第2話 魔の領域

 ランペール領は人と魔の領域の狭間にある。口さがない王都の貴族たちには、魔境と呼ばれているらしい。


 魔境とはあながち大袈裟でもなく、ランペール城塞は魔獣の侵入を防ぐため、無骨に聳え立つ巨大な城壁を擁していた。城壁の下には魔獣が蔓延はびこる漆黒の《深淵の森》が広がり、切り立った岩山があちらこちらに点在している。

 森をみはるかす先に横たわるのは長大な山脈、それを超えた先には竜の棲む半島があるという。


 まさに魔境、生死のやり取りが頻繁に行われる厳しい土地だ。


「さあ、では出るとしようか」

「はっ! お前たち、今日は辺境伯閣下とユストゥス様も同行される。浅い区域だけとはいえ決して警戒を怠るなよ!」

 

 深淵の森は魔素が多く発生し、魔化する獣や植物の多い危険な地だ。反面、ここでしか得られない希少な植物や素材も多く存在する。

 ゆえに領土と接する区域の森の管理と魔物からの防衛は、この地の辺境伯の重要な責務だった。

 

 ユストゥスは滑らぬよう落ち葉を踏みしめながら、騎士たちに挟まれて森を進んでいく。

 普段は絶対に行ってはいけないところに入れる数少ない機会だ。魔物を刺激しないよう私語は禁止されているが、ユストゥスは初めて見るものをひとつひとつ記憶に刻んでいった。


 時折、祖父のラジウスがぽつりぽつりと見回りの際に確認する事項ことがらをユストゥスに教えてくれる。彼は幼いながらも何度か祖父と見回りに同行し、森の知識を学んでいた。


 たまに野生の獣や魔獣と化した獣とも遭遇するが、熟練の騎士たちは協力して危なげなく倒していく。やがて、小川のほとりでディールズは休憩を辺境伯に提案した。


 水筒から水を飲み喉を潤したディールズは、道中に感じた懸念を口にする。小さなユストゥスはさして疲れた様子も見せず、汗を拭く辺境伯の横で大人たちの会話に耳を傾けていた。


「閣下、どうもこのところ、魔素濃度の上がり方が早すぎるように感じます」

 

「ふむ、なんじゃろうな。確かに少しずつ魔獣の数が増えておる。軍を拡充したいと、王宮へ申請は出しておるのだが」

 

「やはり王からの許可が下りませんか」

 

「結界で守護された王都に魔獣は出ん。辺境の現状をご存じないのだ。すぐに謀反の疑いばかりかけおって」

 

 ディールズは答えず、ユストゥスをちらりと見た。

 辺境伯のは、氷のように硬質なきらめきを持つ金の髪に見事な碧の双眸をしている。まだ幼いながら完璧に整ったユストゥスの美貌を見れば、一目で彼の生まれを看破かんぱするものもいることだろう。


(謀反ねぇ。はて、何をもって謀反というんですかねぇ)


 ラジウスが彼をユストゥス、正義と名付けた意味を騎士団長は考えないことにした。ディールズはただ、愛する者が住まうこの地を守ることに全力を尽くすだけだ。

 一息ついた辺境伯は、穏やかに孫に語りかけている。


「魔素管理の重要性は、辺境以外では忘れられつつあるのだよ、ユストゥス」


「どうしてですか? 魔素は汚染されやすいから、循環を促さないと魔力災害が起きると教わりました」


 危険と引き換えの森からの採取物、魔獣素材により辺境伯領の経済は潤っていた。反面、騎士や兵たちの維持には大金が掛かる。

 それにも関わらず、更なる税が課されようとしていると辺境伯はぼやいた。


「王都に住む者が見るのは、加工済みの美しい魔石に珍しい魔獣の毛皮だけだ。魔素汚染によって生まれた魔獣の被害でどれほどの人間が命を落としているかなど、想像だにしていない」


「そうなんですか。小さい魔獣だって、とても危険なのに!」

 

 ユストゥスは憤慨し、祖父の言葉をしっかりと心に刻み込んだ。


「でも王都かあ。僕も一度行ってみたいな! お祖父様、いつか連れて行ってもらえますか?」


「そうだな。王都ヴァルベールは、ここよりうんと北にある。とても寒くて遠い場所だ」


 とても遠い、老いに向かいつつある辺境伯はもう一度念を押すようにそう呟くと、膝に手を当てて立ち上がった。革鎧に身を包んだ騎士たちは既に、静かに整列して待機している。


「よし、そろそろ出発しよう。今日は今のところ魔獣が出ていないが、油断はするなよ」

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