二話
舞が小学校高学年に上がった頃には、名も知らぬ少年への、一年一度、会えたらいいのにという感情は、恋心へと昇華された。
七夕祭りが楽しみで仕方がない。
早く、会えると良いなと、毎年のように想いを募らせ続けた。
そんなある年の七夕祭り。
舞は淡い紫の朝顔が咲く浴衣に下駄をはいて、祭りに参加していた。
その頃には両親との参加ではなく、複数人の友達と祭りに来るようになっていた。
昔から馴染みがある祭りだ。
参加者も舞たちをよく知る大人たちやその子供、あるいはお孫さんなんかで、両親も安心して祭りに送り出していた。
舞はやはり、考えていた。
今年は、あの少年に会えるのだろうかと。
毎年必ず会えていたのだから、今年も会えるだろうと思う。
でもその反面で、今年はもしかしたら、自分の住んでいる地域のお祭りに参加するかもしれない。
お祭りそのものに興味がなくなっていたらどうしよう。
そもそもこっちに来てるのかな。
そんな不安もあった。
だがそれは稀有だった様で、舞がりんご飴片手に友達と談笑しながら歩いていると、向かいから、薄青い浴衣を着た色白の男の子がやってくるのが見えた。
「あ、ねえ舞、あれ舞が話してた子じゃない?」
「うわっ、超カッコいいんだけど!」
「色しろっ!ねえ舞、行ってきなって!」
同級生が囃し立てる中、舞は顔を真っ赤にして、その男の子の前に向かう。
からころと下駄を鳴らし、いつもよりも小さな歩幅が、何だか、自分を大人の女性の様に思わせた。
「久しぶり、舞ちゃん」
「あ、う、うん、久しぶり…」
一年ぶりの再会に、胸が高鳴って、頬が熱くなる。
会えた事が嬉しくて、舞は頬が緩みそうになるのを精一杯我慢した。
少年は舞を見ると、柔らかな笑みを浮かべる。
「今日は学友と来てたの?」
「がくゆう?」
耳馴染みのない言葉に、舞が首を傾げる。
少年は微笑んだまま「ごめんね」と言い、学校の友達の事だと教えてくれた。
「うん、友達と来てたの。あの、紹介――」
紹介するね、と言いながら振り返ると、さっきまで一緒にいたはずの友達は、脇道に隠れていた。
舞に向かって、何やら様々なジェスチャーをしている。
頑張って!とか、サムズアップをしていたりと、興味半分で舞を応援している様だった。
「とても素敵な学友だね」
本人がいる目の前で、まさかそんな事をするとは思ってもいなかった舞としては、恥ずかしさでいっぱいだ。
会いたかったとか、友達にどんな風に自分の事を話したのかと聞かれたらどうしようだとか、淡い恋心を抱いている事がバレてしまったらと思うと、否定したくなってしまう。
友達の事も、自分が抱いている感情も。
少年は微笑んで、舞の腕をとった。
「えっ?!」
予想していなかった出来事に驚く舞に、少年は笑みを向け、そのまま歩き出した。
とてもゆっくりとした足取りで、下駄に慣れない舞を気遣うような歩みだった。
「あ、あの」
「ああしてご学友が気を使ってくれたんだ、せっかくだから一緒にまわらない?それとも、僕じゃ嫌かな?」
友達の行動の意味が駄々洩れである事よりも、少年の誘いの方が嬉しくて、舞は一緒に祭りをまわることにした。
金魚すくいをして、ポイの網があっという間に破けてしまったり、射的で思うように的を狙えなかったり、輪投げはうまく入らなかったり。
それでも、少年は微笑んで、時にはくすっと笑ったりして、舞との時間を共有してくれた。
時間はあっという間に過ぎていき、少年と舞は、神社の御社殿のそばにある木陰で休む事にした。
神社は七夕飾りで彩られ、ライトアップされている。
普段、夜の神社は人気もなければ灯り一つついていない不気味な場所だが、この時期だけは、こうして夜でも照らされて、綺麗に飾られている。
舞は七夕飾りから、少年へと視線を向けた。
「少し、疲れてしまったかな?」
「ううん、そんな事ないよ。凄く楽しくて…そ、そういえば、あの、私、あなたの名前、ちゃんと知らないよね。あの、なんていうの?」
舞は今更何を言っているんだろうと思いつつも、どうしても気になっていた事だけに、聞かずにはいられなかった。
もう何年も、毎年、祭りの日にだけ会っているのに、自分の名前は知られていても、相手の名前を知らない。
少しでも良いから、目の前の少年に繋がる何かを知りたくて、舞は、そう聞いていた。
「僕かい?僕は
シュウ、くん。
舞は噛み締める様に名前を呟いた。
シュウと名乗った、青薄い浴衣を着た少年は嬉しそうに笑みを浮かべる。
「どこに住んでるの?この近く…じゃないよね?私、見た事ないもの…」
名前を知れたら次は住んでいる場所。
その次は…
舞は、気が付けば聞きたい事で溢れていた。
スマホは持っているのかな、連絡先は聞けないかな、どういうところに住んでるのかな、普段は学校で何をやってるのかな。
何でも良い、とにかくシュウについて知れれば何でも良いと思って、舞は、シュウに問いかけた。
どんな返事が来るのかと、ドキドキしてしまう。
「そうだね、僕はこの辺に住んでいるんだけど、この時期にしか出歩かないんだ。だから、舞ちゃんは僕を見た事がないんだよ」
「え、そうなの…?その…病気…とか?」
色白い肌は、ただ生まれながらの白ではなく、病気で血の気がない色なのではないだろうか。
そんな、よくない想像をしてしまう。
そんな舞に、シュウは笑顔で首を横に振った。
「違うよ。ただ、家がとても忙しくて、それで。僕はいたって健康体そのものだから、心配しないで」
微笑みながら、シュウは「何なら今から走ってこようか?」とおどけてみせる。
舞は首を思い切り横に振って、体が大丈夫ならいいのと口にした。
家が忙しいとは、どういう事だろうか。
どこか、良い所の家柄の子なのだろうか。
聞いていいものか迷ったが、一気に質問をしたらしつこいと思われてしまうかもしれないと、家の事を聞くのはやめた。
ただその代わり、と、舞は、これから口にすることを想像して頬が熱くなるのを感じた。
「あの…また、来年も、会えるかな…」
シュウの反応が怖くて、目は見れなかった。
それでも舞は、視線を俯かせたまま、頬を赤らめ続けた。
「舞ちゃん、顔をあげて?」
優しいシュウの声に促されて、ゆっくりと顔をあげる。
シュウの綺麗な笑みが視界いっぱいに広がり、心臓が強く唸ったのを舞は感じた。
「嬉しいなぁ、きみがそう思ってくれて。ありがとう」
穏やかな声でそう言ったシュウは「舞ちゃんが来年も来れば会えるよ」と言って、リンゴの様に真っ赤な頬にそっと口づけた。
一瞬、舞は何が起きているのか分からなかった。
ただ柔らかい感覚が頬に押し付けられただけ。
たったそれだけの事なのに、ただでさえ熱い頬は更に熱くなる。
何があったのかを理解して目を白黒させると、シュウは柔らかい笑みを浮かべた。
「そろそろ祭りも終わるよ。戻ろうか」
ただ頬に口づけられただけ。
それだけの事なのに、舞は頭が真っ白になり、何も言えないままシュウに腕を引かれて友達の所まで、送ってもらった。
シュウの事が知れて、シュウに近付けて、そして、とんでもない時間だった。
それから数日間、舞は、友達が引くほど緩んだ顔をしていた。
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