第一章 森

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第1話 辺境の騎士

 世界は退屈な灰色をしている。


 その朝は薄曇りの空で、黒い樹々の上をいやに鳥が飛んでいた。



 森の辺境とあって、ランペール騎士の装備には革製のものが多い。

 この地の騎士は馬では入れぬ深い森を徒歩かちで歩き回り、気配に敏感で俊敏な魔獣を相手とすることが多い。大きなたてやうるさく音を立てる金属製の鎧は、森の中での戦闘には向かないのだ。


 しかし、革鎧の冴えない見た目から、他領の騎士団にゆえなく軽んじられることも多いらしい。


(革鎧も格好いいのにな、これだって硬いし)


 騎士たちが集まる前庭に出たユストゥスは、いつも揶揄からかってくる若い騎士を見つけ、革鎧の脚部分を拳で軽く殴った。こつんと硬い音が返ってくる。

 すると、面白がる表情を浮かべた雀斑そばかす顔が、ユストゥスを上からのぞき込んできた。


「やりましたね、坊ちゃん」

「坊ちゃんといわないでよ! トマ、僕はもう五歳だぞ」

「ふふん。俺に勝てたら、やめて差し上げますよ」


 集まった騎士たちは、全身を分厚い革の装備で覆っている。籠手こて脛当すねあてだけが鋼鉄製だ。騎士たちが十数人も集まれば革の匂いもきついが、ユストゥスはその武骨な匂いが嫌いではなかった。


 今日は森の見回りに同行させてもらえるとあって、ユストゥスも革の頑丈な長靴をいている。まだ小さい彼の体に合う防具はないので、あとはいつも通りの服装だ。


 ユストゥスはなんとなく大気の気配に違和感を覚え、鈍色にびいろの空を見上げた。つられて騎士のトマも視線を上に向ける。


「あれ、いつの間にか鳥が一羽もいない」

「そういえばそうですね。さっきまで気持ち悪いぐらいいたのに。なんでしょうね? 坊ちゃん」

「むぅ、今度は絶対に勝ってやるんだから!」

「楽しみにしていますよ、坊ちゃん」


 若い騎士のにやにや顔にユストゥスは頬を思い切り膨らませ、手合いで勝ったら絶対にやめてもらおうと決意する。ユストゥスの存在に気が付いた辺境伯が、彼を手招きした。ユストゥスは急いで駆け寄り挨拶をする。


「おはようございます。お祖父じい様」


 長身の辺境伯は挨拶を孫に返すと、白いものが目立つ頭を低くし、ユストゥスに小振りな剣を差し出した。

 

「ユストゥス、これを。お前の剣だ」

「うわあ、本物の剣だ! ありがとうございます。お祖父じい様」


 以前した約束を、律儀に守ってくれたらしい。ユストゥスは初めての自分の剣に心を躍らせ、祖父に感謝した。厳しい人だが、こうして気にかけてくれる優しいところもある。

 皺深しわぶかい口元を緩め、辺境伯はユストゥスに言った。


わしから一本取ったらこしらえてやる約束だったからな。だが、くれぐれも怪我には注意するのだぞ」

「はい!」


 ずしりとした剣の重みに、ユストゥスは頬を染めて返事をする。剣は少し大きいが、ユストゥスはまだ子どもだ。すぐに背が伸びることを見越してのことだろう。

 滑らかな木製の柄は、ユストゥスでもしっかり握れる太さだった。ユストゥスは早速、剣を抜き試し振りを始めた。


 小さな体から、よどみのない動作で鮮やかに振りぬかれる剣。大気中の魔素が反応するほどの鋭い剣尖けんせんは、到底幼い子どものものではない。風を切る音が、周囲の騎士たちの耳目じもくを集めた。


 そこへ出立の準備を終えたランペール騎士団のディールズ団長が、辺境伯へと歩み寄ってきた。

 

「辺境伯閣下、確認完了いたしました。いつでも出発できます。いやはや、ユストゥス様はまた腕を上げられましたな」


「はっはっは、そうだな。わしなど、あっという間に抜かされそうだ。ディールズ、お前もうかうかしておられんぞ」

 

「確かに。凡人は凡人らしく精々せいぜい励みますよ」

 

 危なげなく剣を腰へ下げた鞘に戻したユストゥスの姿に、辺境伯はまなじりを下げしわを深めた。そして珍しいことに、朝の陽を受け眩く光るユストゥスの金の髪を、剣だこのあるごつごつした手で撫でる。


 照れ臭く感じたユストゥスは、つい下を向いてしまったが、大きなしわだらけの手は温かく心地よかった。

 

「いずれ、ユストゥスが継いでくれるなら、ランペールは安心だ。ガエルスは剣が不得手だからのう」

 

 騎士団長は曖昧な笑みを浮かべた。この老年に差し掛かった辺境伯が、一人息子に中々家督を譲らないのには理由がある。


 この過酷な地の統治は難しい。我が身を守れぬようでは見回りも出来ない、魔獣が多く出現する危険な森と共存しているランペール領にあって、剣技は必須の技能だ。

 にも関わらず、後嗣こうしであるガエルスは血を見るのを極端に嫌い、剣を握ることすらろくに出来なかった。


 辺境伯は悩んだが亡き妻の願いもあって廃嫡を思いとどまり、ガエルスに出来の良い妻を迎えさせた。しかし、不幸なことに初の出産でガエルスの妻は命を落とし、生まれた子も手厚い世話の甲斐なくはかなくなった。


 騎士団長ディールズは、当時のことを思い返した。


(ガエルス様もお気の毒ではあるのだが、……あの方ではこの地を保てない。閣下がユストゥス様に期待されるのも致し方があるまい)

 

 辺境伯が男の赤子を連れてきたのは、ガエルスの妻子を失った悲しみがまだ生々しい頃だ。突然連れてきた子を、死んだ子の代わりとすると告げられたガエルスは激昂げっこうした。しかし辺境伯は譲らず、赤子をユストゥスと名付けランペールの籍へ入れた。


 最終的に親子の間で、ユストゥスの養育と保護を義務付ける代わりにガエルスへ爵位を譲るという、魔術による契約が結ばれた。契約をたがえた場合、例え相手が死んでいても約された代償を支払う強力な強制力を持たせたものだ。


 結果、親子の関係は修復されないまま、五年たった今もガエルスのユストゥスへの態度は冷淡だ。この問題の行く末に不安を抱いているのは、ディールズだけではない。


(幸いにして、ユストゥス様は素直な性格だ。力に溺れることなくすこやかに育っておられる、今のところは。だが、なんとも危うい)


 ユストゥスの出自を知るのは辺境伯とその息子、ランペール騎士団の長ディールズの三人だけだった。複雑な生まれに加えて養父との不和、そしてユストゥス自身の持つ異能。


 まだ幼いユストゥスが寂しがっていることは知っているが、ディールズには精々剣の相手をしてやるくらいしかできない。


 代が変われば、愚鈍なガエルスのことだ。気に入らない騎士団長の首のすげ替えなど、簡単に実行するだろう。そうなれば、ユストゥスをかばってやることすらできなくなる。




 新しい剣を仲の良いトマへ自慢気に見せている幼い少年と故郷の未来を、ディールズは深く案じていた。

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