第1話 最悪の日に出会った天使
彼女と出会い。それは一年前のこと。
「……最悪だ」
視界いっぱいに広がる曇り空。
住宅街の隙間にある狭い小道で、俺は仰向けになって倒れていた。冷気を溜め込んだ春の朝のアスファルトは制服越しに凍傷に近い痛みを与えてきたけど、それ以上に殴り蹴られた全身のほうが痛かった。
不良に絡まれた。
別にこちらから喧嘩を吹っかけたわけじゃない。道を塞ぐようにたむろする高校生と思しき不良がいたので「大変恐縮ですが、そこを通してもらえないでしょうか」と至極紳士的対応をしたところ、ボコられた。
「クソガキが。生意気にガン飛ばしてんじゃねえぞ」
不良が去り際に放ったセリフ。いや、睨んでないんですけど。ただ目つきがちょーっとだけ悪いだけなんですけど。
……訂正。目つきがすこぶる悪いです。認めます。
全自動ガン射出機。
こいつのおかげで俺の人生は散々だ。
幼少期のホームビデオには業曝しの如き可愛げのない三白眼、小学校では天性の悪童と恐れられ孤立、卒業アルバムは一人だけマグショット。中学も変わらない。入学式、睡魔に抗おうと目力強めで壇上の校長先生を見つめていると「ご、ごめん。長話だったかな。だからそんなに睨まないで……」以後、校長先生の話は分針が動く前に終わるようになった。隣の席の子に教科書を見せてもらおうとしたらゴルゴーンの石化能力が発動するし、廊下を歩けばモーゼの十戒だし。
しかも厄介なことに視線圧が通用するのは一般人だけ。血気盛んなヤンキーは「なんだてめぇ! 喧嘩売ってんのか!」逆に寄ってくる始末。格闘技未経験、中肉中背、性格は控えめ。勝てるはずもなくボコられ続ける人生。
「そんな環境を変えたくて、わざわざ遠くの進学校を受験しようと思ったのになあ」
進学校なら不良もいない。
俺の悪評の数々を知らない人なら、初対面では怖がられたとしても、愛想よく振舞えばきっと理解してくれる。
青春を諦めるにはまだ早い。目指せ高校デビュー。
希望を胸に抱いて必死に勉強して、そして迎えた高校受験当日。
不良に絡まれた。
「なんでこうなるかな」
寝ころんだまま腕時計を見る。乗車予定のバスが到着する五分前。今から走ってギリギリ乗れる時間。次の便だと受付に間に合わないから、猶予は一刻も残されていない。
にもかかわらず起き上がる気になれないのは、道のあちこちに散乱した持参物。蹴り飛ばされた拍子にカバンの中身が吹き飛んだのだ。ペンやら消しゴムやら受験票やら参考書やら。弁当にいたっては中身をぶちまけてしまっている。
全部を拾い集めて、痛む体に鞭打って走って、それで間に合うかどうか。
「もういいや」
諦めた。
惨めな気持ちで拾い集めて、全力疾走して、それで受かるかどうかわからない試験に挑むなんて、バカらしくなってきた。しかも昼食抜きだし。
むりむり。
これが運命なんだよ。生まれた時点で彼女も友達も手に入らない運命。ヤンキーに目を付けられる運命。抗う方がおかしい。
困難に立ち向かうのはもうやめよう。身の丈に合った人生を進もう。
忌々しい目を閉じかけたそのとき、
「大丈夫ですか!」
雲間に差す太陽のような明るい声で、視界の端から女の子が現れた。パッチリとした双眸がこちらを覗き込んでいる。
「なんでこんな所で寝てるんですか! 転びましたか! 荷物散らかってますよ! ああ、お弁当がひっくり返ってしまっています! これでは食べられませんねえ!」
救命救急ばりに声を張り上げている彼女は俺の学校と同じ制服姿。胸のリボンの色から学年も一緒だと分かる。顔も名前も知らないけど。
「とにかく拾いましょう」
ウサギのようにぴょんぴょんと跳ねて荷物を集め始めた。栗色のミディアムヘアーがつられて揺れる。
俺は横になったままその様子を茫然と眺めていた。
なんだこの子は。ただでさえ俺に声をかけてくる女子なんて皆無なのに、慈悲の手を差し伸べてくれている。こんな経験初めてだ。
この時点で俺の心は揺れ動いていたのかもしれない。例えるなら隣の席の女の子に消しゴムを拾ってもらった童貞のように。
「一分ルール! 一分一秒ルール! ……おや?」
拾うついでに弁当箱の中に生き残ったおかずたちをつまみ食いしていた彼女の動きがピタッと止まった。
「これは桜ノ原高校の受験票じゃないですか」
手には目つきの悪い囚人(受験生)のマグショットが貼られた受験票。
「そうだけど」
「と、ということは! あなたも桜ノ原志望者ということですか!」
「あなたも?」
上半身を起こして尋ねると、彼女は胸に手を当てて大きく頷いた。
「はいそうです! 成績優秀人徳抜群と名高いこの私、
「じゃあこんなところで立ちどまっている暇はないと思うけど」
「その通り。非常にまずいです。このままでは失格。長く辛かった受験勉強も水筒にキス結果に」
「水泡に帰す、な」
なんだその甘酸っぱい青春の一コマみたいな慣用句。
「だったら俺なんかに構っていないで早く行きなよ」
「それはできません。困っている人を見捨てるわけにはいきませんから」
透き通った瞳を向けられ、俺は「あー」と苦笑する。
「大丈夫。もう困ってないから」
運命を受け入れる覚悟はついさっき済ませた。試験に行くという選択肢は存在しない。
つまり本日の予定は白紙。道端で寝そべっていたって困ることは何一つない。
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