第19話 初めての共同作業(?)
矢走さんのアイデアにより、正面を向いているテディベア君を後ろ向きにさせることになった。
細かくアームを動かしながら四十回ほどの微調整を経て、
「これでどうだ!」
後ろ向きとは言わないまでも、左斜め四十五度くらいには回転できた……へっぽこアーム君じゃあ向きを変えるだけでも一苦労なのよ。
「残り十プレイ。次の工程に移らないといけない時機ですね」
現場監督も勝負師の顔になっている。つられて俺も気が引き締まる。
それなのに、不覚にも微笑みを零してしまった。ふたりで同じ目標に向かって頑張るこの時間が今までで一番喜律さんを身近に感じることができたから。
「この体勢ならば倒せそうですね」
筐体を前から横から眺める喜律さん。忙しない反復横跳びで長いスカートがひらひら揺れる。
「よし。あとは最初みたいに頭を押して倒すだけだな」
これで決めてやる! と百円を投入しようとした俺の手首を体温の高い手が掴んだ。
「待ってください。まだです。テディベアさんと落とし穴との距離を見てください」
「……少しあるな」
ボス熊を横に倒したらちょうど頭半個分穴からはみ出る距離。これでは倒すことはできても落ちてこないだろう。
「喜律さ~ん……」
某国民民的アニメのぐーたらメガネが青狸に助けを求めるときのような情けない声が出た。完全に喜律さん頼りである。
かっこいいところを見せるっていう話はどこ行ったんだ、と思うかもしれない。
でも、そんなことはもうどうでもいじゃないか。こうして喜律さんと一緒の目標を目指しているというだけで幸せだもの。あとはボス熊さえ採れればそれでいい。
「もちろん策は用意してあります。足元の子熊さんを削り落としましょう。倒れ込む場所を坂道にすれば、回転に勢いがついて転げ落ちてきます」
最後の工程。黄金の坂道を作るべく、ボス熊と穴を結ぶ直線上に平積みされているミニベアーたちが傾斜になるように削り落とす。具体的にはボス熊に近い子熊は少なめに、穴に近くなるほど多く削っていく。
本来なら繊細な技術を要するこの作業は苦戦しそうなものだが、すでに九十回プレイしている俺からすればアームの動きなど手に取るようにわかる。5プレイで雑魚狩り完了。バランスよく景品穴に落とし、坂道を作り上げた。
「成仁さん! いよいよですよ!」
ロケット発射のカウントダウンを生観戦しているのかと思うほど腕をぐいぐい引っ張ってくる。俺も喜律さんと手を取り合ってぴょんぴょんしたい。
でもその気持ちをぐっとこらえる。ここからが勝負どころだとわかっているから。
残金五百円。残されたプレイ回数は五回。
追加投資は許されない。一度決めた資金をあとから追加するなんて喜律さんが最も嫌うところ。最初に一万円と決めた時点でそれ以上はない。
五回のチャンスで一メートルの巨大熊を倒さなければならい。
「終わらせてやる……!」
覚悟のコイン投入。
慣れた手つきでボタンに手を乗せる。
狙いは背中を向けるボス熊の後頭部。そこにアームの胴体をぶつけて後ろに倒すんだ。
「一位剣心です! 頑張ってください!」
る○剣の人気投票の話を唐突に始めたのには驚いたが、一意専心の心意気でスタート。
声援を励みにして始動するアーム君。木の棒なんて馬鹿にしていたけど今ではすっかり相棒だ。以心伝心の完璧な操作で横軸奥行きを決定。
下降する相棒。ボスの後頭部にぶつかり停止する。
テディベアの重心がわずかに後方に引っ張られる形で力が均衡。そして相棒が上昇した瞬間、均衡が失われ、アンバランスなボスは重心の偏りに耐え切れなくなり背中から倒れ――
「ないのかよ!」
「んなー!」
ふたりして頭を抱える。
テディベアは穴に向かってぐらりと傾いたが、重心の位置が思いのほか内側に寄ったのか、倒れることなく元の赤ちゃん座りに戻った。
「もっと後頭部のぎりぎりを押さないと……!」
あと四回。
焦りが手元を狂わせる。
ぎりぎりを攻めようとするあまりスカッたり行き過ぎたり。筐体の横から身振り手振りで指示を送る喜律さんも唇を噛んでいる。
そしてあっという間に、
「ラスト一回……」
失敗したら終わり。ここまで築き上げた道筋も、喜律さんとの恋愛も、なにもかも。
知っている。喜律さんは二言のない人。俺たちの関係がどんなに良好だったとしても、設定したミッションをこなせなかった時点で破局。
このラストプレイは俺の今後の人生を左右するといっても過言ではない。
ぼやける視界の中、最後の百円を投入し、すっかり汗でベタベタになったボタンに手を乗せる。
集中しないと。過去一番の精密な操作が求められている。
なのに、
「くそ……手が震える」
絶望が悪寒となって襲ってくる。
喜律さんと過ごす最後の時間だと思うとどうしても押せない。今日一日、こんなにも雰囲気がよかったのに。終わらせたくないという気持ちが震えを増長させる。
バカか! 終わらせないために闘うんだろ!
