第5話 人形の姫

 悪魔を狩る天使の如き麗しい姿から、ユストゥスは目が離せなかった。

 

 「……まさか。この子人形なのか?」


 黒髪の少女は祈りを捧げるように刃先を天に向けた。

 濃密に練り上げられた魔力がきらめきながら、光の糸のように勢いよく弧を描いて剣を超え、さらに上に柱のように伸びる。


 少女は天を割るが如く、真っ直ぐに蒼穹そうきゅういた。白昼に照らされ光を反射する刃を昇るように、糸束のような魔力が渦を巻きながら華のように拡がり円陣を染め上げていった。水面みなもに投げ込んだ石が波紋を生むように、円陣が次々と開花するごとく実行されていく。


 異界との強制接続が断たれ、穴はひとつふたつと元のただの見えぬうろへと戻っていった。ユストゥスはその花火を思わせる散華さんげに見惚れ、思わず呟く。


「こんなに、美しい魔術があるのか」


 そして、なんという目だと感嘆する。彼女は、悪魔の出現を止めんがために奔走ほんそうしていたのだ。もし、この学園祭の喧騒けんそう最中さなか、突如悪魔が降り立てば大きな被害が出ていた。この件、徹底的に捜査させる必要があると、ユストゥスは唇を引き結んだ。




 

 大規模な魔術を使ったせいか、黒髪の少女は息が上がったようすで白い頬を紅潮こうちょうさせていた。瞳には魔素を帯びた七色の光がにじむように舞っている。


(姫様か。確かに、王族と言われても不思議ではない美しさだ)


 ユストゥスはあらためて少女の神秘的な容姿に息を呑むが、とにかく聞きたいことばかりだった。


 屋上で女生徒相手に戦っていた理由。

 本当に学生なのか、そもそも何ものなのか。


悪魔アーカーの討伐、深く感謝する。だが、君は何者で戦っていた相手は誰だ?」


 また逃げ出されてはかなわないとユストゥスが一歩だけ近寄り問いかけた。少女は黙ってユストゥスをじっと凝視みつめ返す。と、揺らぐ虹の色彩が唐突に消え失せた。


 急に強い視線でしっかりと捉えられたユストゥスは束の間たじろぐ。色なき風が少女の口元の布をなびかせ、桜唇おうしんを露わにした。


 そこからこぼれたのは、奇妙な言葉だった。


「……大きくなった」


 十代半ばの少女が大の男にいう台詞せりふではない。だが、ユストゥスは完全にきょをつかれ、心臓をいきなり冷たい指でつかまれたように動けなくなった。


(リ……ア――?)

 

 懐かしい声だった。

 ――ずっと、ずっと再び聞きたいと願っていた澄んだ声が、凍らせていたユストゥスの心を揺さぶる。


(そんなはずはない、彼女はもういない。絶対に助からない方法で殺された)


 ユストゥスは激しく混乱していた。

 繊細な目鼻立ち、かげりを落とす長い睫毛がけぶ薄墨うすずみの瞳。

 天使のように美しい、知らない顔だ。


(本当に死んだのか? 遺体は見ていない。どれほど探しても見つからなかった)


 あり得ないと頭から否定していた可能性が今、目の前に忽然こつぜんと浮かび上がっている。


 目の前に立つのは高度な魔術に魔導戦技ミスティックアーツを駆使する少女。

 魔導戦技ミスティックアーツをこの国にもたらしたのはユストゥス本人だ。そしてユストゥスにそれを教えたのは――。


「あなたと、この国は狙われている」


 深い碧色へきしょく双眸そうぼうを見開き、目の前の少女にまじろぎもせず見入るユストゥスに、少女は小さな声でささやいた。


「――わたしはもういない。だが、あなたを守る。自動的に」


 細く白い指が優雅に宙を舞い、ふわりと少女の身体は講堂の屋根から離れる。

 ユストゥスは慌てて声を発した。


「待て! 待ってくれ! 君は――」

 

 魔法の円陣ミスティックサークルが瞬時に現れ、少女の姿はかき消える。

 高難易度魔術――《空間転移》。しかも、その無詠唱高速実行。ユストゥスは自身以外にそれができる人間を一人だけ知っていた。


「君なんだろう……? リ……」


 呼ぼうとした名は、思いがけずかすれる。ユストゥスは黒い革手袋に包まれた己の手をじっと見つめると、それを強く握りしめこぶしにした。止まっていた時間と世界が色づき、うごめき出したことを肉体が伝えてきていた。

 

「欲しいものなど、この世界にもうないと思っていた」


 ユストゥスの胸の中で驚きが続けざまに爆発し、眠っていた欲望をいやおうにも呼び覚ます。目覚めた渇望かつぼうが激しく拍動はくどうを打ち鳴らし、鼓膜こまくの奥に痛いほど響いていた。


 深く碧い瞳には焦がれるような熱をはらませている。この生を賭けて追うべきものを見つけたのだ。


「……俺から逃げるなど――絶対に許さない」


 ユストゥスは声に獰猛どうもうな決意を宿らせ呟いた。


 

 

 

 ✣✣­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–✣✣ 

 


 

 

 その王は、によって育てられた。

 

 自動人形オートマタ


 人形が善き目的で造られることはない。

 なぜならば、その誕生は常に他の生命への蹂躙行為を前提とするからだ。


 そして、その主な用途もまた――殺戮さつりくだ。


 他の生命、その血肉と魂を捏ねて造られる人造生命体にして、錬金術の天才のみがなしうる悪魔の芸術品。一般には、存在そのものが秘匿ひとくされている。


 

 

 幼いユストゥスの前に現れたのは、その一体だった。


 人形は、子育てなどしない。

 しかし、感情を持たぬ彼女だけがユストゥスに手を差し伸べ、献身的に守り育てた。

 

 ユストゥスは彼女のことを忘れない。

 ――壊れてしまった玩具のように、殺され捨てられた人形かのじょのことを。

 

 

 

 人形が処刑された夜、ユストゥスの故郷は崩壊した。

 《悪魔の一撃》と呼ばれる、時空の歪みによる重力波が発生し城塞を襲ったのだ。あたかも巨大な手が破砕はさいえぐり取ったような破壊跡から数多あまたの魔獣が雪崩なだれれ込み、領内に壊滅的な被害を与えた。


 一夜にして多数の犠牲者を生んだこの魔力災害は、稀にみる甚大災害として記憶されている。


 

 災害が起きたのは、メルノード王国の南の辺境ランペール領。

 

 

 ユストゥスは、その地の辺境伯の後嗣こうしとして育った。

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