第20話 信念を捻じ曲げてでも
仰向けのテディベアを前に、呆然と立ち尽くす。陽気なBGMが悲哀な心を際立たせる。
喜律さんが打ち出したクレーンゲームデートは失敗に終わった。
デートの失敗は破局。そういう取り決めだ。
つまり、喜律さんと過ごす楽しい時間はここまで。
「……喜律さん?」
絶望する俺をよそに、喜律さんはスカートを押さえながらしゃがみこみ、景品取り出し口に手を突っ込んでいる。
「まさか下から手を伸ばして引っ張り落とそうとしてる? いくら悔しいからってそれは犯罪だよ。小学生じゃあるまいし」
「違いますよ」
再び立ち上がった喜律さんの手には四匹の子熊。空飛ぶアンパンヒーローみたいに手足を伸ばしてうつ伏せになって顔だけを上げている中型ストラップ。
「坂道を作るときに落とした景品です」
「そういえばそうだった。ちゃんと回収しないと」
目当ての景品が採れなかったからって副産物を放置して帰るというのはマナー違反。シールのおまけのウエハースを食べずに捨てるようなもの。
さすが喜律さん。破局の瞬間にもかかわらず冷静だ。俺は頭が真っ白でそんなことまで気が回らないというのに。
いや、違った。
喜律さんは俺に笑顔を向けた。いつもの満面の笑みではなく、目を細め、口もとだけを綻ばせて、頬が赤い。初めて見た乙女の微笑み。
「このぬいぐるみが手に入ってとても嬉しいです。ありがとうございます」
ぬいぐるみを胸に抱えながらそう言った。
ドキッとした。初めて手をつないだ時くらい、いやそれ以上かも。思わず目を逸らす。
「二匹はもらいますので、残りは成仁さんが持ってください」
「お、おう」
「私は通学カバンに付けようと思います。成仁さんもそうしてくれると嬉しいです」
「……わかった」
「これでお揃いですね。カップルにふさわしいアイテムです」
……え?
「お付き合い、継続するの?」
「……」
「ミッションは失敗したよな。それでもまだカップル(仮)は続けてもいいのか?」
定めたルールを覆すなんて喜律さんらしくない。たとえ天地がひっくり返ったとしても横断歩道を右見て左見てもう一度右見て手を挙げて渡りそうな喜律さんだぞ。おかしい。や、俺は嬉しいんだけどさ。
「もしかして悪いものを食べたとか……はっ。まさかホッケーの後に呑んだジュースに毒物が」
冗談に対して、喜律さんは自嘲するように薄笑いを浮かべた。
「そうですよね。私らしくないですよね。わかってはいるのですが、これはどういう感情でしょう。課題をこなせなかったはずなのに嬉しいんです。別れなければならないのに別れたくないんです。まっすぐ素直に生きてきたのに、こんな気持ちになったのは初めてでして」
そして恥ずかしそうに頬を掻いてから、上目遣いで、
「今日はとても楽しかったです。いろんなゲームを遊んだことももちろん、困難に二人で立ち向かったことは格別の喜びです。結果は伴いませんでしたが、この上ない充足感に包まれています。ですから……本来ならダメなのは承知の上で、もしよければ……ああ! 自分からこのようなことを言うなんて抵抗がありますが、自分の気持ちに素直になります! 今回は超々特別にミッションクリアしたことにしませんか? 他の誰でもなくこの私がそうしたいのです! ルール違反を自覚しながらも! 是非!」
最後には吹っ切れたのか語気が強くなる。そして合意を求めるように右手を差し出してきた。
驚きはある。あの喜律さんが自らルールを破るなんて……それほどまでに俺との時間を楽しんでくれたってことか?
まあ、なんにせよ。
答えは一つ。
「もちろん!」
力強く手を握り返した。
このデートが俺たちの関係を一つ上の階層に持ち上げたのは言うまでもない。
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