第18話 物理的解決


「正攻法では無理そうですね」


 コインを入れるたびに天に祈りを捧げてくれていたヒロインがついに口を挟む。


「まずは戦略を練ってみませんか?」

「いろんな角度から攻めてると思うんだけど……」

「その程度では浅はかです。もっと踏み込んだ戦略が求められています。具体的には熊さんの弱点を探すとか」

「そんなのわかるわけ……」


 弱音を吐きかけると、喜律さんのびしっと立てられた人差し指が目の前に飛んできた。


「そこで、成仁さん。テディベアと同じように赤ちゃん座りをしてみましょう」

「今この場で?」

「はい。テディベアになりきってみるのです。私がクレーン役になりますので、それで身をもって力の作用を理解してみましょう。相手の気持ちを理解しなければ強敵を討つことなどできませんからね。カレーを知りボンゴレを知れば客船危うからず、です」


 なぜクルーズ船のおすすめメニューの話を始めたのかはわからないが、喜律さんの言うことにはおおむね同意。かの孫子は言った。彼を知り己を知れば百戦危うからず、と。……あれ? 直前に似た語感のセリフがあった気が。


 とにかく、やみくもにお金を投入するよりも弱点を模索するほうが賢い。


 俺はできるだけ通路の邪魔にならないように端に寄ってからテディベアになりきる。地面に尻をつき、足を延ばして手を横にした。強面テディベア爆誕。


「ママー。変な人がいる」「見ちゃいけません!」


 見てほしくありません!

 恥辱を感じつつも実験スタート。


「まずは正攻法。頭を掴んで持ち上げてみます」


 そう言って両腕を開いてアームを表現し、俺の頭を掴んで持ち上げようとした。しかし側頭部をなぞる形で力なく外れてしまう。


「このようにアームに力がないので持ち上げるというのは不可能ですね」


 次に喜律さんが最初に見せた頭部圧縮作戦。

 前頭部を上から両手で押される。するとお辞儀するように上半身が前方に傾いた。必然的に体重も前に乗る。


「でも足が邪魔して倒れることはありませんね」


 景品を転がり落とす作戦をとるとき、考えるべきことは重心の位置と垂直抗力の位置だ。

 重心とは重力がかかる場所で、垂直抗力とはその物体が地面から受ける反発力。重心と垂直抗力は同じ大きさなので、あとはその作用する地点によってモーメントがあーだこーだになって物体が回転し始める。とにかく大事なのは垂直抗力点よりも重心を前方にもっていくことである。

 ……と喜律さんが説明してくれました。


「しかし、ネックなのは前に投げ出された足。これのせいで抗力が胴体よりも前方に移ってしまうのです」

「てことは重心をそれよりさらに前に移動させないといけないのか」

「そうするためにはテディベアさんには相当前傾姿勢になってもらわないといけません。それこそ直角に近いお辞儀です」

「最々敬礼か。アームの下降力を考えると無理だな」


 じゃあどうすればいいんだ。他力本願な目を向ける。


「回転させてみてはどうでしょう」

「足が邪魔で前に転がせないって話だろ」

「縦ではなく横に、です。正面を向いている熊さんを百八十度回転させて後ろ向きにするのです。するとどうなります?」

「……どうなります?」

「L字の部品で考えてみてください。下の棒が出っ張った方向に転がすのは非常に難しいと思いませんか? 一方で、逆側なら容易に転がると思いませんか?」


 ということで実践。

 横から見るとL字になるようにちょう座体前屈の体勢になる。


「まずは後ろから押してみます」


 喜律さんの掌底が後頭部に押し当てられる。

 グッと押され、前屈開始。


「イテテテ! 体育の準備運動だよこれ」


 回転のかの字も感じさせないただの柔軟体操に終わった。


「今度は前から押してみましょう」


 喜律さんが正面に回りこみ、俺の額を人差し指で押す。


「おいおい、指一本で倒れるわけ……」

 鼻で笑いかけたところ、俺の上半身はなすすべもなく倒れ込んでしまった。

 非力な喜律さんの人差し指に敗北し、男としての尊厳が失われた気がしたが、いいえこれは物理の力。


「このように、小さな力でも押し倒せてしまいます。後ろ側に倒そうとしたとき、地面から受ける抗力は尾てい骨付近にかかります。ですので、成仁さんの重心をそれより外側にもっていけば簡単に倒れるというわけです。つまり頭を背中より後ろに押し出せばいいってことですね」

「ほえー」

「テディベアさんも同じです。後転なら小さな力でも可能です。だから、後ろ向きに倒したときに穴に落ちてくるように、体の向きを反転させるのです」


 ハキハキ声で理路整然、実験交えて具体的にプレゼンされると説得力マシマシ。一ミリも疑念が湧いてこない! ……誰だ脳みそ空っぽって言ったやつ。その通りだよ。


 とにかく、方針は定まった。熊さんにはまん丸い尻尾を公衆の面前に晒してもらおう。

 それからは尻尾を押したり足を押したりアームの開く力を利用したり、喜律さんの指示を仰ぎながら地道に慎重に回転させていった。


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