共同作業 - 証言 3 -

「やあ、どうも。あ、ごめんごめん、まだ開店前だったか。でも、あと三十分で開店でしょ、ちょっとだけ、コップとキープしてるボトルは自分で準備するからさ、ちょっと裏方に失礼するね。いやいや、大丈夫、自分で出せるから。俺だって常連だよ? どこに物があるのかくらい分かってるって。…………ふー、ごめんね大将。……いやさ、落ち着かなくてね……、うん、この前定年退職したんだけど、いつも仕事をしている時間に家でぼーっとしているのがなんか都合悪く思えちゃってさ。退職する時に指導員として残ってくれって頼まれたの、引き受ければよかったかなって少し後悔してるんだ。……うん、俺みたいな古株がいたんじゃ、残った人たちに気を使わせるかなって思ってね、断ったんだ。けどさ、うーん、変化のない日々っていうのはやっぱりしんどいね。働いてるとさ、良いことも悪いことも昨日とちょっと違う何かに出会えるって面白かったなあ。特に新人教育は良かった。初めは何もできなかった人が日に日に仕事ができるようになっていくっていうのは、自分の成長を認識するより楽しくて、充実したもんだよ。あ、でも、仕事でもないんだけど、ちょっと聞いてくれよ、大将。今さ、携帯料金が高いから格安スマホっていうのはを考えているんだけどね……、そうそう流行ってるよね。それで話を聞きたくて電話をしたんだよ、そしたらその案内窓口の若いのが、どうにも今時って感じでね、初めて電話した時なんて間違った敬語で話すもんだからついつい癖で注意してしまったのよ、「間違った言葉遣いはやめなさい」って……、俺も同じような仕事をしてたからさ、どうにも気になって、電話するたびに注意していったんだ。言葉遣いはこう、君の説明じゃ分かりづらいからこうすべき、もっとお客様に寄り添った会話を意識してって、悪いと思ったけど彼のことを思ってしつこく言ったの。そしたら、まあ最近じゃようやく聞けるような対応になって、ああ成長してくれて嬉しなあって柄にもなく感動して、なんかこう達成感が湧いてきちゃって、仕事をしてた時の充実感っていうのを久々に感じたよ。近所のコンビニ店員なんて何度言っても俺の言うことを全然聞かない奴だから余計にさ……、ん? いや、流石に毎日電話をしていたわけじゃあないよ、週に三度程度さ。検討しているのは本当だし、何も悪いことじゃあないだろう? それに電話のタナカ君……、そう、タナカ君が俺以外のお客様にちゃんと対応できてるのか気になっていたっていうのもあって、俺が言ったことをちゃんと実行しているのか試すって意味でもかけてのかもしれないな。別の担当が出ても「タナカ君を出せ」って言えば初めは渋るけど、結局は出してくれたよ。ちょっとしつこかったかなって思ったけど、お客様の要望に応えるのは企業の務めだし、俺もそうやって成長してきたんだから、間違っちゃいないだろう? それにタナカ君も、この前かけた時に「今までありがとうございました」って声を震わせてたんだ。きっと俺の気持ちが届いたんだろうね。なんだけどさ、大将。そのタナカ君がここ最近休みみたいでね、まあ話口調が学生ぽかったからテストでもあるのかな。……え? 最後にかけたはいつかって? いつだったかなあ、二、三日くらい前だと思うけど……。ところで大将、今日は随分のんびり準備をしているね、いつもならヨウ君が来ている時間だろ? いやー、ヨウ君は良い子だよね、ハキハキと喋れるし、気は利くし、何より、あの笑顔がいい。俺は大将と話すのも好きだけど、ヨウ君と話すのも好きなんだ。退職祝いにここで宴会して以来だからね、今日はヨウ君とも話せると思ったんだけど、休みかな? ……え、今日は店自体が休み? あれ、定休日って日曜じゃなかったけ? ……臨時休業? それならそうと最初に言ってくれればすぐに帰ったのに。ダメだよ大将、お客様に気を遣っているようにみせて、その実、お客様に気を遣わせてちゃ。じゃあ、帰るね。キープボトルだけだから支払いはないよね? ……ありがと。あれ、大将、そういえば今日はスーツだね、店が休みなのと関係があるのかな? ……店の戸口の張り紙? そんなのあったかな? ……え、今から通夜?」

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練習帳 青井志葉 @aoishiba

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