いっぱなしのシュウとは反対に、舞は顔を真っ赤にして動きを止めてしまった。
ぼんっと顔から煙が出るんじゃないかと思うほど、顔が熱い。
それと同時に、自分の事を言ってくれていたのが嬉しく思う。
浴衣を新調した事にも気付いてくれて、綺麗とまで褒めてくれた。
舞にとっては、これ以上ないほどの褒め言葉だ。
ただ、喜びはしても、余裕はない。
思わぬ褒め言葉に心臓の唸りが早くなり、手の平から汗が滲む。
繋いでいる手がべたつかないかとか、そんな心配をした。
「可愛いな、舞ちゃんは」
新しい爆弾をシュウが投げた気がして、舞の心臓は、これでもかと言うほど早く打った。
そんな舞に気付いているのか、それとも天然なのか、シュウは舞を見続けて、柔らかい笑みを浮かべた。
「来年も、会えるかな」
「え?!え、う、うん…あの…絶対、来る、から…だから、来年も、会いたい、な」
もうすぐ祭りが終わるのだと、遠回しにシュウが告げてる。
舞は、まるで花火が打ちあがった後の静けさの様な寂しさを感じながらも、顔を赤くして、声を振り絞って言った。
会えたらいいではなく、会いたいと。
シュウは嬉しそうに笑うと、頷いて、真っ赤な頬に口づけた。
「…太陽の、臭いがするね」
「…?シュウくん?」
笑んだはずのシュウの表情が、見た事もないほど真顔になる。
その変化に戸惑いを隠せなかったが、シュウは少し考えた後、また、笑みを浮かべて首を横に振った。
「太陽なら、大丈夫かな」
何の話をしているのだろうか。
そう考えるも、聞くことは出来なかった。
口付けられた頬が熱い。
それでも、一年に一度しか会えない相手にこうしてスキンシップをされるのは、嬉しい。
だから、舞は考えない事にした。
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