強く念じても止まらない震え。
すっと、手の甲が温もりに包まれた。
「喜律さん……」
「大丈夫です。私も一緒に闘います」
喜律さんの小さな手のひらが重ねられた。初日の下校デート以来の温もり。
震えは自然と収まった。
「二人で押しましょう」
「でも一緒だとダメなんだろ? 俺がひとりで採らないといけないんだろ?」
彼女が欲しがっている景品を彼氏が採る。そういう筋書き。
ルール違反は喜律さんが最も嫌うこと。
それでも温もりが離れることはなかった。
「……自分でも何をしているのかわかりません。でも、こうしたいと思ってしまいました」
ちらりと隣を見ると、儚げに目を伏せる横顔。
「……わかった」
これ以上言うことはない。小さくうなずいて、正面に目を向ける。
まるでロボットアニメの最終回だと思った。主人公とヒロインがラスボスに向けて超粒子光線を放つシーン。あれはお涙頂戴感動シーンを造り出すためのくさい演出だと思っていたけど、本当に勇気が出るんだな。もう馬鹿にしないよ。
「行くよ」
もう迷いはない。
まずは一番ボタン。力を合わせて押し込む。
ピロピロピロ。横移動するアーム君も迫真の電子音。気合の入りがいつもと違う。
ボス熊の頭部とぴったりとラインが合ったタイミングで手の甲を押す力が優しく消えた。同時に脱力。
「すばらしいポジションです」
手を重ねたまま二番ボタンにスライド。
ここが肝。
本来なら横から覗いて奥行きを確かめるべきところだけど、もうそんなものはいらない。
感覚的にある程度覚えているし、なにより完全無欠の喜律さんが完璧なタイミングを教えてくれる。
俺はそっと目を閉じた。手の甲に全神経を集中させる。店内BGMも騒がしい喋り声も聞こえない。これでいい。
上から力がかかる。素直に従う。
その時間は悠久のように感じられた。実際には二秒で離すのだけど、暗中の中で遠くに見える白い光に向かって走っているように、延々にボタンを押し込んでいた。
スッ。
緩まる圧力。終わりの合図。
手を離し、目を開けた。
ピサの斜塔が建っていた。
後頭部の絶妙な位置を押さえつけられたボス熊はかつてないほど仰け反っていた。足を浮かせ、お尻だけで体重を支えている。次にアームが上昇した時、元の体勢に戻るのか、それとも後方に傾いた重心に耐え切れず転がり落ちるのか、絶妙な状態。
痛いいくらいに手が握られる。喜律さんも力が入っている。
『いけぇ!』
爪を締め切ったアームが上昇。
力の均衡から解き放たれたボス熊はお尻だけを支えにした不安定な体勢を一秒ほど維持してから、ついに陥落。後頭部から倒れこんだ。
「うぉぉ!」
「きました!」
あとは慣性に従って坂道を転がるだけ。ボス熊が穴に消えた瞬間、俺たちのウエディングベルが世界中に打ち鳴らされるんだぜ(?)
しかし現実というのは創作ほど甘い世界じゃなかった。
倒れたボス熊が勢いのままに坂を転がり落ちる算段だったが、頭だけ穴にはみ出した状態で、無情のストップ。
「あぁ……」
「……傾斜が足りませんでしたか」
不可能に思えた闘い。あと一歩のところまで追いつめたけど、その一歩が遠かった。
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