第2話 諦めた俺と諦めない彼女

 俺はもう運命を受け入れる決意を固めた。不幸に抗うことを諦めたんだ。


 だから助けは不要。そう伝えたところ、矢走さんは首を横に振る。


「そんなはずありません。同じ場所を目指している二人が同じ時間に同じ地点で停滞中。それなのに片方は困っていて片方は困っていない。そんなトンチがあるでしょう? いいえありませんとも! さあ同じ境遇の者同士、駆け抜けようではありませんか!」

「いや本当に大丈夫だから」

「もしかして受験本番になって急に不安が押し寄せてきた感じですか? 気持ちは理解できますが、逃げ出してしまっては可能性の振り子はいつまでたっても揺らぎませんよ。勇気を出して立ち上がりましょう! 私が支えます!」


 ずいっと迫りくる彼女の目はメラメラ燃えていた。うわ、不良少年を諭す熱血先生の目だコレ。俺が立ち上がるまで離れないつもりだコレ。


 しかしここで彼女の熱意に応えてしまったら今しがた固めた決意は何だったのか、あれはプリンだったのか、こんなに容易くトロけてしまっていいのか。己の心の弱さにあきれ果てるだろう。


 決断を覆すわけにはいかない。心優しい彼女には申し訳ないけど、ここは徹底的に拒絶させてもらおう。


 くらえ! 言い訳連打!


「腹が痛い」

「胃腸薬ありますよ? 飲みますか?」

「試験会場がどこにあるか忘れてしまった」

「一緒に行きましょうよ」

「明日人類が滅びるらしい」

「今日の試験には間に合いますね」

「アイキャントスピークジャパニーズ」

「イエスウィーキャン!」

「……金縛りにあって動けない」

「除霊します!」


 ……だめだ。まるで通用しない。

 しかも俺の周りでぶつぶつ呟きながら踊り始めたし。除霊の儀のつもりか? どう見ても盆踊りなんだけど。


 このお人好しを納得させるにはどうすれば……そうだ。


「見ろ。これ。切り傷」


 不良に蹴り飛ばされた際にできた膝の傷を見せる。わずかに出血があるだけの浅い傷だが、言い訳には十分だろう。


「痛くて走れない。だから矢走さんだけでも先に行ってくれ」


 矢走さんは膝を抱えてしゃがみこむと、神妙な面持ちで傷口をじっと見つめる。

 さすがに折れてくれたか?

 と思ったところで、彼女はおもむろに口を開いた。


「ならば私が抱っこしましょう」

「はい?」マヌケな声を出した時にはすでに細い腕が俺の背中と膝裏に滑り込んでいた。

「ではいきますよ」

「ちょっと!」

「ふんぬ!」


 不安定な浮遊感とともに体が持ち上げられた。

 まさかまさかのお姫様抱っこである。この場合だと王子様抱っこになるか。

 いや、呼称はどうでもいい。


「おい! 大丈夫か!?」

「ぐぬぬぬ……」


 両腕をプルプル震わせ、歯を食いしばって朱顔を晒す彼女。

 そりゃあそうだ。いくら俺が細身とはいえ体格差がありすぎる。女子のなかでも小柄な部類に入る彼女には持ち上げているだけで奇跡。

 なのに。


「二人で絶対に受かりましょう!」


 力強く一歩踏み出す。


「どこからそんな力が……」

「精神一到何事か成らざらん!」

「え?」

「私の座右の銘です! 意味は、どんな困難でも精神を研ぎ澄ませればできないことはない、です!」


 また一歩踏み出す。

 徐々に踏み出す間隔が短くなる。

 足の回転が速くなる。

 気付けば駆け出していた。


 火事場の馬鹿力。窮地に陥った人は信じられない力を発揮するというが、まさにそれ。もっとも人間の窮地ってのは死に際であって、決して遅刻した人間を助ける程度で発揮されるものじゃないと思うのだけど。

 つまり彼女は死に際と人助けを同等と捉えているんだ。超弩級のお人好し。


 彼女の腕の中で揺られていると、徐々に体が火照ってきた。人の輪の外側で孤独に身を震わせていた俺にとって、彼女の善意は太陽よりも温かく思えた。


 道のりが緩やかな下り坂だったことも後押しして、思いのほか早くバス停に到着した。

 さらに幸運なことにバスは数分遅れで運行しており、結果として同着。飛び乗る。


「ぜぇぜぇ……これぞ精神一到の心です……」


 無事に試験会場に辿り着いた。


「そういえばあなた、このままではお昼御飯がありませんね。先ほどつまみ食いさせてもらったお礼も兼ねて、私のおにぎりを一つ分けてあげます。安心してください。中身は必勝メンチカツ。私の母が込めてくれた勝利の気持ちはあなたにも効果ありますよ! 娘の私が認めましょう! では!」


 嵐のように突如として現れ、颯爽と立ち去った矢走喜律。

 俺の心に残った想いはたった一つ。

 彼女にもう一度会いたい。

 その想いが合格に導いたことは言うまでもない。

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